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2016.12.01

カリスマ主君亡き後の時代を生きる、戦国武将・池田恒興の苦悩。

谷津矢車『信長さまはもういない』

細谷 正充

谷津矢車『信長さまはもういない』

 『信長さまはもういない』谷津矢車
光文社刊/本体1400円+税

 本を開くまで、どんな物語が飛び出してくるか分からない。谷津矢車は、びっくり箱のような作家である。最新刊である本書もそうだ。戦国武将を主人公にした歴史小説なのだが、こんな切り口があったのかと、大いに驚かされたのである。

 何に驚いたのか。まず、池田恒興を主役にしたことだ。織田信長に仕え、本能寺の変後の激動を乗り切りながらも、小牧・長久手の戦いで徳川軍に敗れ、戦場に散った男である。歴史の転換期に深くかかわりながらも、不思議なほど取り上げられることのなかった恒興を描き切ったところが、注目されるべきポイントであろう。

 しかも、本能寺の変後の恒興を描き出すための、仕掛けがユニーク極まりない。明智光秀の謀反により主君を討たれ、茫然自失の恒興。すべてを信長に頼り切っていた彼は、自分たちがどうすべきか決められない。そんな彼が縋ったのが、姉川の戦いに勝利した後、信長から与えられた覚書だ。これを“秘伝書”として、記されている信長の言葉を行動指針にしたのである。本能寺の変から山崎合戦、そして清洲評定と、要所で秘伝書を使った恒興は、結果的に歴史の動きに寄与していく。だが彼は、秘伝書を渡したときの信長の、不満げな態度が気にかかっていた……。

 カリスマ経営者を失って、先行きが見えなくなった会社の中で、右往左往する部長。恒興の立場を今風にいえば、このようなものになるだろう。信長という巨大すぎる存在に寄りかかって、ビジョンを持たずに生きてきた彼は、秘伝書の言葉に従うしかない。そこに至るまでの恒興の苦悩や、彼の言動が周囲に誤解される様が、時にコメディ・タッチで綴られていく。秘伝書というネタを投入することで、よく知られた戦国の歴史が、こんなに愉快に読めようとは。谷津矢車を、びっくり箱のような作家という所以は、ここにある。

 そしてラスト、秘伝書に頼ってきた恒興は、ある決断を下す。そこから伝わるメッセージは、普遍的なものだ。でも、先行きの見えない現代に生きる、私たちの心に強く響く。だから本書は、今の日本が求める、戦国小説となっているのである。

「小説幻冬」2016年12月号より)

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『信長さまはもういない』谷津矢車
光文社刊/本体1400円+税
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「小説幻冬」2016年12月号
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