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2016.07.28

哲学者・岸見一郎(前編)

同じ出来事でも、挫折になる人とならない人がいる

岸見 一郎

同じ出来事でも、挫折になる人とならない人がいる


ベストセラー『嫌われる勇気』とその続編『幸せになる勇気』(岸見一郎、古賀史健著,ダイヤモンド社刊)で、日本であまり馴染みのなかった「アドラー心理学」に脚光を浴びせた哲学者の岸見一郎さん。人間関係の悩みや人生の不安から解放され、今この瞬間から幸せを感じて生きる方法を教える心理学者アルフレッド・アドラー。その思想と出会い、共に歩まれてきた岸見さんは、悩みや挫折とは無縁の人生だったのでしょうか。無敵の「哲人」に話をうかがいました。
(インタビュー・構成:漆原直行 写真:岡村大輔)


 私の人生に挫折はありません。

──そんな、冒頭でいきなりインタビュー終了のお知らせですか(笑)。

岸見 あ、言い方が十分ではなかったったですね(笑)。私は、「挫折」という言葉で自分の人生を振り返ったことがありません。同じ出来事でも、それを挫折と捉えるか、捉えないかは人によって違います。私はそう捉えなかっただけのこと。しかし後から考えてみると、これが世間的には「挫折」というのかな……と思うことはいくつかあるので、今回はそれらのお話をしたいと思います。

──よろしくお願いします。

岸見 まずは、私の大学院生活です。いろいろ回り道をしたので、私が大学院の博士課程を終えたのは31歳のとき、けっこう年齢がいってるでしょう?

──一般的な、修士課程2年、博士課程3年をストレートに終えた場合に比べたら、ちょっと時間はかかっていますね。

岸見 ええ。そもそも、大学院に辿り着くまでに苦労があったんです。というより、自分が学ぶべき哲学に到達するまでに時間がかかってしまった。


◆最初に学びたかったのは、アレクサンドリアの「フィロン」だった◆

──大学生のころから、将来は哲学の研究者になりたいと考えていたのですか?

岸見 高校生のころから考えていました。倫理社会を教えてくれた先生が、京都帝国大学で哲学を修めた方で、非常にレベルの高い内容の講義を授けてくれたのです。そこで哲学に強く惹かれ、将来は哲学の研究者になりたいと思うようになりました。そして大学に入り、研究テーマとしたのが「アレクサンドリアのフィロン」という人物です。ご存じですか?

──いえ、寡聞にして存じ上げません。

岸見 アレクサンドリアのフィロンは、紀元一世紀ごろ……ちょうどイエスと同時代を生きたユダヤ人の思想家です。なぜフィロンの研究をしようとしたかというと、ギリシア思想と西洋思想の交わりに興味を抱いたから。

少し細かい話になりますが、フィロンが生きていた時代、ユダヤ人はすでにヘブライ語を読めなくなっているんです。しかしキリスト教でいう旧約聖書(ユダヤ教では「聖書」)は、もともとヘブライ語で書かれています。つまり、ユダヤ人は当時の段階で、オリジナルの聖書を読むことができなくなっていた。何を読んでいたかというと「七十人訳聖書」です。それは学者たち70人がヘブライ語の聖書をギリシア語に翻訳したもの。

──なるほど。

岸見 ところが、ヘブライ語とギリシア語はまったく性質の異なる言語なので、翻訳されたときにギリシア哲学の概念がたくさん入り込んだのです。言い換えるなら、そのころにユダヤ思想とギリシア思想が交わったということ。とても興味深いと感じ、研究したいと考えました。とはいえ、無謀な挑戦です。だって、そのときの私は、ギリシア語もヘブライ語もできなかったのですから。研究しようとしたものの「さて、どうしたものか」と思い悩んでいた矢先に、ある先生に出会うことになります。

──順調じゃないですか。

岸見 素晴らしい出会いになりますが、回り道の始まりにもなります。あるとき、大学の片隅で本を読んでいました。日本におけるギリシア哲学の碩学、田中美知太郎先生の『哲学入門』という本です。そこへ、たまたまサークルの後輩が通りがかりました。そして「何を読んでいるんですか?」と尋ねられ、隠すものでもないので、本を手渡しました。後輩はと本をめくり、巻末の解説に目を止めます。

──何を見つけたのですか?

