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2016.10.10

第11回

「ほしいかほしくないか」のタイムリミット(前編)

佐久間 裕美子

「ほしいかほしくないか」のタイムリミット(前編)

 最近、同年代、つまり40歳前後の女友達が次々と妊娠・出産して、これまで以上に、赤ちゃんや子供たちに囲まれるようになった。
 20代後半で、小学校から高校まで通った、「良妻賢母を育てる」ことをてらいもなく標榜する女子校の同級生たちが次々と子供を産んだときには、海外にいて離れていたからあまり実感がなかった。
 結婚して初めて当時の夫と日本に帰国をしたときに、同級生のひとりに「ユミは自分が一番だから、子供を産んで子供を育てるなんて考えられないでしょう?」と質問されたことがあった。大学を卒業して一度は就職したけれど、すぐに結婚して家庭に入った友人の質問に、一抹の悪意を感じるなとうっすらイラッとしつつ、確かに(その時の)自分にとっては、いろんなところに旅をして、知らない世界をできるだけ見るという以上に優先すべきことはなかったし、そう思われてもしかたがなかった。
 あれから15年くらいが経った今、自分の周りで起きている出産は、もうそろそろタイムリミット、というようなタイミングで「ほしいかほしくないか」を突き詰めて考えた結果、子供を産むことを決めたというケースが少なくない。妊娠といったら「やっちゃった!」結果だった時代から、時はあっという間に経ったけれど、妊娠は単なる間違いの結果でないどころか、実はそんなに簡単なものでもないのだということはわかる程度に大人になった。ほしいけれど、妊娠や出産に苦労する、そんな女性はまわりに少なくない。
 最近、ずっと私の前を走り続けてくれたひとつ年上のクリエーター女子が子供を産んだのでお祝いを持って訪ねた。一度めの体外受精のトライで成功し、女児が生まれたばかりだった。実は、体外受精と同じタイミングで、海外から、とても条件の良い仕事のオファーがあった。普段の仕事とはケタがひとつ違うくらいいい話だったという。体外受精にはけっこうなお金もかかるし、この仕事を受ければ経済な負担の軽減にもなる。
 普段だったら、凍結した卵子を戻すタイミングを翌月にずらして、仕事と体外受精の両方をとりにいっただろう、と彼女は振り返る。
「直感的にこの日じゃないとだめな気がした。そのタイミングでその話があったことに、なにかに試されているようで。選ばないといけない気がしたから、大きな仕事は諦めたんだよね」。
 惚れ惚れするような決断力である。もちろん科学的根拠はないけれど、あの決断は正しかったと思っている、と彼女は言う。授かる、というコンセプトに科学的根拠はない。けれど私たちの年齢で、仕事をしながら、子供もほしいと思ったら、強い意思がないとなかなかそこへはたどり着けないというのも本当なのだ。

 自分の場合でいえば、実際のところ、ほしいかほしくないかの決断を真剣に突き詰めて考えたことはこれまでなかった。ただやりたいことに夢中になって、自分の目の前にあることをひとつずつ片付けていたらこの年になっていた、それだけのことだ。いまだに半年先のことを考えようとすると頭が痛くなるし、アメリカにずっと暮らすかどうかについても意識的に決断をしたことはないので、計画性がない性格ということなんだろう。
 けれどよくよく考えてみると、女性は子供を産むのが当たり前、子供を産むことが幸せである、という価値観が優勢的な学校に12年も通った自分が、子供を持つことに重きを置かなかったのには、ニューヨークという場所や、自分のまわりにいた、特に年上の女友達から受けた影響が多大にあることは否定できない。
 たとえば、いまではこの街で一番古い友だちのひとりとなっているMは、子供を持つことは「自分の人生の優先順位には入っていない」とはっきりしていた。ヘッジファンドでばりばり働く年上の日本人の友人だって、出張に、プライベートの旅行に、といつも飛び回っていて、出産や育児といったトピックが話題に出たことすらなかったけれど、一度、「子供ほしいと思ったことはないの?」と聞いたら、冗談じゃない、というようにだまって顔をしかめた。最近、あのときの「あの嫌な顔さ」とその話題を出してみたら、理由を説明してくれた。「だって大変だよ〜。まわりを見回しても、子供がいてうまくいっている夫婦もほとんどいないし。それに、ほしいと思うときがきたら養子をもらえばいいと思っていた」
 人権派弁護士を父親に持ち、国際機関で働いていたこともある彼女らしい考え方だなと納得した。

