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2016.09.23

器量に自信がなかった私が今は「美人」と言われる理由

野宮 真貴

器量に自信がなかった私が今は「美人」と言われる理由

「効率的に美人になって、もっと人生を楽しみましょう。」とは、元ピチカート・ファイヴ3代目ヴォーカリストとして、渋谷系の女王として、国内外を一世風靡した、野宮真貴さんの言葉です。もともと器量がよくなかったという野宮さんが、35年にわたる人に見られる歌手という仕事を通じて獲得した「美人に見せるテクニック」を赤裸々にまとめた『赤い口紅があればいい いつでもいちばん美人に見えるテクニック』が発売されました。本書の一部を抜粋してご紹介します

56歳になる今もますますそのエレガンスさに磨きがかかる野宮真貴さん

 知恵と工夫で「その時のベスト」を追求してきた

帯にはジェーン・スーさん、Charaさんがコメントをお寄せくださいました

 まず、私のことを少しお話ししましょう。私は1960年生まれで、今年(2016年)で56歳になりました。

 子供の頃から器量が良いほうではありませんでした。早生まれで身体からだが小さく、勉強も運動も苦手でいつも劣等感を抱いだいていました。おまけに極度の人見知りで、学校で一言もしゃべらないこともしばしば。コンプレックスだらけの子供時代でした。

 そんな私の唯一の楽しみは、学校から帰って母の鏡台から口紅を拝借し、母のつくってくれたドレスでおしゃれをして、床の間をステージ代わりに歌を歌うことでした。当時、テレビの中でスポットライトを浴びる昭和歌謡のスターを夢見ていました。キレイな衣装を身に纏まとい、大好きな歌を歌えるなんて……。「歌手になりたい」と心に決めたのもこの頃です。歌で自分を表現できれば、苦手なおしゃべりもしなくて済むと考えたのです。

 そんな私にとって、歌は自分を伝える方法。メイクやおしゃれは夢見るスターに変身できる手段だったのかもしれません。

 その後も音楽を諦(あきら)めることなく、バンドを結成してオーディションを受け続け、プロへの足がかりを探していました。実はデビュー前に1年間のOL経験もあるのですが、その頃はタイムカードを5時ちょうどに押し込み、リハーサルスタジオに向かう毎日でした。

 ソロデビューは1981年。すでに21歳になっていました。デビュー当時の想い出は、初めてのスタジオ撮影の時にヘアメイクさんに「肌がキレイだからファンデーションは塗らなくていいわね」と言われ、ポイントメイクしかしてもらえなかったこと。今の私なら、たとえ噓でも言われてみたい言葉ですが、その時は、初めてプロのヘアメイクさんにメイクをしてもらえる貴重な機会だったのでフルメイクをしてもらいたかったのです。そして、カメラマンに「笑顔で!」と何度言われても、どうしてもつくり笑いができなかったこと。私にもそんな初々しい時代があったのです。

 時々、ネット上に20代の頃の自分の映像が出てきてドキリとしますが、まだこの頃はメイクもおしゃれも試行錯誤の時代でした。決して美人ではなかったけれど、若さが持つハリのある肌と、未来を信じる心と、内から発せられるエネルギーでキラキラと輝いていたはずです。

 1990年、ちょうど30歳の時にピチカート・ファイヴの正式メンバーになりました。ピチカート・ファイヴ初期の頃はいちばん痩せていた時期で、コンプレックスだった一重まぶたとぽってり唇はさらに強調されていました。それを、当時の日本でいちばん優秀なヴィジュアルスタッフが、オリジナルの魅力に変えてくれたのです。つけまつ毛を何枚も重ね、大きなウイッグをつけ、派手な衣装に身を包み、口紅の代わりにグリッターを塗って、ぽってり唇をさらに強調しました。そして、みなさんご存じの“野宮真貴”というキャラクターが誕生したのです。