岸見 「この解説を書いている森進一(哲学者〔ギリシア哲学専攻〕、小説家。関西医科大学名誉教授)という先生、自分の父が教えている大学の同僚で、友人です」と後輩は言う。そこで「あ、そうなんだ」で済ませていたら、いまの私はなかったでしょう。

──では、どう返事をしたのですか?

岸見 その先生をぜひ紹介してほしい、と。「ギリシア哲学の専門家である先生に、ギリシア語も含めてぜひ教えを請いたい。学びたかったけど先生が見つからず、ずいぶん困っていた」と伝えました。するとさっそく、その日の晩に後輩のお父さまから電話がかかってきまして「そういうことなら紹介しよう。家で読書会を開いているようだから、そこに参加できるよう掛け合ってみよう」とおっしゃってくださった。そして、その電話の一週間後には、森進一先生の書斎のソファに座っていました。

──とても回り道のように思えないのですが……。

岸見 いや、ある意味、挫折になります。森先生は「哲学というのは、言葉も概念もギリシアのものだから、ギリシアから学ばないと意味がない。今後、どんな哲学を修めるにしても、ギリシア哲学の素地は必ず必要になるから」と語った。それはつまり、覚悟を決めてギリシア語の勉強に真剣に取り組まなければならないということ。その時、私は大学の4回生でしたが、それこそアルファ、ベータ、ガンマ……とイチからギリシャ語を学び始めました。並行して、件の読書会にも参加するようになりました。この読書会には長年、毎週通うことになります。

──う〜ん、挫折してないですよね……?

岸見 ここからです。ギリシア語を一から学び直します、と先生に言ったところ、「たぶん卒業が1年遅れることになる」と返された。そうしなければ、大学院に進めるレベルのギリシア語は身に付かないと。ただ、それでもぜんぜん構わない。ギリシア語をしっかりと学びたいと思っていたので、結局、大学には5年間通いました。

──森先生との関係性は、そのまま『嫌われる勇気』の世界観に通じる印象を持ちました。哲人がいて、悩める若者がいて、という。

岸見 そのとおりです。森先生の家に通って、ギリシア語だけでなく、もちろん哲学を学び、人生も学ぶわけです。同世代の若者だけでなく、年配の人もいました。バックグラウンドも多彩で、私のように哲学を志す若者もいれば、医大生もいたり、現役の医師もいました。医師は日々の仕事で忙殺されているはずなのに、きっちり予習をしてくる。私はプロの研究者を目指していたのに、まったく敵わない優秀な人たちがたくさんいました。私は予習のノートをきっちりとつくってから参加しないとまったく追い付かなかったのに、まったくノートを見ないでギリシア語のテキストをすらすら訳してしまうような医師がいたり。

──ものすごくレベルが高かったんですね。

岸見 単にレベルが高いだけでなく、学ぶということの本質を教えられました。その読書会は、アカデミズムの世界ではありませんでした。私は哲学の研究者志望でしたが、他の参加者には社会人として、プロとしてすでに活躍している人も多く、そういう人たちが真剣にギリシア語や哲学を学ぶ姿に衝撃を受けました。そもそも哲学の原義は「知を愛する」ということ。哲学は決して大学で、専門家だけが学ぶものではなく、いろいろな人がいろいろな形で学び、実践していくものであると。それこそが、本来の哲学の姿であることを知りました。その後の自分の哲学に対する取り組み方も、確実に変わりましたね。 

◆大学には5年通い、院試も失敗◆

──そして、いよいよ大学院です。

岸見 はい。でも、院試には一度、失敗します。これも、挫折といえば挫折です。修士課程に入るための試験が難しかった。ギリシア語の試験もあって、英語やドイツ語といった近代語と同レベルの知識を問う内容でした。ギリシア語が大量に書かれた紙を渡され、それ辞書なしで時間内に訳さなければなりませんでした。ギリシア語は必死に勉強したので、短期間でそれなりのレベルに到達していた自負はあったのですが、それでも一度目は失敗しました。

