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2016.11.10

第13回

母になった不良少女(前編)

佐久間 裕美子

母になった不良少女(前編)

I Don't Know How She Does 
 2002年にアリソン・ピアソンという作家が発表した小説のタイトルである。二人の子供を育てながら、仕事と家庭の両立に奮闘するヘッジファンドのマネジャーが、大きな仕事のチャンスを与えられたことで、家庭がほころびそうになるのだがいかに? という物語である。
「ケイト・レディは負け犬じゃない」とちょいと納得いかない邦題に訳されたこの小説は、2011年には映画され、「ケイト・レディが完璧(パーフェクト)な理由」とこれまた納得いかないタイトルを与えられた。サラ・ジェシカ・パーカー主演のこの映画は、アメリカではかなり厳しい評価を受けた。映画評価サイト<ロットン・トマト>では、トマトメーター・クリティック(評論家)の間でのポジティブ評価は17%で、一般オーディエンスのポジティブ評価は34%だった。
 映画は駄作だったとしても、このタイトルが表現するものはリアルだ。母親という役割と、妻という役割と、仕事と、自分という存在との向き合いを、与えられているだけの時間のなかで「彼女がどうやってやりくりしているのかわからない」という心からの感嘆。初めて自分の友だちが子供を産んだときから、何度も、何度も頭に浮かぶフレーズでもある。
 たとえば世界最大の建築事務所で中国の大型ビルを担当するという仕事ライフと、ふたりの子供を育てるという母親としての義務を、極度に睡眠を削るという方策でやりくりしている大学院時代のルームメートだったアンジェラが、「子供の学校の活動もきちんとやろうと思って、専業主婦のお母さんたちに負けまいとムキになっている自分に気づくの」とため息をつくのを聞いたとき。たとえばレストランを経営するシングルマザーのれいかちゃんの家で飲んだくれた挙句に、彼女のリビングのソファで寝てしまった翌朝、彼女が7時に起きてお弁当を作る音で目覚めたとき。たとえば有名メゾンに勤める後輩が、出産直後に自宅で寝ずに仕事をしていて、過労で倒れて救急車で運ばれたという話を聞いたとき。乳児を抱えた女友達が、妊娠時代からの浮気が発覚した夫を追い出し、シングルマザーの道を選びながら、間髪入れずに自分のアートを追求している姿を見たとき。
 そういう女友だちが弱音を吐いている姿を見たことはほとんどない。だいたい辛い思いというのは、コトが終わってから聞くものだ。

 しばらく前に友達のラケルに会いに行った。ラケルは、モデルで、アーティストで、母親だ。5年ほど前に友達のギャラリーで個展をやったときに知り合った。「live free in hell」(地獄を自由に生きる)というタイトルがついていた。
 当時の彼女はまだ20代前半で、男性モデルに特化する事務所に唯一の女性モデルとして、異彩を放つ活動をする一方、ポラロイド・カメラで自分や家族の写真を撮っていた。スウェーデン人の母親と、アメリカ人の元ボクサーの父親との間に生まれ、ティーン時代にドラッグ中毒になって施設に入り、そこから少しずつ自分を発見してきた彼女の撮る写真は、生々しく、正直で、自由で、衝撃的だった。ヴィンテージのライダース、タトゥー、中指、アメリカ国旗、ヌード、ストーナー・メタル……彼女の世界を構成するものたちは、泥臭くて荒々しいけれど粋だった。当時作っていた、インディ媒体PERISCOPEのためにインタビューを録ることにした。
 彼女はその作風にたがわず、赤裸々が歩いてきたような性格だった。会ったばかりだというのに、刑務所から出所してきた父親を迎えにいった日の写真、母親とケンカをして泣いたあとのセルフ・ポートレート(自分を撮るのは悲しいことが起きたことが多いようだった)、それぞれの写真を撮ったときの状況や感情を、忌憚なく話してくれた。

