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2016.09.01

第3回

選手の成長が止まったとき、どうするか

平井 伯昌

選手の成長が止まったとき、どうするか

成功への指導法はひとつではない。指導者が自分の経験へのこだわりと、選手への嫉妬と先入観を捨てれば、自ずとそれぞれに適した指導法が見えてくるのだ。性格も体格も異なる選手たちに、五輪で数多のメダルをもたらした平井伯昌の著書『見抜く力 夢を叶えるコーチング』。

*  *  *

伸びる選手とは周りが伸ばそうとしてくれる選手

 選手の成長は、けっして直線的ではない。

 一般的に言えば、身体的な素質や泳ぎのセンスで、ある一定のところまでは順調に伸びていく。ところが、体の発達が止まり、単純な練習の繰り返しでは伸びなくなる時期が必ず来るのだ。

 そのときに、コーチとして何をしなければいけないのか?

 じつは、ここで選手の「感性」を磨いていく努力をしなければならない。私は、日頃練習のときに、

「今日はこのテクニックを直そうと思うんだけど、今泳いでどんな感じだった?」

 などと尋ねるようにしている。

 選手はつねに考えながら泳いでいるわけではないが、水をつかめたか、つかめなかったかは感じている。そこを意識して泳げるかどうかで、練習の意味合いが変わってくるのだ。

 最初のうちは「よくわかりません」「あまり感じませんでした」などという答えが返ってくるだけだが、なんども質問を繰り返しているうちに、

「今日はすごくお腹に力が入って、水がちゃんとかけてます」

 といった返事が返ってくるようになる。

 こうなると、コーチから言われたとおりに半ば強制的にやらされていた練習が、きちんと意味づけられ、何倍もの密度の濃さになってくる。練習中とかレース後の感覚を尋ねて、私の指導していることと選手の感覚、実際のテクニックをどうやって一致させていくかが大切になってくるのだ。

 伸びていくためには、その選手自身が自分の「感性」をどこまで磨いていけるかどうか、そこがポイントになるといえるだろう。

 ただし、レースが終わったあとなど、選手同士でしゃべっている姿を見て、傲慢な態度をとっている選手は、なかなか伸びていかない。「おれが一番だ」と思って勘違いしているやつや、ひねくれているやつ、自分の話ばかりするやつは、たいていどこかで伸びが止まってしまう。

 水泳という競技は、チームスポーツではないが、一緒にトレーニングしている仲間をはじめ、コーチやトレーナーがどんな人間なのか、お互いに認めあったり協力しあったりする関係が大切である。

 そこでいい関係を保っていける選手のほうが、強くなれるし、伸びる芽があるのだ。一人だけで伸びていける選手なんか、どこにもいない。みんなに「協力してやろう」と思わせる選手にならなければいけないのだ。

 伸びる選手とは、周りが伸ばそうとしてくれる選手でもある。
 

心・技・体のバランス

 すべてにパーフェクトな選手などいない。

 選手と出会ったときに、「身体的特性」「泳ぎ」「精神力」のどこが優れているかを、まず見るようにしている。

 もちろん選手の個性は、それぞれに千差万別である。もともと泳ぎがよくて、体も柔らかいが、精神的なものがまだまだ磨ききれていない選手もいるし、反対に泳ぎのセンスはいまいちでも、精神力が強く、素直な性格のため技術を人一倍体得できている選手もいる。

 体が大きくて筋力があれば、簡単に習得できるテクニックもあるし、また、精神力で引き上げていかなければならない挑戦もある。それを、どんなふうに補っていくかが問題なのだ。

 そうした要素がいくつかある中で、「身体的特性」「泳ぎ」「精神力」のそれぞれを掛け算して、いちばん大きくなりそうな育て方を選択している。

 康介の場合も、実は心・技・体の中で「体」である「身体的特性」の部分が、いちばん劣っていた。

 他の少年より瘦せていたし、体は硬いし、故障も起こしやすかった。その欠けているところ、足りないところをうまく補いながら、時間をかけて残る「心・技」を伸ばす指導をつづけてきたのだ。

 若いうちは体力とかパワーで泳ぐことはできるが、ある程度の実力がついてくると、こんどはその体を心が支えていかないと伸びていかない。

 水泳競技では、記録が先行してしまうケースが意外に多いのだ。たとえばある選手の場合、記録と成績が先行してしまい、心の部分がついていかないということがあった。伸びが途中で止まってしまったのだ。

 指導する立場としては、つねに「心・技・体のバランス」に気をくばり、強くなった理由を見つけて話しあったり、目標を与えて努力を促していくことが大切だと思っている。

 康介が中学三年生のときの、こんなエピソードがある。

 当時、康介の練習を見ていて、ジュニア・オリンピックで中学記録が出そうになったことがあったのだ。周りの人たちも、

「この調子でいくと、中学記録が出るだろう」

 と騒ぎはじめた。

 だが、それまで学童記録を出した選手を何人も教えていた私の経験からして、変に注目を浴びてほしくなかった。チヤホヤする外野が増えると、かえって面倒なことになる。

 そこで、試合前の練習を厳しくした。うまく泳げていると思っても、

「やり直し!」

 と声をかけ、いつもより負担をかけて疲れさせる作戦を実行した。

 調子をわざと落とさせたおかげで、試合では中学記録にも及ばず負けてしまった。康介には申し訳ないことをしたが、正直に言えば、「負けてよかった」と思う。

 ストレートにオリンピックをめざさなければいけない時期だった。中学記録程度で浮かれている暇はなかった。四年間弱という短期間でオリンピックを狙う選手をつくることが先決で、寄り道している場合ではなかったのだ。

 このとき中学記録を獲らせていたら、おそらく「心・技・体のバランス」は狂ってしまっただろう。

 私たちは、もっと遠くを見つめているんだ、という気持ちがあった。
 

簡単にすぐ伸びるのが才能ではない

「スポーツ選手は、自分の持って生まれた才能を開花させる義務がある」

 ある本の一節に、そんな言葉があった。

 どこに書いてあったかは忘れてしまったが、最初に読んだときは、

「ということは、才能のない選手は人一倍の努力をしなければいけないのだな」

 と思っていた。

 康介や礼子を例にあげれば、彼らが年少の頃に「天才」などと言われたことは一度もなかった。私が最初に康介の担当コーチになったときも、周りからは反対もされたし、冷やかな目で見られていた。

 才能があると言われはじめたのは、ごく最近のことである。それは、彼らの才能が地下深く潜ったところにあったからだ。

 簡単にすぐ伸びる選手が才能のある選手だと私たちは勘違いしやすい。しかし、ある程度の才能はみんなが持っているのだと私は思う。ただ、その鉱脈に辿りつくまで掘り下げる努力がコーチにも選手にもつづかないことが多い。時間をかけ、手間暇をかけて発掘しないと未知なる鉱脈を見つけられないのだ。

 その才能にも、わかりやすい才能とわかりにくい才能がある。たとえば、オーストラリアの石炭の露天掘りは、石炭のある場所がわかりやすいし掘りやすい。ところが、日本の旧三池炭鉱のような場所だと、どんどん地下に潜っていかないと石炭や鉱脈に辿りつけない。

 地中深くにある石炭を掘り出すのは大変で、手間暇がかかってしまうが、信じられないような大鉱脈を発見できる可能性も秘められている。

 発掘作業は地味で根気のいる作業の連続である。だが、石炭だと思っていたら、

「ダイヤモンドだった!」

 という発見があるかもしれない。

 コーチとして選手を見抜く目は、そこで試されるのである。 
 

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