北インド各地の仏跡を巡りながら瞑想をする、という紀行本を作る仕事のため、12日間ほどインドに滞在しておりました。

 インドであろうと日本であろうと、坐禅瞑想は「今、この瞬間」に気づきを向け続けるだけであって、何ら変わりはありません。その意味では、ガンジス河のガートで瞑想しても、ブッダガヤで瞑想しても、クシナガラで瞑想しても、意識の表面に現れてくる思念がブッダの生涯や教えに関することになりがちという程度の変化はありましても、それらも結局は思考にすぎません。だそれらの思考にのめりこまずに、気づき、見送っているだけです。

 ですから、仏跡を巡ることそのものにはあまり大きな意味は見出せなかったのですけれども、インドの気候・風土や人々の有り様に触れることが、日常を瞑想的にすごすために、良質の刺激を与えてくれることに気づきました。

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小池龍之介『解脱入門―ー究極の悟りへの道』

嘘だらけの私。隙あらば自慢する私。怒ってばかりの私。己の内面に目を向けたとき見えてくるのは、そんな醜い私ばかり。でも、そんな「私」というものは、そもそも存在しないのです――その真理に至った著者は、仕事を捨て、住所を捨て、外界との連絡を絶ち、2500年前のインドの修行僧と同じ、野宿の瞑想生活に旅立った。すべての煩悩を滅却した究極の悟り、すなわち「解脱」を目指して。10年以上におよぶ修行の日々から得た気づきと、さらに深い修行に入る覚悟を記した、「小池龍之介」最後の書。