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2016.12.20

第16回

被害者意識とどう付き合うのか

佐久間 裕美子

被害者意識とどう付き合うのか

 ドナルド・トランプが大統領選挙に勝って、この被害者意識のような気持ちとどう付き合っていけばいいのだ、と感じる前から、このテーマについて考えていたには理由がある。友達のひとりがレイプされたことを公表したのだ。

 ある日、フェイスブックを開けて目に入ってきたポストに凍りついた。シンガーソングライターで知り合いのラーキン・グリムが、8年前にプロデューサーにレイプされた、と発表したのだ。
 最後に会ったのは、彼女のウェディングだった。結婚式に呼んでもらえるほどの親しい仲でもなかったけれど、イーストビレッジの公園で、誰でもウェルカム、出入り自由というカジュアルな式だった。ずいぶんと年上に見えた夫は、イースト・ビレッジでちょっと知られたマジシャンで、ダウンタウンのパワーカップルになるのだろうと思った。友人たちによるお祝いのパフォーマンスが用意されたそのイベントは、結婚式というよりむしろフェスみたいではあったけれど、歓声と笑いにあふれていたことを覚えている。
 そもそもの彼女との出会いのきっかけは音楽だった。あるとき別のバンドを目当てに行ったハコで共通の友人に紹介された。アコースティックのギターの弾き語りという古典的なセットアップだったけれど、彼女の声と歌詞は、迫力をもって心に響いた。イェール大学を中退して音楽の道に進み、すでにジョン・ゾーンに認められているのだと、誰かが教えてくれた。力強い握手が、凛とした印象によく似合っていた。
 結婚して以来のラーキンの人生の展開のほとんどはフェイスブックを通じて知った。結婚してからも音楽活動は続けていたけれど、彼女は結婚後わりとすぐに妊娠した。歌詞の表現に野心家で独立心の強いフェミニストを感じとっていたから、その速度で彼女の人生が進行していくことが意外ではあったけれど、かといってそれについて尋ねるチャンスもなかった。
 ところが息子を出産してまたしばらくすると、彼女のポストで、夫にもうひとり女性がいたことが発覚した。二人は別れ、彼女はシングルマザーとしての奮闘を始めた。ラーキンは幼い息子を連れていろんなところに出かけていたし、パフォーマンスも続けていた。ネパールに長い瞑想の旅に出たりもしていた。彼女のフェイスブックのポストは、息子の成長を喜ぶときも、別れた夫の浮気について語るときも、いつもまっすぐで、生々しい感情がほとばしるようだった。離婚の後始末に葛藤しながら前に進もうとしているのだろうと想像したりもした。
 そんな彼女がしかも、結婚より前にレイプの被害に遭っていたというのだ。相手はマイケル・ジラ。一回り以上年上のミュージシャンで、プロデューサー。そこそこ有名なミュージシャンが属するレーベルを持っていて、そこから彼女はアルバムを出していた。レイプが起きたとされる年に。
 彼女の発表をジラは「名誉毀損に値する嘘」といいつつ、二人の間で「ロマンチックな瞬間」があったことはあったと、認めているのか言い訳なのかわからない声明を発表した。そのあと彼女はソーシャル上で、激しく炎上した。嫌がらせのコメントやメッセが雪崩のように流れこむ様子は、友人たちの応援メッセージを軽くかき消すほどの勢いだった。
 トランプの「プッシー・グラブ」発言のときに、ラーキンのことを思い出した。あの凛とした強気の彼女が、レイプの経験、そしてそれを発表するという体験を経て、どうやって前に進んでいるのだろうか、自分の被害者意識とどう折り合いをつけているのだろうか、と。何年も会っていない彼女に、あの事件の話を聞きたい、と突然連絡するのもどうなのだろうと躊躇していると、彼女のほうからアルバムを出すという連絡があった。すぐに返事をして、会うことになった。

