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2016.09.11

現役医師、感涙のデビューミステリ『サイレント・ブレス』刊行記念企画(3) 吉田伸子さん書評

生とは何か。死とは何か。答えの出ない問いへの灯りのような一冊。

生とは何か。死とは何か。答えの出ない問いへの灯りのような一冊。
『サイレント・ブレス』南杏子・著

 この夏は、ずっと生と死について考えていた。来る日も、来る日も考えていた。私の父が入所している青森市のグループホームから、風邪様の症状が出ているので受診します、と連絡が来たのが7月17日のこと。父の状態があまり良くなくそのまま入院となった、と父の主治医から電話を受けたのがその日の夕方過ぎ。そこからが始まりだった。

 熱が上がり、熱が下がり、感染症に罹り、感染症が治り、を繰り返していくうちに、父の状態はみるみる悪化していった。わずかひと月あまりで、父の脳の機能はがくがくと低下していった。もう主治医のことも看護師のこともよく分かっていないようです、と告げられたのは、何回目の見舞いの時だったか。それでも、父は私の声だけには反応するのだ。ごくたまに目が開いた時に目があうと、にっこりと笑うのだ。けれど、再び父が起き上がって歩いたり、会話をしたり、口から物を食べたりすることは、もうかなわないことになっていた。

 生きているとは、どういうことなのか。脳の機能がほぼ失われ、寝たきりになっているとして、それは生きていると言えるのか。口から物を食べられなくなるということは、そのまま死を迎えるということではないのか。考えても、考えても、答えは出なかった。この原稿を書いている今も、私の中で答えは出ていない。父は今、高カロリー輸液で、命を繋いでいるーー。

 生とは何か。死とは何か。答えの出ない問いを繰り返す私にとって、本書『サイレント・ブレス』は一つの灯りのような一冊だった。主人公は、大学病院の総合診療科に勤務する水戸倫子37歳。真面目で丁寧な診療が仇になり、「仕事が遅い」と他の医師たちの間で噂になっていた倫子は、ある日突然、「むさし訪問クリニック」への出向を命じられる。訪問クリニックとは文字どおり、訪問診療を専門に受け持つクリニックで、地域の在宅医療ーー主には高齢者の在宅医療ーーを担当するため、口の悪い医師たちの間では、「老老介護」ならぬ「老々クリニック」と呼ばれている。当初は出向を「左遷」と受け止めていた倫子だが、訪問診療を担当し、様々な患者の生と向き合うことで、「終末期医療」を実際に体験することで、医師として一回り大きく成長していく。

 収録されている6編で倫子が出会うのは、乳癌の末期にある著名ジャーナリストだったり、筋ジストロフィーで闘病を続ける青年だったり、老衰で死に近付きつつある八十四歳の老女だったりする。選別も年齢も異なる患者たちに共通しているのは、やがて来るであろう「死」だ。

 ジャーナリストの彼女、知守綾子は、「死の受容プロセス」を説いたキューブラー・ロスの解説書を著していた。けれど、自身が末期癌となった彼女は、「あんなに、うまくいくもんじゃなかった」とぽつりと漏らす。どれだけ頭で「死」を理解していたとしても、実際に「死」を受容することの難しさが、綾子のその言葉に込められている。

 私たちは、生きることの難しさには慣れていると思う。願いが叶わなかったり、夢破れたり。いや、もっと身近なことでもいい。希望していた職業に就けなかったり、好きな相手と結ばれなかったり、と、生きていれば数かぎりない〝ままならないこと〟を経験する。ままならないなぁ、とこぼしつつ、それでも私たちは生きて行く。明日も、明後日も、その先も。
 けれど、死ぬことの難しさは、いざ死に向かう身になってみないと実感できない。家族に見守ってもらいながら、穏やかに息を引き取る、なんていうのはごくごくわずか、レアケースなのだと思う。死ぬまで意識が明瞭であるとは限らないのだ。死ぬまで元気でいられるとは限らないのだ。私たちの多くは、それが病によるものであれ、加齢によるものであれ、一人で静かに生を終えるなんて、できない。家族の手を借り、医師の手を借り、そうしてようやくようやく、死を迎えることができるのである。

 倫子には脳梗塞で二度倒れ、今では寝たきりになってしまった父がいる。終末期医療に携わることで、父に対する倫子のスタンスが変化していく様がじわじわと胸に沁みる。やがて、倫子が選んだ答えとはーー。

 本書で描かれているのは、綺麗事ばかりではない。筋ジストロフィーの青年は母子家庭で生活保護を受けており、母親は母親で、長年の介護ですっかり磨り減ってしまっている。老衰の女性の息子は、母親の死期が近いことを知り、なんとか少しでも母の財産をかすめ取ろうとする。そういうこともちゃんと描かれているからこそ、本書は読み手により深く届く。生とは、死とは、そして医療とは何か。大きなテーマと真摯に向き合った、骨太な一冊である。

吉田伸子(書評家)

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関連書籍

南杏子『サイレント・ブレス』(9月8日発売)
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大学病院の総合診療科から、「むさし訪問クリニック」への“左遷”を命じられた37歳の水戸倫子。そこは、在宅で「最期」を迎える患者専門の訪問診療クリニックだった。命を助けるために医師になった倫子は、そこで様々な患者と出会い、治らない、死を待つだけの患者と向き合うことの無力感に苛まれる。けれども、いくつもの死と、その死に秘められた切なすぎる“謎”を通して、人生の最期の日々を穏やかに送れるよう手助けすることも、大切な医療ではないかと気づいていく。そして、脳梗塞の後遺症で、もう意志の疎通がはかれない父の最期について考え、苦しみ、逡巡しながらも、決断を下す―ー。その「時」を、倫子と母親は、どう迎えるのか……?

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