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2016.04.20

ドラマ原作『火の粉』試し読み(2)

「裏切られたから」武内は自白段階でそう答えている。

雫井 脩介

「裏切られたから」武内は自白段階でそう答えている。

 因果な仕事だと思う。

 それでも法廷は基本的に裁判長のものである。同じ判決を下すにしても、左陪席や右陪席にいるときとは重圧感が違う。裁判長になってからは死刑裁判に関わることなくやってこられた。それは何よりだったと勲は感じる。

「あと三十秒です」

 ストップウオッチを見ている訟廷管理官が無機質な声を出した。

 その声で集中が途切れた形となった勲は、無意識に傍聴席全体へ視線を回した。

 一瞬捉えた傍聴席の奥に、知った顔があったのに気づいた。ほう、懐かしい顔だ……勲は場違いにそんなことを思った。

 彼、野見山司(のみやまつかさ)は二年ほど前まで東京地検八王子支部の公判部に所属していた検事だ。今は同じく八王子支部の刑事部に移り、捜査を担当している。

 公判部の検事は裁判所の各部に対応して担当が決まっているので、裁判官と検事たちは同じ顔を何度も見ることになる。野見山は勲が率いる刑事一部の担当だったので、当時は見飽きるくらい頻繁に顔を合わせたものだった。

 しばらく見ないうちに青くささがすっかり消えて、なかなかの貫禄を身につけている。三十代の半ばを過ぎたあたりの男だ。司法試験を優秀な成績で突破した正検だが、我の強い仕事ぶりが目立つ検事だった。挑発的なゼスチャーや攻撃的な尋問、言葉の端々に皮肉を込めた物言い……法廷にわざと波風を立たせるような戦術を好んで使った。

 裁判を作る側から見れば眉をひそめることも多かったが、逆に言えば、あれが遣(や)り手検事の一つの典型像なのかもしれない。実際、今回の公判を担当している三原(みはら)という女性検事も若い正検なのだが、若さがあだとなって野見山と比べると迫力不足は否めない。

 検察側の公判担当は通常、若い正検か年配の副検事が配属される。若手の正検はそこでキャリアを重ねると、ほかの部署……例えば捜査を担当する刑事部などへ異動していく。野見山も順調にそのコースを進んでいるようだ。

 そう言えば、彼は今回の事件の起訴を担当していたのだった。起訴状に名前が載っていた。判決の行方が気になってやってきたのだろう。検面調書を始めとして、今回の事件の捜査側にはどこか強引、性急な印象がついて回っているが、改めて野見山の顔をそこに当てはめて考えてみると腑(ふ)に落ちる気がする。

「はい、終了です」

 訟廷管理官が告げた。カメラクルーが撮影を終え、そそくさと撤収していく。

 いつもであれば、被告人は裁判官が現れる前に入廷を済ませているものだが、開廷前にテレビ撮影があるときは裁判所内にある仮拘置監で待機している。撮影が終わると廷吏が呼びに行く。

 勲はその間、改めて傍聴席の野見山を見た。また視線が合い、野見山は頷くより小さく首を動かしてみせた。

 胸を反らせるようにして椅子の背に身体を預け、腕を尊大に組んでいる。三つぞろいの濃紺色のスーツは彼のトレードマークだ。柿色のネクタイの結び目は不自然なほど大きい。顔は顎の尖った逆三角形で、自信家らしい眼つきは相変わらず。今にも皮肉が出てきそうな片側に歪(ゆが)んだ薄い唇も相変わらずだ。

 今日の判決で、あの食えない表情がどう変わるのだろうか。ちょっと見てみたい気もするが……それは趣味が悪いか。

 勲の後方脇にある扉が開いた。二人の刑務官に付き添われて、手錠に腰縄姿の被告人、武内真伍が入廷してきた。

 法廷に入るなり一礼した五十一歳の被告人は、グレーのスーツ姿だった。ボタンダウンの白いシャツを中に着ていて、ネクタイはない。

 身体つきは中肉中背。腰縄をつけられると卑屈になるものらしいが、この男もうつむき加減で猫背気味になっている。その丸くなった背中一面には、事件で負った打撲痕(だぼくこん)が……検察が指摘するところの自分自身で金属バットを背中に打ちつけた傷あとが……一生消えぬケロイドのように肌を変形させているはずだった。

 スーツの腰回りが気持ちだぶついているあたり、この一年の拘置所生活が彼の身を確実にやつれさせていることを窺(うかが)わせている。それでも肩から背中にかけて、スーツの生地に安っぽいよれは見当たらない。当人を相応の紳士に装わせている。高級ブランドのスーツか、一流テーラーのオーダーメイドなのだろう。丸顔で双眸(そうぼう)の大きな男。武内真伍は見かけだけでなく、その物腰も公判を通じ、一貫して紳士然としていた。

 先祖代々相続していた山林を処分した彼の資産は四億余りあるという。独身で近親者もいない。この先何年、どう生きようが、人生設計も何もいらない身分の男だ。

 そんな男が友人として交際していた夫婦宅で、その友人夫婦を撲殺、子供を絞殺したというのが、今回の裁判で検察側が主張している事件概要だった。

 衝動殺人。検察側はそう主張する。金の貸し借りなどのトラブルもなかった友人夫婦を惨殺したというのだから、動機としてはそういうところに落ち着かざるを得ないのだろう。しかし、そうであるなら、衝動を生むほどのマグマが武内に隠されていたという事実を、検察側は全力を挙げて明らかにしてみせなければならなかった。

 

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