 6年ぶりに会った彼女は、昔よりも肩の力が抜けた感じの大きな笑顔で、約束したウェストビレッジのコーヒーショップに入ってきた。調子はどう?と聞くと、すぐに長い答えが返ってきた。
「20代の私は、きっと心のどこかで、自分には30代で賞味期限がきてしまうのだと思っていた。ところが賞味期限だと思っていた年齢になったら、前より自分に自信を持てるようになったし、自分や周囲の人のことを大切に扱えるようになった。若い頃は、自分の才能に自信がなかったから、自分の音楽に興味を示されると、自分が若くてかわいいから興味を持ってくれるのだろうかと疑った。今の自分は会場で一番若い女でも、一番かわいい女でもないけれど、実力があるからライブハウスに呼んでもらえる。ずいぶんラクになったと思う」
 そこから話は自然に事件のほうに向いた。27歳のときに起きたこと。アルバムのレコーディングの最中、プロデューサーが妻や子供と暮らす家に住まわせてもらっていた。30年近く年上のプロデューサーとは、家族のような付き合いをしてもらっていると思っていたが、それが徐々に変わってきた。
「彼はいつも、君はリップを塗ったほうがかわいいよとか、あそこの毛は剃るべきだとか、仕事仲間に言うべきでないようなコメントをするので、そのたびに不快感を感じていたけれど、普通の会社じゃないから守ってくれる人事部があるわけでもないし、どうしていいのかわからなかった」
 セクシャルなことを言われると、笑ってごまかしたり、相手の妻の話を出したり、年の差を指摘したりした。ちょっと魅力的な女を見れば、すぐにやろうとするタイプの男だと思っていたから、自分に特別な興味があるようにも思えず、それほど警戒もしなかった。それが大きな間違いだったことがわかったのは、ある夜、彼に犯されて目を覚ましたからだ。目を覚ました瞬間に、彼はしていた行為をやめて、離れていった。翌日、話をすると、起きたこと自体を否定された。
「それどころか、共同作業をするうちに男女が愛し合うのはおかしなことじゃない、とあたかも、私たちの間に恋愛感情が芽生えているかのように言われた。それは違う、私はあなたのことを愛していないと言ったけれど、聞いてもらえなかった」
 その時点で、警察に訴えたり、公表したり、レーベルを去らなかったのは、自分が多大なエネルギーをかけて作ったアルバムがまだ出ていなかったこともある。そして、自分の感情に折り合いをつけることができなかったこともあった。
「できることはないと思った。そのかわり『彼に誤解させることを言っただろうか』『あの夜酔っ払ったことが悪かった』と自分を責め、彼の妻に申し訳ないと思ったりした。自分の感情の整理をする間、曲を書き続けた」
 その頃書いていた曲は、起きたことや相手に対するリアクションを表現したものばかりだった。そしてラーキンは、そういう曲を、相手に送り続けた。彼は、そのたびに「この曲はひどくて発表できるものではない」と主張し、最終的には、レーベルのロースターから彼女を外した。
 結婚したのも、レイプされたという経験とは無関係ではなかった。夫の浮気のことを聞くと、彼女は肩をすくめて、軽い調子で言った。
「よくあることでしょ。振り返ってみると、私は、愛情からではなくて、恐怖心から結婚した。だから図体のでかい、ボディガードのような男。彼はニューヨークのストリートのすべてを教えてくれた。この街で、どうストリート・スマートに生きていけばいいかを教えてくれたの。男の浮気は起きるものだし、それは嫌だったけれど、でもやっぱり彼には感謝してる」
 レイプをされた経験を公表したのは、自分に起きたようなことが、若い20代の女性ミュージシャンたちに起きているのを頻繁に耳にするからだ。
「同意していないのに性交に追い込まれたり、レイプされた経験がある女性はどこにでもいる。本当に日常的に起きていることなの。そして名乗り出ない人のほうが圧倒的に多い。ノーはノーである、女性が同意をしなかったら無理強いをしてはいけないことを子供たちに教育するべきだし、女性はイエスとノーを混同しない、同意していないならそれをはっきり告げるなどの意識を強く持たないといけない。この社会の病気を止めるためには、被害者ひとりひとりがクローゼットを出て、声を上げないといけないと思った」
 他のプロデューサーたちが魔女狩りの対象にならないように、相手の個人名を出したけれど、ラーキンの目的はプロデューサーを吊るし上げることではなかった。けれど当然、彼とは声明の応戦になったし、この件は多数の音楽メディアに取り上げられた。
「ビル・コスビーの一連の事件を見ていたから、名乗り出るレイプの被害者は、ひどいコメントや嫌がらせの対象になることはわかっていた。だからネパールに2ヶ月間滞在し、毎日瞑想をして、それに備えた。それでも、実際の嫌がらせは、想像を遥かに超えるレベルだった。毎日、コンピュータを開ける前に長いこと瞑想して、レイプについての意識を変えるという大きな目的に集中しようと自分に言い聞かせた。公表したことで被ったダメージは、レイプのダメージよりも大きかったと思う」
 お茶を飲んでこの話をしたその数日、ラーキンは、フェイスブックのアカウントを閉じた。「やめます」というポストを見て、あわててタイムラインを遡ると、知らない人からの「猿」「ビッチ」などというメッセージのスクリーンショットが貼られていた。公表して1年近くが経ったけれど、まだ彼女は、この現実と葛藤しているのだ、とハッとした。