 当時はピチカート・ファイヴのすべてのヴィジュアルイメージを引き受けていたので、ジャケット撮影、ミュージックビデオ撮影の時には一流のヘアメイクやスタイリストと相談しながら、七変化どころか、百変化!? さまざまなタイプの女性になれることの楽しさを味わっていました。最後は、タイヤのチューブでつくった衣装まで着こなしました。経験しなかったのはスキンヘッドくらいでしょうか。

 そうしておしゃれやメイクのテクニックを身につけていきました。それと同時に、メイクや服が心にも大きく作用することを知りました。

 外見を装うことは、私に大きな自信を与えてくれたのです。それは自分の容姿のコンプレックスや不安感を力強く、そして優しく包んでくれる鎧(よろい)のようなものでした。その鎧さえつけていれば、社会となんとか折り合いをつけて生きていける。コンプレックスだらけの私を、他者や世間と繫つないでくれるもの、それがおしゃれをすることだったのです。

 私にとっておしゃれやメイクは、楽しみ以上のものなのです。そしてコンプレックスがあったからこそ、知恵とテクニックを総動員してなんとかその時のベストを追求してきました。ですから、いつでも「今がいちばんキレイ」と胸を張って言いたいと思います。

 デビューから35年をかけて身につけたおしゃれと美容のテクニックは、デビュー当時から今も声域が変わらない歌と同様に、ひとつの到達だと自負しています。

 それでも今、40代の頃を振り返ると、加齢によって変化していくことへの抵抗が見て取れます。「頑張りすぎじゃない?」と声をかけたいくらいです。

 当時は、「人前に出る職業なんだから」と、目の下のたるみにヒアルロン酸を注入したり、眉間(みけん)のシワにボトックス注射を試したこともあります。施術後すぐは、多少悩みが改善されて気分は晴れるものの、その変化は他人から見たらまったく気づかない程度のものです。数ヶ月もたてば元通りになってしまうのですから、そんな自己満足のために美容クリニックに通うのが虚むなしくなりやめてしまいました。そして目元を直せばホウレイ線が目立つといった具合に切りがないのです。

 40代というのは「若さ」と「加齢」の狭間(はざま)、いちばん悩ましい年代です。若さになんとかしがみつくことができる時期でもあり、同時に「若づくり」がある種の「痛さ」に見えてくる時期でもあります。丁寧すぎるフルメイク、セットされた巻き髪、ストレートアイロンで伸ばしたツヤのある髪質、ジェルネイルの輝きなど、人工的なものがかえって年齢を浮き彫りにしてしまう……。今ならわかるそんなことも当時の自分にとっては、失っていくものを補うためにするべき当然のこととして、何の疑問もなく時間もお金も気持ちも注ぎ込んでいたのです。肌のハリを保つために、気持ちもピンと張り詰めていたのでしょう。

 50代になってからは、歳相応の図々(ずうずう)しさと開き直りも身につき、気持ちのハリを緩めることも覚えました。加齢による変化を受け入れ、プチ整形をやめ(フォトフェイシャルくらいはありかもしれませんが)、その代わりに、髪をカットして、ヘアスタイルを常にアップデイトすることにしました。プロに頼るのは美容クリニックではなく、正直な意見を言ってくれる美容院に変わりました。メイクはあえて完璧を目指さず、目の錯覚効果を狙(ねら)ったテクニックで対処。美しい姿勢をキープし、小ギレイでいること、笑顔をたやさないことで、歳相応の雰囲気ムード美人に見えれば良しとしました。

 そして何より、美しさは心と身体の健康の上に成り立っていることを50代になって学びました。

 頑張りすぎない、ほどほどで良しとする、目標を1ランク下げる、スピードを緩めるなど、50代から先を生きる知恵もついて、とても楽になりました。年齢を重ねるのもなかなか楽しいものです。

 私が尊敬する知り合いにとてもエレガントな60代、70代の女性がいます。これからも「今がいちばんキレイ」と言えるために、私は彼女たちから、おしゃれや楽しく生きるための知性を学んでいます。

 *野宮真貴さんの具体的なテクニックは、『赤い口紅があればいい いつでもいちばん美人に見えるテクニック』にまとまっています。ぜひご覧ください。

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