 すぐに好きになったのは“不良”だと思ったからだ。“不良”と日本語でいうと聞こえが悪いけれど、ティーン時代や20代に、自分を見つけられずに悶絶したり、修羅場をくぐり抜けてきたタイプは、ニューヨークのような場所に順応しやすい。それにしても彼女の物語は壮絶だった。長いこと自分という人間を見つけられずにいたティーンエージャー時代、自分を傷つけるため、感覚を麻痺させるためにドラッグやアルコールを選んだこともあったけれど、表現の方法に出会えたことで救われた、というストーリーには、あまりにたくさんの苦行や涙が含まれていて(たとえば子供の頃、外国人の母親と二人きりだったこととか、砂漠の更生施設に送られて、猛暑のなか地獄のような修行をしたとか)、まっすぐ私の目を見て、その生生しい感情をシェアしてくれるラケルが、佳境を生き残っただけでなく、怒りや悲しみを作品に変えることができることは奇跡にすら思えた。  
 長時間に渡るインタビューというある種の共同作業を終えたあと、話を聞いた相手と友情のようなものが芽生えたことに気がつくことがある。そしてその友情関係は意外に長く続く。彼女はそういうケースのひとりだった。それからときどき仕事をお願いしたり、お茶を飲んだり、家に遊びに行ったりした。
 しばらく経って、妊娠した、出産するという連絡があった。もちろんうっかり妊娠である。父親はしばらく付き合っているボーイフレンドで、結婚する予定もない。けれどラケルの言葉には、迷いは一ミリもなかった。せっかくだから、妊娠中にもう一度、話をしようということになった。
 キリリとした様子で「これまで私の表現は、いつもそのときそのときの自分を反映してきたし、メスとして生まれた少女が女性になりかわろうとすることがテーマだった。それがこの先どう変わって行くのか楽しみ」と言ったと思ったら、急に蕩けんばかりの表情になって「でもほんとは、彼女がkick ass(パワフル)な子になってくれれば、他に何も望まない」と笑った。
 だからインタビューには「ブラック・シープのマザーフッド」というタイトルをつけた。白い羊たちばかりがいる社会に馴染めないなかでいつも流動的に変わり続ける「自分」に向き合うために写真を撮ってきた彼女が、母親になろうとする瞬間に触れることができてよかったと思った。

 生まれた子供にイーグルという名前をつけたと聞いて、そういえばラケルの表現する世界では、イーグルはおなじみのモチーフなのだと思い出した。女児の名前としては意外だけれど、常識に縛られない彼女の“kick ass”な女の子になってほしいという願いにぴったりな名前だと思った。イーグルが生まれて数ヶ月した頃に、ブッシュウィックのアパートにお祝いをもって遊びにいった。その後もときどき、お互いのソーシャルメディアで見た近況のフォローアップをテキストでしたり、道端でばったり会って喜び合う、という程度の付き合いが続いていたけれど、今度飲みに行こう、という約束はなかなか果たされないまま、早くも3年ほどが経っていた。
 ブッシュウィックの彼女のアパートの向かいにあるコーヒーショップで落ち合った。イーグルはすっかり成長していて、お姫様のようなオーガンジーのスカートを履き、絵本を読んでいる。
「毎日お姫さまのような洋服を着たがるの。この私からガーリーな子供が生まれてくるなんておもしろいと思わない?」
 背は低いけれど、端正な顔立ちをした年上の白人男性が入ってきて挨拶をし、ラケルに事務的なことを伝達して、またカフェを出ていった。
「あれは今の彼。庭に芝生をひこうと業者に頼んだら、思っていたより大掛かりな作業で、邪魔になると思ってイーグルを連れて出てきたの」
 以前会ったことのある、イーグルの父親とは違う人だった。
「イーグルのパパとは2回別れた。初めての別れのときには、すぐにまたもう一度トライしようということになった。心の底で、もう二人の関係は修復できないことをわかってはいたけれど、『これからどうやって子育てと向き合っていこう』と半ばパニックだったから、子育てを一緒にやってくれる人がいることが大切だった」
 そしてラケルは言った。
「それにあの時の自分は『子供が生まれる前の自分』の死に向き合うだけでいっぱいいっぱいだった」(後編に続く)
 

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