 

 ラーキンと会った直後、あるメールが受信箱に届いた。
「エマ・サルコウィッツのパフォーマンスに招待します」
 聞き覚えのある名前だなとググってみると、メディアで何度も見かけたマットレスをかつぐ若い女性の写真が出てきた。白人とアジア人のハーフで、タイム誌の表紙を飾ったこともある。いっとき、世間を賑わせた事件の関係者のひとりだった。メールを読むと、ショーはすでにソールドアウトになっているけれど、特別に招待したい、出席できる場合は、7時から9時まで現場にいてほしいと書いてある。差出人は、ブルックリンの若手ギャラリーだった。喜んで出席します、と返事をした。
 エマが世間に注目されたのは2014年のことだ。コロンビア大学でアートを専攻していた彼女は、ある日から、マットレスを担いで移動するようになった。それは「Mattress Performance : Carry that weight(その重みを持ち歩く)」と題したアートプロジェクトの体裁だったけれど、自分を前の年にレイプした学生と「同じ学校に通わなくなる日まで」、つまり男子学生が自ら学校を去る、退学処分になるか、さもなくば卒業式までキャンバス内の移動を続けるというステイトメントがついた、ひとつの抗議運動でもあった。
 彼女の主張によると、「レイプ」は同意のもとのセックスとして始まった。男子学生とは、それ以前にも二度、セックスをしたことがあった。けれど、行為が始まると、彼はエマの顔をひっぱたいたり、首を締めたりした。抵抗すればするほど、相手はさらに喜んで、そういう行為は激しくなり、最終的には押さえつけられてアナル・セックスを強要された。エマは、数ヶ月は何も言わなかったけれど、他にも同様の被害にあった女学生が何人かいるのを知り、大学に被害を届けた。
 男子学生は、「同意の上で起きたこと」として「レイプ」であることを否定した。コトが起きてから時間が経っていたこともあり、結局のところコロンビア大学は、調査ののちに男子学生のことを罰さないことを決めたから、彼女はマットレスを担ぎ続け、卒業式にはレイプの被害を受けたことのある複数の女子学生とともにマットレスを担いで出席した。
 このきわめてパーソナルな「作品」は、アートの世界では一部の例外をのぞいておおむね高く評価された。アメリカではこの数年、キャンパスにおけるレイプが問題になっている。それもあってエマはメディアの引っ張りだこになり、政治家に招待されて記者会見を開いたこともあった。けれどもちろん同時に、おそろしいコメントや中傷に晒された。
 あれから2年が経った。エマのパフォーマンスの会場であるブルックリンのライブハウスに足を運んだ。照明を暗めに落とした会場の入り口で受付を済ませる。
「今夜はエマがお客さん全員と一対一の会話をして、全員が終わったところで話をしますから、終わりまで退出しないでください」
 会場に入ると、30人くらいの「観客」たちが飲み物を片手にそれぞれ歓談している。パフォーマンスというより、カジュアルなパーティといった雰囲気だ。
 近くに立っていた女性が話しかけてきた。フィラデルフィアのギャラリーで働いていて、来年エマとプロジェクトをやろうとしている。彼女に会うチャンスはなかなかないから、バスに乗ってきてやってきたのだと言う。その他、エマがコロンビア在学中に大学院にいたというアーティスト、オーストラリア人のジャーナリスト、リベラル系の新興メディアとして力を伸ばしている<MIC>のエンジニアーー現場にいる人のほとんどが知らない同士のようだった。けれど、知らない同士の会話は必然的に、エマのこと、そしてレイプのこと、キャンパス・レイプの蔓延に移ってく。
 しばらくすると、エマが私に近づいて肩を叩き、さりげなくグループから私を引き離した。
 私が自己紹介をすると、知ってる、というように頷いた。私が以前やっていたオンラインのバイリンガル媒体<パラスコープ>が好きだった、と。そして、私の手首に、クラブやライブハウスなどでお金を払ったことを示す紙のブレスレットをつけながら、今夜の「パフォーマンス」について説明する。
「自分が私にどんな印象を与えたかを推測して、形容詞を書いてみて。私は、自分があなたにどんな印象を与えたかを推測して、その形容詞を書いてみるから」
 その時点ですでに、エマの手首には形容詞の入った何十本ものブレスレットがついていた。シャイ、イージーゴーイングというように。数分の「対面」のあとに、エマはまた別の出席者に移っていった。
 2時間にわたる歓談時間のあと、エマがスポットライトの下に立って、スピーチをした。このパフォーマンスのテーマは、自分の身を守る鎧としてのアイデンティティ。パーティのような見知らぬ人たちと混じり合う場所で、自分たちはどんな印象を相手に与えようとするのか、どう見られたいのか、そしてその会場の外に出たとき、自分が感じるアイデンティティとどう違うのか。哲学者やジェンダー研究家の言葉を散りばめたスピーチのあと、
「パーティが終わったとき、その環境で自分が表現しようとするアイデンティティと、パーティの外で自分が感じる自己像が残る。それは両方とも本当の自分」
 他者から見られる自分、世間の目に投影される自分と、自分だけが知っている生の自分。これからエマはどこに行っても、「マットレスの子」というフィルターで見られるのだ。良くも悪くも。そういう自分とどうやって折り合おうとしているのだろう。

