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2016.09.12

「長い目で見て、譲ることを覚えなさい」~ムヒカ前大統領夫人ルシアさんの言葉~

有川 真由美

「長い目で見て、譲ることを覚えなさい」~ムヒカ前大統領夫人ルシアさんの言葉~


幸せに生きるために必要なことは、きっとそれほど多くない。
「どうしても、これが欲しい」「どうしても、これがしたい」と思うことは、自然にそれへの“愛”があふれてくるものだ。それなのに、多くの人は、愛のないものを手に入れるために、必死に生きているのではないか……。

「貧しい人とは、少ししかもっていない人のことではなく、際限なく欲しがり、いくらあっても満足しない人のことだ」。
 2012年リオ会議でのスピーチで一躍、世界的な注目を集めたウルグアイ前大統領ホセ・ムヒカさん。その妻として約30年、ともに歩み続けているルシアさんに本当の幸せについて聞きに行った。

長い闘いの末にたどりついた「譲る」ということ

「ルシアさんが、これまでの人生からいちばん学んだことはなんですか?」
 なんだか失礼な気もしたが、訊いてみた。
お嬢様のような暮らしから一変、過激なゲリラ活動の道に進み、12年以上の投獄、そして、志を同じくする夫、ムヒカ前大統領と政治の大改革をしながら、農場での質素な生活を送る。ファーストレディとしてさまざまな国の要人に会い、自身ももっとも人気のある国会議員として活躍する……と、だれも経験しないような波乱万丈の人生をくぐり抜け、自分の思いを実現しようとしてきたルシアさんが、そこから学んできたことはなんだったのだろう。
「世の中は、黒と白で分けられないことがわかった。さまざまな人と一緒に共同生活をしなきゃいけないから、あるときは譲らないといけないってこと」
 意外な言葉だった。すべての人びとが幸せであるためにという正義感から自分の命をなげうってまで強固な意志を貫き、なににも屈することがなかったルシアさんの口から出てきたのは、やさしく、やわらかい言葉……。そして、私たちのだれもが、ふと実感する言葉でもあった。
「譲っているなんて見えないでしょ? もっともっと急進的に見えるかしら(笑)。昔はね、こうじゃなきゃいけないっていうのがあったのよ……」
 ルシアさんは自分の信念を通すために闘ってきたけれど、行きついたのは、“譲ること”。いや、ルシアさんが自分の信念を通すことは、昔もいまも変わっていない。ルシアさんの言う「譲る」は、あきらめではない。むしろ思いを通し、自分の人生を大切にするために、長い目で見て、あるときは“譲ること”が必要だと言っているのだ。「自分を貫くこと」と、「人に譲ること」は相反するものではない。譲るから、譲ってももらえる。自分の行きたい場所に行くこともできる。ただ単に譲るばかりでは、自分の行きたくない場所に流されて「これってイヤなんだけど」「こんなはずじゃなかったんだけど」となってしまうのがオチだ。
 

スーパーマーケットで人生は買えない

「譲ることは、夫婦関係のなかでもありますか?」
 ムヒカ前大統領との関係も訊いてみた。
「もちろん、人間関係はすべてそうよ。だって、夫婦関係も、毎日、栄養を与えるように育てていなきゃいけないでしょ。いまはみんな不安定よね。家族をつくるのも長い目で見られなくなっている。いろいろなことが急いで進んでいるから、それを家のなかに持ちこんでしまうのね」
 たしかに、そうだ。目の前のことで忙しいから、それを優先する。家族やパートナーとの関係でも、仕事との関係でも、「いま、答えを出さなきゃいけない」と、白黒ハッキリさせようとして壊してしまう……それは、かつての私の姿でもあった。よかったのか、よくなかったのかは簡単に言えることではないが、なんにしても安定的な関係、信頼できる関係をつくるには、花に水を与えるように、じっくり育てていく必要があると、人生の半ばをとうに通り過ぎたいま切に思う。“譲ること”は、ひとつの愛情表現であり、信頼なのだ。心をかけ、愛情や信頼を積み重ねることによって、それは自分にとってかけがえのないものになっていく。
 自分にとって満足できる人生とは、簡単に手に入るものではなく、心と時間をかけてつくりあげていくもの。ルシアさんの言葉で言うと、「スーパーマーケットで人生は買えない」ということなんだろう。
 