 ニューヨークで子育てをするのは簡単じゃない。20代に結婚していたときは、この社会で生き残っていくことで精一杯だったから、子供どころじゃなかったけれど、仕事をしながら子供を持つことを想像して頭のなかでそろばんを弾き、かかるお金にゾッとした。
 ブルックリンに引っ越す前に住んでいたマンションでは、地階にデーケア(託児所)があった。早朝、いかにも仕事ができそうなハイヒールをはいたお母さんたちが、すでに疲れた顔をしながら、生後半年の赤ちゃんをベビーカーに乗せて連れてくる姿を見て、自分には絶対できないと心の中で頭を下げた。
 そうは言いつつ、ある年齢になったら体内時計が鳴り出すのだ、と言われていたから、結婚を求めてくれていた恋人と別れたときに、いざというときのために備えることにした。もう結婚はしないという気持ちだったから、親友(男)に持ちかけたのだ。
「今はそんな可能性は考えられないけれど、万が一、体内時計が鳴り出したら、精子を提供してください」と。
 結局、その瞬間は、少なくとも今までのところはやってきていない。けれど、若い頃、自分には絶対できないと思っていた偉業に、周りの友達が果敢に挑戦している。年もとったし、みんなの財力も年齢とともにあがった。
 友達が産んだ子供を愛でながら、ほしいかも! と思わない瞬間もなくはない。今の自分ならできるかもしれない、と一瞬思いそうになったけれど、ちょっと待てよ、と目が覚めた。今まで望まなかったことを、「決断の時間切れが迫っているから」という理由で、無理やりやる必要はないのだ。そういうことを思い出させてくれたのは、近所に住んでいるジュディだった。

 ニューヨークの地下鉄システムには、マンハッタンを通過しない地下鉄がひとつだけあって、それがクイーンズとブルックリンを結ぶGトレインだ。平日の昼間でも、延々20分も待たされるようなこともザラで、毎年ワースト路線に選ばれる不便さを誇る。私の暮らすグリーンポイントには、Gトレインと、それ以上に頼りにならないバスしか交通機関の選択肢がないから、毎日電車に乗るタイプの人たちには敬遠されがちで(だから自転車が重宝されるのだけれど)、そのおかげでマンハッタンからイーストリバーを隔ててすぐそこ、という物理的な距離の割には、長らく再開発が進まなかった。だからこそののんびりした空気が気に入って居着いたわけだけれど、そうはいっても、すぐ南のウィリアムズバーグがアーティストのコミュニティから若くてリッチな金融マンと大成功したクリエイティブ層の街に変貌する過程でどんどん地価が高騰し、何年か前からずっと長いことこのあたりに暮らしていた友人たちが少しずつはじき出されるようになって、今も近くでがんばっているご近所さんたちの数は、せいぜい両手で数えられるくらいになってしまった。
 ジュディはそんな昔からの住人のひとりで、クイーンズの北にあるロング・アイランドという島の郊外出身のユダヤ系女子だ。知り合ったのは5〜6年前だったろうか。背は低いけれど、出るべきところががっつり出た曲線的な体をしていて、いつもスタイルはカジュアルだけど、タトゥーだらけの胸の谷間の見せ方にインパクトがある。かつてはこのあたりにゴロゴロあったアーティスト・ロフトの数少ない生き残りのビルに住んでいて、少女といったほうがしっくりくる童顔のわりには、私よりもおそらくいくつか上で、ずっとニューヨークに住んでいる人なら知っている人も多い元祖パーティガールだ。夜の街で見かけることはずいぶん減ったけれど、結婚もせず、子供も産まず、ひとりで淡々とデザイナーを続けている。
 彼女のデザインする服は、スタイルはカジュアルだけど、フェロモンはしっかり出ているよう女性たちに支持されている。足は細く、おしりはまるまると、大きく見えるようにデザインされているからだ。写真を見ると、ジッパーがぎりぎりまでおろされていたり、ヒップが下からなめるように撮られていたり、彼女の描く女性像はエロスの極地でありながら、あっけらかんと明るい。去年、オンラインで見つけた男性器のイラストを気に入って、作者のアーティストをこの世の果てまで走る勢いで探し出し、Tシャツをプリントした。彼女の愛犬の名前は、ボーナー(勃起)で、やんちゃで横着な犬を「こら!ボーナー!」としかりながら追いかけ回す姿には、いつも笑わせてもらっている。セクシュアリティを過剰に表現する理由を聞いたことがある。
「子供の頃から、胸やお尻の大きい体型をしていたから、大人の男性たちに性的な目で見られることが多かった。堂々と頭を高く生きていきたかったから、屈辱を感じるかわりに、自分の肉体やセクシュアリティを受け入れよう、どこかでそういう意識があったから、こういう表現をするようになったのかなと、今振り返るとわかる」
 ニューヨークにはほどよく近く、この大都会の存在を強く意識しながティーンエージャー時代を送ったというジュディに、子供ほしいと思ったことはなかったの?と最近聞いてみたら、答えはこうだった。
「年をとって、結婚して、子供を産んで、そういう『普通の生き方』が嫌だったから、それ以外の可能性を求めて、ニューヨークにきたんじゃないの? そもそも私がニューヨークにきた頃は、結婚して、子供を持つなんて頭のおかしいヒッピーがやることだって空気感が流れていた。ブルックリンの歩道が、ベビーカーに占領される日がくるなんて、誰も考えなかったと思う」
 そうだった、最初の何年かは、子供を持つなんて考えもしなかった。だってみんなこの街にやってきたのは、何かを成し遂げるためだったから。(次回に続く)

 

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