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2016.06.21

『学問のすゝめ』解説(3)

「これからの主役は国民だ!政治参加しよう!という話じゃなくて…」と諭吉は言った

橋本 治

「これからの主役は国民だ!政治参加しよう!という話じゃなくて…」と諭吉は言った

名著『学問のすゝめ』を橋本治さんが鮮やかに解き明かした『福沢諭吉の『学問のすゝめ』』の試し読み第3回。自由独立して、これからは政治に目を向けよう!というところまではいいけれど、「政治の直接参加」をすすめているわけではない模様。じゃあ一体、どういうことなのでしょうか?

国民の政治参加も、議会開設の
必要性も諭吉は力説しない。なぜなら。 

 福沢諭吉の頭の中で《政府》《人民》の関係は固定的で、それぞれに違うもの です。だから、徳川軍事政権が倒れて明治の新しい「政府」の時代が来ても、「これからの政治の主役は国民だ」などということを考えません。それで、『学問のすゝめ』の中には「国民の政治参加へのすすめ」もなければ、やがて「議会を開け!」で大騒ぎになるような、国の近代化には必須であるような「議会開設の必要」も訴えられてはいません。ただ《愚民の上に苛(から)き政府あり》という形で、「バカのまんま政府の言うことに黙って従っていると、とんでもないことになるぞ!」という警告だけがあります。

 日本に議会が開設されたのは、『学問のすゝめ』十七編全部が出揃った年の更に十四年後の明治二十三年で、福沢諭吉は五十五歳になっていました。その八年後、福沢諭吉は脳溢血になって倒れて執筆活動をやめ、その三年後に六十六歳で死にますが、福沢諭吉が生きている間に議会が開設され、「国民の政治参加」というか「政府関係者以外の政治参加」は、まがりなりにも可能にはなりましたが、だからと言ってこれが福沢諭吉にどう影響したかというと、なんの影響もありません。福沢諭吉にとって議会開設は、「関係ない」なのです。

『学問のすゝめ』の初編や二編で、「バカを野放しにするとろくなことにはならない」として、野放しにされたバカがしでかす騒ぎを口を極めて罵った福沢諭吉は、争いごとが嫌いです。だから、議会開設を求める自由民権運動に対する彼の態度も、「争いごとはだめだ」が中心軸になります。

『学問のすゝめ』全十七編が出揃った年から、明治政府の分裂と内輪揉めでもあるような「士族の反乱」が盛んになり、翌年にはそのクライマックスともなる西南戦争です。福沢諭吉は、これに対して「まァまァ、やめなさいよ」の態度で臨み、西郷隆盛には同情的です。しかし、西南戦争の後になると、まだ生き残っている「政府に不満を持つ士族達」が、自分達の政治参加を求めて、議会開設要求の自由民権運動へと進みます。

 これに対する福沢諭吉の態度は、「さっさと議会を開設しちゃいなさいよ」です。なぜ彼がそういう立場を取るのかというと、「人民の間には不満が鬱積しているから、そのガス抜きの装置として議会開設は必要だ」だからです。争いごとが嫌いだからそういう立場を取るのですが、だからこそ自由民権運動が高揚して激しくなって来ると、彼は政府側に立って、「やめなさい、落ち着きなさい」の態度を自由民権運動側に示すようになります。

 明治政府は議会の開設なんかしたくない立場ですから、そちら側に立った福沢諭吉も当然「議会なんか開設しなくていい」です。明治政府は、彼にそういう立場の機関誌を発行させようとしたのですが、その寸前で政府が「議会開設へ」という方針転換をしてしまうので、一時的に反自由民権運動になった福沢諭吉の立場は宙ぶらりんです。

『学問のすゝめ』が完結した後で既に『通俗民権論』とか『国会論』を書いていた福沢諭吉ですから、彼が「議会開設論者」であったことは確かです。でも彼は、それよりも「争いごと」が嫌いなのです。どうして彼が「争いごと」を嫌うのかと言えば、それがバカのすることだからでしょう。

 これまではそれをやると煩雑になりすぎると思って、『学問のすゝめ』以外の福沢諭吉の著作を引用するのをやめてはいましたが、ここで一つだけそれをやります。六十三歳で脳溢血になる前の彼が書き上げた最後の著作『福翁自伝』です。そこに「幕末の頃の話」として、こんなことが書いてあります──。

 