Copyright  Juan Pedro

日本人はもっと自分自身を生きたほうがいい

「日本もいま、独身が多くなっています。多くの人は、いつも目の前のことで精一杯で、つねに急かされているように生活していて……」
 話を日本のことに移すと、ルシアさんは、「そのことは、日本に行ったときに聞いたわ」と、さらに身を乗り出し、言葉が親身になってきたように感じた。
「だって、いっぱい仕事をしているでしょ、日本人は。仕事をするのはいいんだけれど、家族を大事にして、自分自身を生きることをしなきゃ。そのバランスが大事よね。年をとって、『どうして、あれをしなかったのか?』って思うと、人生が空虚なものになってしまう。21世紀の大問題として、人びとは家族や人間関係をうまくつくれなくて、押しつぶされそうになっている。これはとても重要なテーマで、日本はこの問題についてもっと考えていく必要があるし、若い人とも、もっと話し合っていく必要があるわよね」
 そして、その問題は、個人だけの問題ではなく、政治や経済など社会の問題でもあると、ルシアさんは危惧している。
「私たちに押し付けられた資本主義は、一人でなんでもやらなきゃいけなくて、それは、本当のことじゃないわ。それぞれの国で機能があって、文化があるけど、こういう価値観は世界で共通していること。だから、それを大切にしなければ、ほかにもっと大きな問題が出てきてしまう。日本の首相も心配していると聞きましたよ。だれもが気がつかなきゃいけなかったことでしょ。家族からくる愛情表現はとっても大切。それが社会の基盤になってくれるんですから」
 資本主義社会というのは、経済を中心に考える厳しい競争社会だ。「自己責任」という名のもとに、それぞれが必死になって働く。学ぶことも、稼ぐことも、家庭をもつことも、生活していくことも……つまりは、生きていくことのすべてを自分でなんとかしなきゃいけない。その結果、人びとが孤独になって、「どうして、だれも助けなかったのか」「だれも教えてくれる人がいなかったのか」という問題は、日々起こっている。家族や地域、会社など近い人との関係をうまく築けずに、トラブルに発展することも多々ある。私たち日本人は、なにより人間関係にエネルギーを消耗しているのに、その結果、面倒な摩擦を避けて、さらにそれぞれが孤独になっていくというパラドックスが起きている。
浅い人間関係では、安心して自分を出すこともできないし、ぶつかることもできない。だからこそ、譲ったり譲られたりするなかで、基盤となる関係を自分でつくっていく必要があるのだ。
 

社会は「譲る」ことで良くなっていく

 ルシアさんは、政治の面でも、若い世代や女性に“譲ること”の必要性を話してくれた。
 私が「つぎはルシアさんが大統領という話もどこかで聞きましたけど……」と言うと、
「ない、ない、ない」と、大笑いして3回“ない”を繰り返した。
「72歳になりますから、計画して若い人に譲っていかないとね。政治というのは、バトンリレーのようなもの。同じ政治家が同じ役割をやっていると、官僚主義になってしまいます。だから、ローテーションが必要なんですよ。世界はどんどん変わっていくでしょ? だから、若い世代で、そのときのキーワードやキーポイントがわかる人を入れていかなきゃいけない。でも、私は政治活動を忘れるわけじゃないですよ。それは、私が死ぬときに終わります」
 ルシアさんが見ている方向は、自分自身の立場じゃない。目先のことでもない。「社会にとっていちばんいいことはなにか」と、つねに俯瞰した目で見ているのだ。
 社会において、男性と女性が譲り合うことについても訊いてみた。
「ウルグアイの国会では、3人男性がいたら、1人は女性がいるべきだという法律があって、女性が多いですよ。でも、個人的には法律の問題ではなく、組織に女性を置くという気持ちがないといけないと思う。考え方がちがっても、女性は半分いるんですからね」
 日本でも、さまざまな場所で“譲り合うこと”が必要なようだ。自分のことばかりで譲り合うことができなくなっている現代社会で、リーダーはもちろん、だれもが個人の幸せや社会全体の幸せについて、もっと真剣に考える時期にきているのかもしれない。
電車やバスで「お先にどうぞ」と譲るのは気持ちいい。家族に感謝していれば、お互いに譲り合うこともできる。厳しい経済社会のなかでは譲るのが難しいこともあるが、“幸せ”を軸に考えると、経済ばかりに固執しなくてもいいことがあるのではないか……。
ルシアさんは、「それぞれの国の伝統や文化によって、表現はちがう」ということを何度か言っていたけれど、日本には相手を立てて「譲る」という文化がこれまでもあったはずだ。
 すぐに制度や文化を変えることはできなくても、身近なこと、ちいさなことから、幸せであるために「譲る」。それは、最終的には、自分を助け、守ってくれる力になっていくはずだ。「譲る」は、相手だけのためでも、自分だけのためでもない。どちらもよくないと、人と人との関係も、幸せも、成り立たないのだ。

 

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