  その数ヶ月後、エマをお茶に誘った。様々なインタビューを散々読んだけれど、やっぱり自分の耳で聞いてみたかったから。
 彼女が指定してきたユニオン・スクエアのカフェは、約束した土曜の昼下がりには、あまりに混雑していて、とても親密な会話をできる雰囲気ではなかった。別の店にテーブルを確保したけれど、それでもレイプの話を堂々とする感じだろうかとちょっと心配になった。隣に乳児と一緒の家族連れがいたけれど、エマは意に介さない様子で話を始めた。
 パフォーマンスのときにはそれほどでもなかったけれど、二人で会ってみると、エマもまたどちらかといえばトム・ボーイだった。子供の頃から運動は得意だったし、科学に強かったから、女子よりも男子たちに囲まれて育った。さばさばとした話し方をし、合間によく声をあげて笑う。最近の活動の話や、ニューヨークについての雑談から、「事件」の話になった。
 エマもまた、ラーキンと同様、自分以外にも被害者がいることを知るまでは、レイプを公表しないつもりだった。そのことに水を向けると、
「それに気がついてくれてありがとう。一人で戦ってなんて勇敢なの!って言われるたびに違和感を覚えていた。自分ひとりだったら、何も言わずに、対自分で、起きたことに向き合って、それでいいのだと思ってた。自分は強いからこれぐらいのことはハンドルできるって。でも、他にも同じ目にあった学生がいるって知って、私ひとりの問題じゃないと思った」
 レイプを学校に届け、夏休みに入って、起きたことと向き合うプロセスのなかからマットレスのパフォーマンスのアイディアが生まれた。
「その夏、イエール大学のレジデンシーに参加した。ちょうどその頃から写真や動画を使った表現をするようになって、家具などの重いものを動かす自分を映像に撮るようになった。そこから、マットレスを自分で動かすようになって、あ、私がマットレスを作品に取り込んだのは、レイプの件があったからだ、と気がついた」
 ユダヤ人の父親も、日本人と中国人のハーフである母親も、心理学者だったから、幼少の頃から、自分の発言や行動を分析する癖がついた。
「だから言葉を発する前に、自分の気持ちを慎重に分析してからモノを言う人間になった。でも、アートは私にとって逆の存在。内側から湧き出てくるアイディアを吐き出してから、なぜ自分がそのアイディアを思いついたのかを考えながら、構築していく。何もないところからひとつのコンセプトを表現するために、マットレスを運ぶ、学内の移動は必ず運ぶ、というように具体的な実行ルールを決めながら」
 マットレスは、自分の寮の部屋というプライベートな空間で、抵抗しながらも犯された経験の象徴的な存在だった。23キロもあって持ち上がらないほど重いわけではないけれど、常に携帯するには負担になる存在だ。レイプされた、という痛みを抱えて日々生きることのメタフォーになった。
「コープ(対処)するために、自分の経験をアートにしたのだと思う?」