《日本の政治が東西二派に相分かれて、勤王佐幕(きんのうさばく)という二派の名が出来た。出来たところで、サアそこに至って私が如何(どう)するかと言うに、第一、私は幕府の門閥(もんばつ)圧制鎖国主義が極々(ごくごく)嫌(きら)いで、これに力を尽くす気はない。第二、さればとて、かの勤王家という一類を見れば、幕府よりなお一層甚しい攘夷(じょうい)論で、こんな乱暴者を助ける気は固(もと)よりない。第三、東西二派の理非曲直(りひきょくちょく)は姑(しばら)くさておき、男子がいわゆる宿昔青雲(しゅくせきせいうん)の志を達するは乱世に在(あ)り、勤王でも佐幕でも試みに当たって砕けるというが書生のことであるが、私にはその性質習慣がない。》

 

 福沢諭吉は「政治に関心がない人」ではなくて、「政治に関わろうとはしない人」です。その理由は、右の引用からでも明らかなように、彼が「政治に関わるやつはバカだ」と思っているからでしょう。なにしろ明治維新政府を作っているのは、《第二、さればとて》と言われる、幕府よりもっとレベルの低い人間達なのですから。

 だから、政府とつながっているインテリ達を《学者》と言って《腰抜け》と罵倒してしまう彼は、自分を《私立》だと主張して、《政府》《官》との間に距離を置き続けて来ました。でもそんな彼が、自由民権運動が激しく盛り上がろうとすると、政府と一緒になって「ちょっと待て」と抑えにかかろうとするのは、《私にはその性質習慣がない》と言う福沢諭吉が、「争いごと」が嫌いだからで、なぜそれを嫌うのかというと、「バカのやること」だからです。前回に引用した、福沢諭吉の「バカは地獄に落ちろ!」とでもいうような、激しい口調を思い出していただきたいですね。

 福沢諭吉は、争いごとが激しくなる時期を《乱世》と言って、一応は「仕方がねェなァ」と認めています。《乱世》は時代の転換期でもあるので、この状態がなかったら、時代は停滞したままです。だから認めはしますが、それがどうして仕方なしなのかというと、昔風の《男子》と言われる人達が《宿昔青雲の志(自分の抱いている望み)

を達成したがるもので、《乱世》というのはその千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンスに当たる時だからです。

《宿昔》というのは「ずっと昔から」ということで、《青雲》というのは「高く晴れた青い空」から転じて、「人から尊敬されるような高い地位」です。《男子》はずーっと長い間「えらくなりたい」と思っていて、《乱世》はその絶好のチャンスだから、《当たって砕ける》ということをしてしまう──それも仕方はないが、でもそれをするのは「頭でっかちになった若いバカ(書生)」だと、福沢諭吉は言うのです。

 福沢諭吉が『福翁自伝』を書き上げたのは、『学問のすゝめ』を書き始めた四半世紀後です。『学問のすゝめ』を書かなくちゃいけないくらいに、「勉強をしよう」と思う人間が日本にまだいなくて、そのための教育機関もろくになかった頃から時代がたって、『福翁自伝』の頃には、もう「勉強する学生」は珍しくありません。明治や大正の頃に、学生は《書生》と言われましたが、その《書生》という言葉の裏には、「へんな自負心を持っているだけの浮っついたバカ」という意味も隠されていて、福沢諭吉が《試みに当たって砕けるというが書生のことであるが》と言う時の《書生》はこの意味です。『学問のすゝめ』の時代を通り越すと「青雲の志を抱いた書生」──つまり「上昇志向の強い単細胞人間」がいくらでも生まれてしまっているのです。

 福沢諭吉はやんわりと、《私にはその性質習慣がない》とだけ言って、「そんな奴らはバカだ!」とまでは言っていません。福沢諭吉は「乱世になることがあるのは仕方がない」と思っていて、「でも私にはその中に入って行こうという気がない」と言っているのです。なんでその気がないのかと言えば、こればっかりで申し訳ないようなもんですが、やっぱり「バカばっかり」だからですね。

 いくら平静でいようとしたって、《乱世》という時期は、人の頭を荒廃させてバカにします。人の持っているエネルギーは、《乱世》というものを加速させて、そこにいる人達はエネルギーを持った《乱世》に振り回されてしまうのだから、仕方がないのです。でも重要なのは、その《乱世》が収まった後で、だからこそ明治になってすぐに、福沢諭吉は「もう乱世は終わり!」として、『学問のすゝめ』を書き始めるのです。

 というわけで、前の方に戻って改めて、『学問のすゝめ』にはなにが書いてあるのかです。

このあと、橋本治さんの解説は衝撃の展開を迎えますが、次回の試し読みは、少し前に戻って、『学問のすゝめ』が言っていることの大枠を押さえることにしましょう。

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