そして大学院に何とか進んでからも、足踏みします。私が師事した藤澤令夫先生(哲学者[ギリシア哲学専攻]。京都大学名誉教授)は、一般的な修士課程の2年間で修了させることがほとんどなかった。私の知るかぎり、2年で終えた人は2人しかおらず、基本的には3〜4年かかるのが当たり前だったんです。私も3年かかりました。

──厳しいですね。

岸見 少なくとも、いまの教え方とは違いました。先生は、直接の論文指導はしませんでした。何をテーマに選んでもよかったのですが、何を書いても落とされました。自力で必死で学ぶしかありませんでした。

このように、なかなか思うように進めなかった研究者としての初期段階でしたが、回り道をしたおかげで、ギリシア哲学という王道に辿り着くことができたのは幸せでした。

──挫折といえば挫折もたくさんあったけど、幸せな結果に到達できたのだから、挫折に感じなかったと。

岸見 そうですね。さらに付け加えると、同時期にプライベートでも挫折がありました。大学院に入った直後に、母が脳梗塞で倒れてしまったのです。他に看病できる家族がいなかったので、私が母を看ることになりました。結果、半年ほど大学院に通うことができませんでした。

◆学ぶことに集中したい時期、母親が倒れる◆

──それはショックでしたね。焦りもあったのでは?

岸見 焦りました。自分が母の看病をしている一方で、一緒に大学院に進んだ仲間たちはどんどん勉強を進めているわけですから。ただ、当時の先生方は「君たちは真面目に講義に出てるが、一体いつ勉強しているのだ」というような、大らかな方が多かったですし、出席を取る授業もなかったので、大抵の授業は単位を落とさずに済みました。でも、やはり焦りはあったので、母のかたわらでギリシア語のテキストを読んでいました。

──大きな挫折でしたね。

岸見 まあ、そうなんですけど、おかげで大事なことにも気づけたのです。この体験がなかったら、私はたぶん、研究者になっていたと思います。

──というと?

岸見 母の病床のかたわらで3カ月間過ごして、人生の意味や幸福について真剣に考え続けたのです。もちろん、それこそ、プラトン哲学のテーマであり、本を読み学んでいたはずなのです。しかし、目の前でどんどん衰弱していく母と過ごすことで、知識としてではなく、自分自身の生き方として、人生の意味について真剣に考えないわけにいかなくなったのです。母は次第に意識をなくしていき、とうとう昏睡状態になった。その姿を見て、人間の生きる意味とは何か、それでも生きなければならない人間とは、いったいどんな存在なのかを日々、考えていました。

そして気づいたのは、名誉や野心は、人生の最後にはまったく意味を成さない、ということ。哲学を志した段階で金儲けはまったく諦めていましたが、私には「研究者として成功したい」という野心はありました。ですが母の側で過ごして、「果たしてそれが哲学を志す本当の意味なのか?」と疑問を抱くようになったのです。これは先ほど述べた森先生の読書会での経験も反映されているのですが、森先生が大学で教鞭をとる一方で小説家でもあったように、研究だけの人生を送りたくないと思いはじめたのです。大学教授になりたい、という名誉欲にとらわれていたことにも気づかされ、もっと純粋に哲学を学びたいという意識が高まっていきました。

──強烈な気づきですね。

岸見 だったと思います。入院から3カ月後、母は亡くなりました。母の遺体とともに帰宅したとき、私の人生はゴトリと大きな音を立てて、それまで目指していた人生のレールから外れたように感じました。

もちろん、素晴らしい先生がたや優秀な仲間たちに囲まれて過ごした大学院生活は、非常に有意義だったと思います。しかし、人生は大学だけにあるわけではありません。研究者として終わっていけないとも考えるようになった。そうして私は、大学の外に出ることになります。そういう伏線があって、後にアドラー心理学に出会うことになるのです。

  

いわゆる社会的に「成功」と言われる道からは、どんどん離れていく岸見さん。この後も、様々なことが立ちはだかります。しかし語り口調は穏やかなまま。その理由は……。後編は、8月4日公開予定です。

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