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2016.10.05

第1回

「立ち退きを迫られてます」という電話からそれは始まった

平野 悠

「立ち退きを迫られてます」という電話からそれは始まった

 おそらく世界で初めての「トークライブハウス・ロフトプラスワン」が新宿の片隅にオープンして20年になる。小さくても、自由でかったつな表現を保障した創造空間は、私の遊び心から誕生した。

 今では全国各地に「トーク空間」が少しずつできてきた。炎はまだ小さいが、現在はそこそこの「トークカフェブーム」なのである。「トークライブハウス」と名乗るかどうかは別にして、それぞれが主義主張を持っている。週末午後の喫茶店やレストラン、書店の片隅、ガレージや教会など、いたるところで種々雑多な催しが開かれている。これは間違いなく新しいサブカルチャー文化の発信である。

 私たちがつくった新しい空間は、いわゆる上から目線の講演会形式ではなく、お酒が飲め、食事ができて、茶話会的だ。質問や異議申し立てがある自由な討論形式が基本となっている。こういった集会(イベント)は共通のテーマを持つ参加者と空間(場所)、それにマイクとプロジェクター(別になくてもいいが)があれば、いつでも誰でも開催できる。さらに、そのテーマと出演者をネットで拡散すれば、見知らぬ多くの人がその場に来てくれる。これらが今の日本の「サブカル文化」を支えていくのだろう。

 40数年前に、東京に1軒もなかったロック・フォーク系ライブハウスが誕生し、瞬く間に増殖・発展していった情景(今は全国に2000軒の音楽系ライブハウスがあるという)と、速度の差はあるが似ているような気がする。

 私たちの「トークライブハウス」は、今まで大手マスコミから発言の機会を封じられたり、社会的に抹殺されかかっている多くの無言の人々、この社会の中で罪を背負って生きられる場所を探している人、それまで人前で話す機会が少なかった作家や演劇、映画、音楽家、アニメ関係者や、その裏方、スタッフにも自らが営々と築いて来た「こだわり」を表現する場を提供した。

 20年前、新宿の片隅に生まれた「トークライブハウス」は多くの伝説を生んだ。亡くなった表現者も数多い。私はこの空間の言い出しっぺであり、多くのドラマとシーンに立ち会ってきた。新しい空間に集まって来た表現者やスタッフ、お客さん、この空間をこよなく愛してくれた人たちに感謝の気持ちを込めて、20年の時代の風景や空気を伝え続けたい、という思いが強くなってきた。
 

日本にいらだち、世界放浪に飽き、日本食屋をドミニカで開店

 80年代、世界は激動していた。

 ソビエト支配から自由を求める東欧革命が起き、先進国に支配されていた第三世界の人々が声を上げ始め、その熱気がジンジンと伝わって来た。ロック系ライブハウス(ロフトチェーン)の経営に限界を感じていた私は日々相当いら立っていた。平和ボケした日本を棄て世界に飛び出そうと考えた。

 そして1984年、35歳?にして日本を飛び出し、無期限世界放浪の旅に出た。当時の私には恐れを知らぬ若さがあった。目標は世界100カ国制覇(現在は84カ国)。

 しかし、バックパッカー人生を5年もすると、もうどこの国へ行くのにも飽きて来た。40歳になって私は「世界を回る放浪の旅」をやめることにした。

 だが、日本に帰る気にはなれず、さらなるテーマ(夢)を探した。それは、好きになった外国で市民権を取り、その地で仕事を持つことだと思った。

 私は日本から板前を呼び、カリブの島ドミニカ共和国の首都・サントドミンゴの、海が一望できる一等地に日本食レストランを開店した。赤字続きだったが、貿易会社を経営しながら5年がんばった。1990年、大阪で「花博」が開かれることになり、私はドミニカ外務省からドミニカ政府代表代理、花博ドミニカ館館長の権利を貰い、日本に戻ってその仕事に当たった。

 館長の任務を終えた同年9月、1軒だけ残して置いた「新宿ロフト」のS君から電話が掛かって来た。

「ビルの家主から立ち退きを迫られています。どう対処しましょう?」

 という内容だった。

 いろいろなことがあったドミニカだが、私は即座に完全撤退を決断し、急いで東京に戻った。新宿ロフトが入っているビルのオーナーは「ビルが老巧化したので建て替えたい。ロフトさんには地下部分をお貸しするので、ビル建て替えを納得していただけないか?」と頭を下げられた。

 私は「新宿都市再開発」を頭から否定するつもりはない。オーナーの申し出を承諾して、新しいライブハウスの設計に入った。同時に、下北沢で「シェルター」(避難場所)というライブハウスを開店した。

 ところが、それまで交渉していたビルのオーナーがバブル破産して銀行管理=競売に掛かりそうな事態となった。こうなると「交渉」なんてものではなく、ビルの新しい所有者側は、以前に交わしていた再入居の約束などすっ飛ばし、「うるさい、汚い、近所迷惑だ。出ていけ」と言うばかりになってしまった。

 ロフトはこの宣戦布告に対し、日比谷野音で、「KEEP the loft “ででで出ていけってよ”」と題するイベントを開き、裁判闘争に署名運動(なんとロフト存続に全国の1万7千人が署名してくれた)を開始する。日本の音楽業界やマスコミが「ロックの聖地・ロフトが危ない!」と騒ぎ立ててくれた。我われは「強制立ち退き裁判」問題に部分的だが勝利することになる。

 私は日本に戻り、ロックの最前線の現場で働くつもりでいた。ところが、私は「日本のロック」が、ちっとも分からなくなっていることに気づいた。どんなバンドを見ても聴いても感動できない、まさに浦島太郎状態。ロックのライブハウスでご用済みの人間には、現場から去る道しか残っていなかった。
 

※第2回に続く

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