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2016.04.25

ヨーロッパでは「ドングリ」、日本では「亀の頭」

下川 耿史

ヨーロッパでは「ドングリ」、日本では「亀の頭」


古来、日本人は性をおおらかに楽しんできました。歴史をひもとけば、国が生まれたのは神様の性交の結果で(そしてそれは後背位でした)、奈良時代の女帝は秘具を詰まらせて崩御。豊臣秀吉が遊郭を作り、日露戦争では官製エロ写真が配られていたのです。――幻冬舎新書『エロティック日本史 古代から昭和まで、ふしだらな35話』(下川耿史・著)では、歴史を彩るこうしたHな話を丹念に蒐集し、性の通史としていたって真面目に論じてゆきます。
今回は第6章「近代、官製エロの時代 明治~昭和時代」より、第6話「性の用語としての〈処女と童貞〉」の一部を試し読みとしてお楽しみください。性的な言葉の変遷を紹介してゆきます。

第6話 性の用語としての〈処女と童貞〉

陰茎と膣の出現
 性の関係を表現する言葉には庶民の間で用いられる俗語(会話用語)と、史書や文学作品、あるいは辞書や医学資料などに記録された史料用語の2種類がある。
 俗語とはおまんこやぼぼといった言葉を指し、史料用語に属する例として陰茎、膣から精液、淫水、陰核などの言葉が含まれる。今回は後者に属する言葉がいつ、誕生したのかというのがテーマである。
 後者に限定した理由は俗語の場合、おまんこのように1つの言葉が女性器を指す地方もあれば、性交を意味する地方もあるなど、語源的な探索が不可能なケースが多いからだ。またこの話を近代の最後に設定したのは、処女と童貞という一対の言葉が定着したのは昭和に入ってからであることに基づく。

 ところで『記紀』では陰茎と膣は「成り余れるところ」「成り合わぬところ」と呼ばれ、その後はへのこ、おまんこなどの俗語で表される時期が長く続いた。陰茎という言葉が史料に登場するのは室町時代である。この時代に日常語約3000を集めた『下学集』という辞書が作られ、

「陰茎。インキョウ、男ノ前陰ナリ」

 と記載されたのが最初。同書は1444(文安元)年に成立したが、刊行されたのは170年以上経った1617(元和3)年であった。さらに1765(明和2)年に刊行された『軽口東方朔』巻五(並木正三作)の中に、

「我は陰茎の大なること馬よりもすさまじく」

 という文句がある。陰茎という言葉が軽口集で用いられるほど一般に広がっていたことがうかがわれる。
 膣の場合、陰茎よりはるかに遅く、大槻玄沢が1826(文政9)年に刊行した『重訂解体新書』に登場したことに始まる。『重訂解体新書』は杉田玄白らが1774(安永3)年に刊行した日本初の解剖学書である『解体新書』を、玄白の高弟の大槻が増訂・改訳したものである。ただし大槻が造ったのは「 」という字で、「しつ」と読ませたが、なぜか世間には「膣」という字として広がったという。

処女と童貞の意味の変遷
 処女と童貞という言葉も、性関係の用語としてはもっとも基本的な部類に属する。処女という言葉は平安時代の818(弘仁9)年、嵯峨天皇の勅命により編さんされた漢詩集の『文華秀麗集』に、

「受命漢祖に師となり、英風万古に伝ふ。沙中の義初めて発り、山中の感、弥玄し。形容処女に似て、計画強権を撓む」

 とあるのが初出である。この漢詩は漢の高祖に仕えて大功を立てた張良という人物について述べたもので、「形容処女に似て」とは「張良の姿形は女性に似ていて……」という意味であり、性的な意味合いを込めた表現ではない。
 それからざっと900年後の1703(元禄16)年に刊行された『松の葉』という歌謡集の中に、「みやいちがよれたよれた、しょぢょがなさけ」という文句が見えている。この本は三味線用の歌を集めたものであるから、歌はいずれも庶民の使用する俗語で創られている。とすれば処女は異性経験のない女性というイメージが、この頃にはすでに芽生えつつあったようである。ただしその後、定着したような痕跡は見当たらない。いずれにしろ、性の用語は庶民の間で流通していた俗語と、広い意味での「史料用語」があり、「史料用語」の中の使いやすい言葉が庶民に選ばれて徐々に定着していくという流れのあることが想像される。

 同じようなパターンは童貞という言葉についても指摘できる。この言葉の発端は1876(明治9)年、横浜に設立された「仏語童貞学校」(横浜雙葉学園の前身)で、当初は「聖母マリア」を指す言葉として用いられた。
 これが性的な意味に使われるようになるのは大正時代で、1925(大正14)年版の『広辞林』では「婦人又は男子が幼児の純潔を保持し、未だ異性と交遊せざること」と説明されている。ここでは男に限定した言葉とはされていないが、1927(昭和2)年、当時の性学者の澤田順次郎が「処女と童貞」という論文を発表、これをきっかけに童貞が異性経験のない男子を指すようになった。その結果、処女と童貞が対のセックス用語として定着するようになったのである。

 処女の関連用語に処女膜がある。『解体新書』の一節にある「処女は、膜陰器の内に必ずあり」という記述が処女膜に関する日本初の記録だが、玄白は処女膜という言葉は使っていない。その後、大槻が『重訂解体新書』において処女膜を「嬢膜」という言葉で紹介したものの定着しなかった。
 処女膜という言葉が初めて使われたのは緒方洪庵訳の『扶氏経験遺訓』(1857年刊)で、「よろしく外科術を行って処女膜を截開すべし」と書かれている。これは処女膜肥厚という病気の治療法について述べたもので、以後、急速に広がった。1876(明治9)年5月3日の「朝野新聞」には上総国(現千葉県)長柄郡の医師が「西洋にて初所膜(処女膜のこと)といえるもの」の切開手術を行ったという記事が見えている。

『解体新書』といえば、日本ではペニスの先端を亀頭と呼んでいるが、解剖学者で、医史学の第一人者である小川鼎三によると、これも『解体新書』に記載されたことから広がったという。ただし小川によると、玄白の造語ではないことは確かだが、誰が造り出したかとなると調べが及ばなかったという。ちなみにヨーロッパでは「ドングリ」と呼ばれる。これはラテン語の「グランス」からきたものだが、生理学者や解剖学者の間では、「ドングリ」より「亀の頭」の方が「いい得て妙」と称賛されている。
 男性の亀頭に相当するのが女性のクリトリスで、現在では陰核という呼称が一般的である。陰核はもともと男性の睾丸や精囊を意味していた。それがいつ頃、クリトリスを意味するようになったのか、研究者の間でも今もって分からないという。江戸時代の代表的な随筆家である大田蜀山人は1809(文化6)年に『金曽木』を出版したが、その中でへのこ(男性器)の説明として、

「古は睾丸または陰核の称呼たりしも、今は専ら男陰の称呼となれり」

 と述べているから、この頃までは、陰核は男性器もしくはその部分を表す言葉だったわけである。陰核に触れた資料をもう一例紹介すると、奥山虎章は近代日本のもっとも初期の海軍医官で、1872(明治5)年に西洋の医学用語を集めた『医語類聚』を出版し、近代医学の普及に貢献したことで知られている。その中に「クリトリス」の訳語として「陰核」という言葉をあてている。とすれば陰核がクリトリスを意味するようになったのは、日本の近代化における最初の変化の一つだったのかも知れない。
 なお『解体新書』にはクリトリスの訳語として廷孔とあるが、廷孔とは中国語で尿道口を表すので、玄白が誤訳したものと見られている。

 

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