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2016.10.29

広島・黒田は第2の黒田を作れ

広岡 達朗

広島・黒田は第2の黒田を作れ

 広島東洋カープの黒田博樹が引退を表明した。日米で20年間投げ続けた41歳の決断である。
 野球に限らず、スポーツマンの引退ほど難しいものはない。名横綱の千代の富士は「体力の限界。気力もなくなり・・・」と語って涙を流した。王貞治は「王貞治としてのバッティングができなくなった」と言って40歳でバットを置いた。
 これまでは打てた中日の投手の球が「ものすごく速く見えた」ので限界を悟ったという。

 黒田は引退発表の記者会見で「いつごろから引退を意識したか」と聞かれて、「2、3年前から毎年、そういう気持ちでシーズンを迎えていた。
 本当に考えだしたのは今年の9月過ぎから。優勝が決まってから本格的に自分で考えだした」と語った。

 しかし私が注目したのは、会見後に語った次の言葉である。
 「いままで先発して完投してというスタイルでやってきて、9回を投げられない体になったというところで、やっぱりほかの選手に対しての示しというか、そういうのを見せられない歯がゆさというのは非常にあったので」

 黒田は、特別速い球を投げる投手ではない。140㌔台の直球とスライダー、スプリット、ツーシーム、カットボールなど、多彩な変化球をコーナーと低めに投げ分けて先発投手としての役目をはたしてきた。

 ヤンキース時代、立ち上がりに失点しても諦めず、粘りのピッチングでエースの座を守ったのは、常に完投をめざして投げたからだろう。
 

「完投できない体」で引き際を決断

 日米で203勝した足跡を見ても、渡米前の広島時代は11年間で完投74。ドジャースとヤンキースの7年間は完投が6と少ないのは、大リーグが先発・中継ぎ・抑えの完全分業制のためだ。それでも5度2ケタ勝利を飾った安定感は、黒田がアメリカでも常に完投するつもりでマウンドに登った証である。

 しかし、古巣・広島に戻ったこの2年間に完投が2回しかないのは、黒田が告白したように「9回を投げられない体になった」からだ。

 いまの野球は、先発は5回投げればあとは中継ぎと抑えでなんとかなるということになっている。これはアメリカの真似をしているだけだ。

 メジャーリーグは平等を大原則とする多民族社会である。エージェント(代理人)の力も強いので、どうしたら選手が長続きできるかを考えている。「先発投手は100球投げて4日休むと1シーズン順調に投げることができる」という100球理論があって、5人の先発投手を中4日で回すローテーションが確立している。

 しかしこの100球理論の背後には、「契約投手に無理をさせず、できるだけ長く現役を続けさせたい」というエージェントの思惑もある。だから調子のいい投手を100球以上投げさせたり完投させる監督は、エージェントがクレームをつけて首にすることもあるのだ。

 このように、メジャーのやることはすべてに理由と根拠がある。ところが日本は100球理論だけ猿まねをしてローテーションもあいまいだから、先発投手が1週間も10日も間隔を空けて登板したりする。
 

メジャーでのエース体験を後輩たちに教えてほしい

 だから黒田のように、「先発したら完投するのが投手の使命。その完投ができなくなったので辞める」と惜しまれて去るのは立派なことだ。私は「いまどき珍しい。こんな男がいるんだ!」と感心した。
 引退会見のあと、黒田はホッとした表情で「引き際を決めるのは大変だ。引き際を間違えないように一生懸命やってきた。よくできたと思う」と語ったが、その通りだと思う。

 私が20代のころから師事してきた人生哲学者の中村天風は、「人は誰でも、この世の進化と向上のために生まれてきたのだ。どんな社会や境遇の人でも、生まれてくる価値のない人間などいない」と言っている。

 黒田もこれからは指導者として、メジャーでのエース体験を後輩たちに教えてほしい。そして「第2の黒田」を育てられれば、人間としても野球人としても本物だ。黒田には、野球界の進化と向上のために尽くす第2の人生があり、義務がある。

 

 

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