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わたしの容れもの

2018.04.25 公開 ツイート

わたしが運動しないまま加齢したら 角田光代

人間ドックの結果だけで、話が弾むようになる、中年という世代。老いの兆しは、悲しいはずなのに、なぜか嬉々として話すようになるのです。そんな加齢の変化を好奇心たっぷりに綴った角田光代さんの『わたしの容れもの』が、文庫になりました。一部再掲載して、変わることのおもしろさをお届けします。

「もし」の先

  ボクシングジムに十年以上通い、ランニングを五年以上続けているが、体が鍛えられている気がしない。腹筋が割れたこともなく、背中と下腹部に脂肪がついている。体重も落ちない、体脂肪もほぼ同じ。

 でも、ジム通いもランニングも、体を鍛えようと思ってはじめたわけではないので、さほど気にならない。もし体を鍛えようとしてはじめていたのならば、両方ともとうにやめていただろう。だって、鍛えられた実感がないから。

 それでも最近、ふと思うことがある。ジム通いもランニングもしていなかったら、どうなっていたんだろう? と。

 加齢に伴って今より脂肪は確実に増えていただろうと思いたいけれど、そうでもないかもしれない。だって、体重も体脂肪も減ったわけでもないから、その逆もまたしかり、なのではなかろうか。

 私は風邪をめったにひかない。熱が出ることもない。最後に風邪で寝こんだのがいつだろうと考えて、四年くらい前の気がする……とおぼろにしか思い出せない。ジム通いとランニングは、この丈夫さに貢献しているのではないか? そう思いたいが、昔から私は頑丈だった。

 もし、ジム通いとランニングをしていなくても、今とまったく変わりない四十代半ばの私なのだったら、なんだか、損なような気がする。みみっちい考えかただが、でも、そうじゃないか。

 数日前、東京に大雪が降った。積もりに積もった。その日はいい、こわいのはその翌日。

 雪かきのされていない道や階段は、つるつるに凍っている。先だって階段から落ち、一カ月ほど腰の痛みを引きずった私は、「つるり」がこわくてこわくてたまらない。

 その翌日は運の悪いことに外出する用事の多い日だった。家から仕事場にいき(徒歩二十分)、仕事場から駅にいき(徒歩五分とバス)、電車を乗り換えて都心の駅から待ち合わせ場所までいき(徒歩十五分)、そこから移動して、次の待ち合わせまで(徒歩十分)。

 すべることがないよう、凍っていないところ、雪が積もっていないところを見極めて慎重に歩いていたのだが、それでも幾度か、つるっとすべり、バランスを失った。ああ、転ぶ! と頭のなかで叫ぶが、その都度、私は持ちこたえた。

 結局一回も転ばなかった。

 このとき、はたと思った。もしかして、ジム通いもランニングもやっていなかったら、私は今日すべった五回ぜんぶ、転んでいたのではないか?

 もともと私は運動神経が鈍い。ボクシングジムに通いはじめるまで、運動などいっさいしたことがなかった。

 学齢期、運動をしてきた人とまったくしなかった人というのは、動きを見ればすぐわかる。運動をしていない人たちに、体育系の動きをさせると、決まってどこかへんだ。その人たちは総じてとろい。私がそうだ。とろいのだ。さっと動いたり、位置を変えたり、ということができない。

 そして、三十歳を過ぎていきなり運動をはじめても、運動神経というものはよくはならないし、動きが体育的になることもないのである。ジムに通って十数年、といえば、みんな「すごいー」と褒めてくれるが、ジムでの私を見れば啞あ然ぜんとするだろう。「十数年でこれか……」と。非体育系の動きの「どこかへん」は、ずーっとつきまとう。私はそのことを自覚している。

 運動神経はそのように発達しない。しかし、バランス感覚のようなものは、鍛えられるのではなかろうか。どこかへんな動きの私でも。

 だから、思ったのである。まったく運動しないまま、三十代も終え、四十代半ばにさしかかっていたとしたら、私は転びまくったに違いない、と。

 つるりとしたときの危うい感覚を思い出しながら、持ちこたえた自分を急に褒めたい気分になった。

 それにしても、「それをしていなかった自分」「それをしなかった場合の今」というのは、幾度も考えてしまうことではある。私たちはつねに「もし」の誘惑とともに生きている。

 もし、あのときこの町に引っ越していなかったら。もし、あの人に出会っていなかったら。もし、あのときああ言っていなければ。

 もし一本前の電車に間に合っていれば遅刻しなかったな、という軽い「もし」もあるし、もしあのときこの仕事をしていなかったら人生そのものが違ったな、という重い「もし」もある。でもその選択をしたときは、選択肢などほかになかったように思っている。実際に、「もし」の発生地点に立ち戻ってみても、「もし」ではないほうを何度だって選んでしまうのだろう。そして、私たちは永遠に、「もし」の先を知ることがない。今よりももっと生きやすいのか? 生きづらいのか?

 今より若いころのほうが、その仮定は大きなことだった。それこそ、「こうしていなければ人生は違ったはず」という、人生系仮定ばかりしていた。生きている時間が増えていくにつれて、「もし」などないと実感するようになり、あんまり考えなくなった。今、考えるのは、それこそジム通いをしていなかった自分、ランニングをしていなかった自分、程度のことである。そうしてそれは、どちらかというと、今の自分を積極的に肯定したいがための仮定なのである。

 年齢を重ねるって、楽になることなんだなあと、こういうときに気づく。

***

『わたしの容れもの』は、共感せずにはいられないカラダの変化にまつわる文章が詰まっています。ぜひ続きは、本でご覧ください。

◆私は変わる
◆私の知らない私を知る
◆やはり、食い意地ははってくる
◆それは突然やってくる
◆災難も突然やってくる
◆ダイエットの噓とまこと
◆「もし」の先
◆使わなくても減っていく
◆補強される中身
◆かわいさの呪縛
◆好きな言葉
◆眼鏡憧憬
◆嗚呼、神頼み
◆待ってはいるのだが
◆強かったり弱かったり
◆目に見える加齢
◆かなしい低下
◆短気と集中
◆薄着がこわい年齢域
◆なんでもかんでも加齢のせいか?
◆人の手の力
◆たましいに似た何か
◆バリウムの進化
◆じっと手を見る
◆隠れアレルギーというもの
◆椅子と年月
◆八卦ではないのだが
◆私という矛盾
◆若返る睡眠
◆これが夢見ていたものか
◆変化の速度
◆待ち焦がれてはいないのに

◆あとがき
◆とりとめのない文庫版あとがき

関連書籍

角田光代『わたしの容れもの』

人間ドックの結果で話が弾むようになる、中年という年頃。ようやくわかった豆腐のおいしさ、しぶとく減らない二キロの体重、もはや耐えられない徹夜、まさかの乾燥肌……。悲しい老いの兆しをつい誰かに話したくなるのは、変化するカラダがちょっとおもしろいから。劣化する自分も新しい自分。好奇心たっぷりに加齢を綴る共感必至のエッセイ集。

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角田光代

1967年神奈川県生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。「対岸の彼女」で直木賞、「ロック母」で川端康成文学賞、「八日目の蝉」で中央公論文芸賞、12年「紙の月」で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花賞を受賞。他に『空の拳』など多数。

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