と疑問を投げかけてみた。cope with 、deal with、精神的な問題と取り組むことを話すときによく使う動詞だ。
「正直なところ、コープする、ディールする、というコンセプトを信じているかわからない。その先には、最終的に『癒やし』が待っていることが前提になっている考え方でしょう? 完全に癒されることなんかあるんだろうか?」
「マットレスのパフォーマンスをやって、気持ちはラクになった?」と聞かれることがある。「もちろんそんなことはない」と答えている。日々、普通に暮らしているけれど、奥底の感情ではまだ傷ついている。
 そして公表したことによって、さまざまな中傷誹謗に晒された。嘘つき、ビッチというタイプの罵りもあれば、「おまえのビデオを見てオナニーしてるぜ」というタイプのものもあった。
「それまで存在することすら知らなかった罵り言葉を覚えた。酷かった。でも結局、自分の『対処法』はこれ。表現すること。こんなこというと絶望的に聞こえちゃうかもしれないけれど……」
 まったく絶望的ではない調子でエマは言った。
「私たちはみんな、どこか壊れていて、ずっと壊れた存在のまま生きていくんだと思う。だから表現をやめることはできない。ひとつの傷から立ち直ることができたとしても、他にもいろんな問題があって、だから人間はいつも、新しい傷との立ち向かい方を探すんだと思う。こういう考え方は、軟弱だと思うけれど」
 そういう彼女は軟弱なんかじゃなかった。ひどいことが起きて傷つき、それに異議を唱えたら公開処刑にあったようなものだ。でも目をそらさずにそれと立ち向かってきたのだと思った。
「立ち向かうことがエマのやり方なのかもしれないね」
「自分に皮膚がないのではと思うほど敏感でエモーショナルな性格だと自覚してる。私の人生の対処法はなんでもめいっぱいに『感じる』ことなんだと思う。感じなくなってしまったら表現なんてできないでしょ?」

 ふたりのストーリーには共通点がたくさんあった。相手がある程度の人間関係のある相手だったこと、相手の認識と自分の認識がまったく違うこと、自分以外の被害者がいることが立ち上がる理由になったこと、表に出たらひどい嫌がらせやコメントに晒されたこと、でもそれを表現することで、折り合いをつけようとしていること。
 ラーキンに会う前には、日々、強く生きようと自分に言い聞かせてがんばっているのに、被害者になったときに、被害者意識とどう折り合いをつけるかのヒントをもらいたい、という甘えた気持ちを持っていた。でも、ラーキンと、そしてエマとゆっくり話して、自分は甘かったと気がついた。
 今もふたりは、強い女だったはずの自分がはからずもひどい性的な事件の被害者になってしまったという厳然たる事実と、日々向き合っている。その事実から被る痛みを感じて、自分なりに表現に変えることで折り合いをつけている。そしてきっと自分も、似たモチベーションで、こうやって今、文章を書いているのかもしれない。 

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