伊豆天城山で女たちの駆け込み寺「サンガ天城」を運営し、たくさんの悩める女性を救ってきた尼僧・戸澤宗充さん。著書『すべてを喜びとする。駆け込み寺庵主の「引き寄せ」問答』より、頑張ってるあなたの小さなモヤモヤをすっきり解消する問答をお届けします。


 それなりに不幸を味わってきた人間が、人並みに幸せを手に入れると、「また不幸になるのでは」とこわくなることがあります。一方、それほど苦労せず、不幸を味わわず幸せを手に入れた人間は、幸せに酔うばかりで、他人の苦労や不幸に思いが至りません。私が、そうでした。私が人生で一番幸せだったころ、言葉の刃で母の心をえぐってしまったのです。

 結婚し、子宝にも恵まれ、幸せそのものだった私は、厳寒の満州で苦労した母のことはすっかり忘れて自分の幸せに酔っていました。きっとそれが、母にとっては寂しかったのでしょうね。ある日、ぽつりと言ったのです。
「あんなに苦労して育てたのに」と。
 それを聞いた私はこう言いました。
「あのときは、日本中の人たちが苦労をしていた。お母さんだけじゃないでしょ」

 今でもそのときの光景が目に浮かびますが、母はりんごを剥いていたんですよね。でも、私の言葉を聞いた瞬間、そのりんごを投げつけて、包丁も投げ捨てた。そして家を飛び出した。本当に苦労したんでしょうに、それをね、偉そうにわが娘に、「お母さんだけじゃないでしょ」なんて言われて、それは悔しかっただろうと思います。すぐに追いかけて、あちこち探していたら、近所の方が「線路を歩いていたよ」と教えてくれました。きっと自殺しようとしたんだと思います。でも、田舎ですからね、電車が一時間に一本もないの。おかげで、死ねなかったんでしょう。その後、もちろん必死に謝りましたけど、あのひと言は、本当に言葉の刃だったと思います。

 あれから、私も夫に先立たれて、ひとりで子どもたちを育てましたから、母の苦しみというのはよくわかります。時間を巻き戻せるなら「ありがとう、こんな私をよく育ててくれたね」と言いたいです。

 幸せというのは、霧のようなもので、周りを見えなくすることがあります。霧が濃ければ濃いほど、周囲はかすみ、自分の目の前しか見えなくなる。それって、実は恐ろしいことではないでしょうか。幸せなときほど、きちんと周りを見渡し、自分を支えてくれている存在に感謝をする。その気持ちを常に忘れず、生きていきたいと思います。


幸せなときは
他人の不幸に鈍感に
なってしまうことがあります。

今ある幸せは誰のおかげだろうか? 
つないだ手の先に広がる、
すべての物事に感謝しよう。

 

この記事をシェア
この連載のすべての記事を見る

★がついた記事は無料会員限定

関連書籍

戸澤宗充『すべてを喜びとする。 駆け込み寺庵主の「引き寄せ」問答』
→試し読み・電子書籍はこちら
→書籍の購入はこちら(Amazon)