2017年最初のキャラノベは、『露西亜の時間旅行者 クラーク巴里探偵録2』。明治時代のパリ、曲芸一座で働く敏腕番頭・孝介と料理上手で一途な見習いの晴彦が、贔屓筋から持ち込まれた難題を解決します。このシリーズの第1弾である『クラーク巴里探偵録』の試し読みを3回にわたってご紹介! ストーカー退治を請け負う「凱旋門と松と鯉」をお楽しみください。

◇登場人物紹介
片桐孝介   無口で几帳面。曲芸一座の贔屓客を相手にする名番頭
山中晴彦   家事が得意で世話好き。座長にスカウトされた料理番
座長     美しい傘芸を披露する曲芸一座のボス。無類の女好き

             
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「今日はこの男と会うことになっている」
 そう言って孝介から渡された名刺はかなり変わったものだった。
 まず文字がない。
 絵だけが印刷されてあって、しかも本棚に本がぎっしりと並んだ図案である。
「本屋さんですか」
「ノン」
「どこの国の方でしょう」
「同郷だ」
 孝介が長い指先で晴彦の持っている名刺を軽くはじいた。
「金と暇のある連中が、夜遊び用に変わった名刺を作って遊んでいるんだ。絵柄から想像してみろ。単純な洒落しやれだ」
「となると、本がたくさんあるわけですから──」
 晴彦が答えかけたちょうどそのときだった。
「ボンソワール。待たせて悪かったね」
 日本大使館の本多章正が姿を見せた。
「本が多いから、本多か」
 晴彦はため息混じりにつぶやいた。
「下宿屋のマダムが妙な男につきまとわれていてね」
 縞地の背広を着た本多が席に着くなりそう言った。
 夏の巴里は容易に暮れゆかず、辺りは乳白色に染まっている。
 オペラ座近くにある店のテラスは、すでに大半の席が埋まっていた。
 本多章正は外交官で三十代前半、巴里に赴任して三年目である。
 注文もそこそこに話を続けようとした本多が、孝介の隣に座っている晴彦に気づいて声をかけた。
「君、あのときの。元気だったかい」
「お陰さまで。ありがとうございます」
 晴彦は丁寧に頭を下げた。
「高瀬さんが君のことをずいぶん気にかけていたよ。君を巴里に呼んだ男は、朝倉商会とも取引をしたことがあったそうでね。悪い男ではないらしいんだ。いや、君の前でこんなことを言うべきじゃないね」
「いえ、大丈夫です」
「約束を破るつもりではなかったろうが、結局こんなことになってしまってね。一寸先は闇というのかなあ。大使館でも君のことを心配していたんだよ」
 心配していると言いながら、その口ぶりはどこか楽しそうにも聞こえる。
 晴彦を気遣ったのかどうか、孝介が途切れた話をさりげなく続けた。
「本多さんの下宿屋はどちらに」
「凱旋門の近くなんだ。小さい下宿屋だが、飯が美味くて掃除が行き届いている」
 おまけに、と本多が力をこめた。
「マダムが尊敬すべき婦人でね。三年前に夫を亡くして未亡人なんだが、それ以来、下宿屋を開いて、ひとりで切り盛りしているんだ」
「素晴らしい女性ですね」
「そうなんだよ」
 孝介が如才なく返すと、本多が身を乗り出した。
「巴里には魅力的な女性が多いけれど、マダム・クラリスほどの人はちょっとお目にかかれないね。今朝だって」
 運ばれてきた葡ぶ萄どう酒にも手をつけず、本多が女主人の自慢話を始めた。
 孝介は真面目な顔をしてうなずいているが、彼が隣の店から聞こえてくる舞踏曲に耳を傾けているのが晴彦には分かる。
 何かあったとき骨折りしてもらうためにも、大使館との顔つなぎは那須一座の番頭として欠かせない仕事だ、と孝介は常々言っていた。
 本多から「相談に乗ってほしい」と言われてやって来たのもそのためだ。
「というわけなんだよ」
「本当に素敵な方ですね」
 聞き流していたなど微み塵じんも感じさせず、孝介が本多に向かって大きくうなずいたのを見て、晴彦は心の中で喝采を送った。
「そのマダムを追い回している男がいるというわけですか。しかし、それほどの美女ならば、懸け想そうする男など掃いて捨てるほどいるでしょうね」
 孝介がそう言うと、本多の顔に憤慨の色が浮かんだ。
「けしからん話でね。あんなに若くて美しい女性が、亡くなったご主人に操みさおを立てて健気けなげに下宿屋を切り盛りしているというのに」
 ここだけの話だが、と本多が声をひそめた。
「下宿人の中にも、マダムに恋文を渡している輩やからがいるそうなんだ」
 貴方は渡していないんですかと言いそうになった晴彦の足を、孝介が蹴飛ばした。
 ぐっと声を呑みこんだ晴彦を無視して、孝介が大真面目に言った。
「嘆かわしい話です。ですが、マダムはご安心でしょうね。本多さんのような信頼できる下宿人がいるのですから」
「君もそう思うかい」
 手もなく相そう好ごうを崩した本多を見て、外交官がこれで大丈夫なのか、と晴彦は不安に思った。
「誰だってあんなものだ」
 店を出ていく本多の背中を見送りながら孝介が言った。
 態度から愛想は消え、いつもの無表情に戻っているが、晴彦にとってはこちらのほうが見慣れているせいか安心できる。
「本多さんは頭もいいし、育ちもいい。何より、うちの一座に好意的だ。今は頭に血が上っているかもしれないが、いずれ熱も冷める」
 まるで年配者のような物言いだが、孝介は本多より、そして晴彦よりも年下である。
 だが、子どもの頃から那須一座の海外巡業について回ったという経歴の持ち主で、今や欧州の興行界でもその名を知られた一座の番頭として、一手に渉外を引き受ける孝介であれば、大抵の人間は青く見えるのかもしれなかった。
「孝介さんも運命の女性に恋をしたら、本多さんのようになるんでしょうか」
「馬鹿馬鹿しい」
 孝介が顔をしかめて珈琲カフエを飲み干した。
「でも、誰だってあんなものって」
「俺にそんな暇はない」
「分かりませんよ。シャンゼリゼの大通りで、踊りながら恋の唄を歌うようになるかもしれません」
「俺がか?」
「ええ」
「殴ってでも止めてくれ」
 心底嫌そうな顔をした孝介を見て、晴彦は申し訳ないながら思わず笑い出してしまった。

※第2回は1月27日(金)公開予定です。この連載は、『クラーク巴里探偵録』p.96~の試し読みです。

 

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関連書籍


『クラーク巴里探偵録』

第1話 幽霊屋敷 
ベルナール家のご子息の部屋にだけ現れる幽霊の正体とは?

第2話 凱旋門と松と鯉 
下宿屋の美人マダムのストーカーを追いつめる!

第3話  オペラ座の怪人 
本物そっくりの絵に彩られた部屋で起こった盗難事件の真相

第4話 東方の護符 
孝介と晴彦を引き裂く衝撃の真実が明らかに……
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『露西亜の時間旅行者 クラーク巴里探偵録2』

第1話 光と影 
売れっ子ダンサーマドモアゼル・オンブルの秘密

第2話 オスマンルビーの呪い 
皇帝が愛したルビーの呪いとは?

第3話 露西亜の時間旅行者 
突如現れた予言者が告げた、那須一座座長の死

第4話 遥かなる姫君 
園芸商から舞い込んだ、宝の地図探し
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