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2016.04.16

ドラマ原作『火の粉』試し読み(1)

検察が指摘するところ、被告人の武内真伍は卑劣でさえある。

雫井 脩介

検察が指摘するところ、被告人の武内真伍は卑劣でさえある。

ユースケ・サンタマリアさん主演のドラマ『火の粉』(東海テレビ・フジテレビ系全国ネット、毎週土曜23:40~)が、怖すぎて面白すぎると話題沸騰中!! さらに気になる原作『火の粉』(雫井脩介著)の試し読みを、3回にわたってお届けします。この世界に一歩足を踏み入れてしまったあなたは、もうきっと後戻りなどできないはずです……。

 

 〈1〉 判決

 

「紀藤(きとう)さん。昨日は結構遅かったんじゃないですか?」

 刑事一部の裁判官室を出たところで、梶間勲(かじまいさお)は判決草稿に何気なく目を落としながら、隣に立つ右陪席(みぎばいせき)裁判官の紀藤に小さく声をかけた。

「ええ、十時くらいですか」紀藤はかすかな緊張感を言葉尻ににじませて答えた。「どうしても昨日のうちに読んでおきたい記録があったものですから」

「その時間からよく散髪屋が開いてましたね」

 勲が言うと、紀藤の口から弛緩(しかん)した息が洩(も)れた。頭の後ろを照れたように撫でる。

「家内に切ってもらったんですよ。襟足が左右でバラバラなんです。鏡で見ると苛々(いらいら)しますよ」

「襟足は映らないからいいでしょう。前だけですよ。そうですか。奥さんに……そりゃよかった。昨日と今日じゃ五歳は違って見えますよ」

 紀藤は照れ隠しのつもりか、軽く肩をすくめてみせた。

「流れますかね?」

 裁判官室のドアを施錠し終えた判事補の中西(なかにし)が口を挿(はさ)む。そう言う彼の髪もパーマがきっちりと当てられていて、硬い光沢を放っている。

「流れるでしょう」勲は答えた。「トップニュースでもおかしくない」

「流れますね」紀藤も頷(うなず)く。「まず、ないことですから」

「そうですね」中西もつられるように首を動かした。

「さあ、行きましょう」

 給湯室脇の鉄扉を開け、法廷までの専用通路を歩く。法衣が擦れる音と、革靴のソールが床を叩く乾いた音だけが鳴り続ける。威厳づけるわけではないが、足取りはゆったりと心がけている。ほかの者も勲に合わせてくる。昔はもう少し早足で移動していたが、息を切らせて開廷するのもおかしく、五十代半ばを過ぎてからは自然にそうなった。

 通路から法廷の裏にある小さな合議室へと入り、立ち止まらぬままに法廷の扉を開ける。

 東京地裁八王子支部第205号法廷の傍聴席は、勲の予想通り満席となっていた。四席一ブロックが三つ並んで一列。それが三列あって三十六席。大手の新聞やテレビの報道記者には最前列に記者席が設けられているが、マスコミ陣はもちろんそれだけではない。週刊誌やフリーの記者などもこぞってやってきているようだ。

 勲ら裁判官が入廷した瞬間から、傍聴席の後方中央に設置されたNHKのテレビカメラが回り始めている。報道各社を代表しての撮影だ。カメラクルーの隣には訟廷管理官(しょうていかんりかん)がストップウオッチを片手にして立ち、撮影時間として取り決められている二分間を計っている。

 勲は廷内に漂う小さな息遣いや洟(はな)をすする音などを聞きながら、裁判官席の中央の椅子に腰を下ろした。

 顔を上げて視線を前に向ける。傍聴席右前列、記者席を示す白いカバーのかかっていない一ブロックに座る喪服姿の一団がまず目に入った。

 四十代の男が被害者の遺影を膝の上に置いている。彼、池本亨(いけもととおる)は被害者家族の妻、的場久美子(まとばくみこ)の実兄だ。鬼瓦のような顔をした骨太の男ながら、その佇(たたず)まいは影が差しているように見える。髪は乱れ切っていて、勲ら裁判官とは好対照なほど、手ぐし一つ当てられてはいない。眼には異様なぎらつきがある。

 勲は、検察側の証人としても、またテレビのインタビューでも、彼の悲痛な姿を何度も目にしている。もちろんそれ自体は同情するにやぶさかではないが、今日に関しては……判決を迎えて喪服を着てくるあたり、そして痛々しいほどの髪の乱れ具合も含めて、閉廷後に予定されているであろう記者会見をどことなく意識しているような……悪く言えば一種のパフォーマンス的な匂いが勲には嗅(か)ぎ取れてしまった。

 黒いリボンがかけられた額の中には三人の笑顔が入っている。的場夫妻と六歳の息子、健太(けんた)の笑顔である。初公判では三人それぞれ一枚ずつの大きな遺影を持ってきていたが、職員の誰かが自粛を申し入れたようで、第二回からは三人一緒に写っているスナップ写真の引き伸ばしが額に納まって、池本亨の手に支えられている。一年以上にわたる裁判の間、その姿が変わることはなかった。

 ただ、何度見ても、池本の眼、怨念(おんねん)のこもった眼は、この粛々とした法廷には馴染(なじ)まない……それが勲の率直な気持ちだった。池本だけでなく、勲は四十年近い裁判官生活の中で様々な事件が引き寄せた怨念を目の当たりにしてきたが、そのたびに違和感を覚え続けてきた。被害者とその遺族に降りかかった悲劇は記録を数枚繰るだけで容易に想像することができる。しかし、そこから怒りや憎しみをことさら抽出するのは法曹家のやるべきことではない。勲の経験上の実感である。

 

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