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2016.10.20

第12回

「ほしいかほしくないか」のタイムリミット(後編)

佐久間 裕美子

「ほしいかほしくないか」のタイムリミット(後編)

 ジュディは、最近、5年ほど付き合ってきたボーイフレンドと別れた。その顛末はこんなことだった。ある日、仕事で疲れて帰ってきたジュディは、彼に、ブライトンビーチにボルシチを食べにいきたい、と伝えた。ブライトン・ビーチは、ブルックリンの果て、海沿いにあるロシア系の住民が多数住むエリアだ。
「We can’t afford it (そんな余裕なんかないだろ)」
 彼はアーティストで、特に生計を立てられるような仕事をしていなかった。真偽のほどは定かじゃないが、一生暮らしていけるだけの額ではないけれど、小さくない規模の遺産を受け取ったから仕事をしなくていいのだ、という噂を聞いたことがある。
 その彼から「外食する余裕はない」と言われて、彼女はキレた。
「これだけ一生懸命働いているのに、仕事をしてない人間に、外食する余裕がないなんて言われたくない。がんばって働いているんだから、食べたいものを食べたいときに食べるくらいの贅沢はしたい」
 過去の付き合いのなかで、何度も、ついたり離れたりを繰り返した二人だった。周りの友達は、多かれ少なかれ、「またすぐに戻るだろう」と思ったはずだ。40すぎて何年も経ったところで何年も付き合ってきた彼と別れるのはきっと簡単なことじゃない。けれど、今回のジュディは違った。
「今まで、この年でひとりになってどうするの? そういう気持ちが自分のなかにあったから、何度もヨリを戻してきたんだと思う。でもね、自分がもうダメだ、別れたい、と思ったときに、別れることができて、そのあと自分ひとりで生きることができて、その自分の選択を受け入れることができる、美しいことだと思わない?」
 まだ未練を捨てきれない彼は、彼女の父親に「彼女を説得してほしい」と頼んだという。彼女は、連絡してきた父親に、別れると決めた理由を丁寧に説明した。黙って聞いていた父は、最後にこういったという。
「女性の君が、自分がどういう人生を送りたいかをわかっていて、自分の人生の主導権を握れる、そのために勇気の必要な決断をすることができる、すばらしいことだと思う」
「父が、初めて、私の人生の決断をほめてくれた」と、ジュディは喜んでいた。
 結婚することも、しないことも、子供を持つことも、持たないことも、自分の決断ですればいい。「これが幸せへの道」というほど単純なものではないのだ。問題は「自分の道」を見つけることだ。可能性は無数にある。だからこそ、デザインするのが大変なのだけれど。

 今年、夏が始まる直前から、「今年は絶対にブライトン・ビーチに行こう」とジュディに誘われていたのに、二人ともなんとなく忙しくて、実現しないまま、夏が終わりそうだった。
「信用して、最高だから。特に平日は。we HAVE to go」という言葉に、8月のある平日、ビーチ行きを強行することになった。
 ニューヨーカーが「ビーチ」というときに、どのビーチを指すかはどこに住んでいるかや属性によって変わる。ブルックリンの同年代のシングル人口が日帰りで行くビーチはだいたい、電車やバスでも行けるロッカウェイまわり、ファミリーや友達のグループが週末泊りがけで行ったり、夏の間長期的に家を借りるなら、ハンプトンズかモントーク。私たちよりも若いミレニアルズの間では、どういうわけかハンプトンズがアツい場所になっているという話も耳にした。
 いすれにしても人が「ビーチ」と言うときに、ブライトン・ビーチを指していることはまずないのだ。
 夏の間、何度かロカウェイのフォート・ティルデンという、5年ほど前までは知る人ぞ知る内緒のビーチと思われていた場所に何度か行って、その混雑具合にうんざりしていた。ジュディという人は、客観的にいって確実にヒップなのだけれど、彼女が好きなのは、古き良き商店街とか、誰も訪れないような天然石のトレードショーだったりするから、ボルシチを食べにいったことくらいはあるけれど、まだ体を横たわらせたことのないブライトン・ビーチのへの期待は高まっていた。

 その日の朝、ビンテージの折りたたみチェアとパラソルを持って、ブライトン・ビーチに出かけた。びっくりするほどがらがらだったから、眺めがよくボードウォークから近い絶好の場所を確保して、ビーチブランケットを広げた。椅子に座ってひといきついたところで、ジュディが言った。
「ほら、見て。最高でしょ」
 目の前には、おそらく70歳は過ぎていようというロシア人らしき老人のグループが座っていた。女性は露出の高いど派手なビキニを、男性はカバーするところの少ないスピード系のこちらもビキニをはいている。みんな、散々日に焼けすぎて、しわしわではあるけれど、明らかに楽しそうだ。手をつないでイチャイチャしているカップルもいる。
「勇気が出るね」
そう言うと、ジュディは深く頷いた。
「最高だって言ったでしょ。恐れる必要はないってことよ」
 

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