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2016.03.17

母さんごめん、もう無理だ

朝日新聞社会部

母さんごめん、もう無理だ

 「どうしても伝えたい」
 裁判所の傍聴席で日々取材する記者が、強く心に残った裁判の模様を綴る、朝日新聞デジタルの連載「きょうも傍聴席にいます」
 新聞では報じられないような小さな事件の驚きの背景、秘められた被告の思い――。
「泣いた」「他人事ではない」と毎回多くの反響が寄せられる人気連載をまとめた書籍『母さんごめん、もう無理だ~きょうも傍聴席にいます~』が、発売になりました。
 記者が見つめた法廷の人間ドラマ29編のなかから3編をお届けする、3回連載の最終回。本書のタイトルともなった裁判です。
(文中に登場する人物の名前は仮名、また年齢は公判当時のものです)

*  *  *

 100歳まで頑張る――。そう話していた98歳の母の首に、74歳の息子が手をかけた。

 老老介護のすえの悲劇。2人だけの暮らしに、何があったのか。

 6月25日に岐阜地裁であった裁判員裁判。

 裁判長「被告人を懲役3年に処する。5年間その刑の執行を猶予する」

 10年以上介護してきた母を殺した殺人の罪。無精ひげを生やした魚谷克也被告(74)は、背中を丸め、表情を変えずに判決を聞いた。

 法廷での証言などによると、魚谷被告は福岡県の高校を卒業後、25歳で旧国鉄に入り、定年まで大過なく勤め上げた。過去に警察のお世話になったのは交通違反だけ。両親と妻、2人の娘の6人家族で、岐阜県大垣市内の一軒家で、ごくふつうに暮らしてきた。十数年前、父が他界。成人した娘たちは結婚して家を離れた。

 人生の歯車が狂い始めたのは2003年。母が両ひざを骨折し、付き添いなしで歩くのが難しくなった。訪問介護を利用したが、妻と母は次第にうまくいかなくなり、5年ほど前、妻が家を出て行った。

 それ以来、母との2人暮らしに。魚谷被告は母の朝食に卵焼きやみそ汁を作るなど介護に精を出したが、次第に不眠に悩まされるようになった。うつ病と診断され、通院を始める。

 同時に、母は認知症が進み、ほとんど寝て過ごすようになった。

 昨年(2014年)3月、母を介護老人保健施設に入所させた。だが、半年で自宅に引き取った。

 検察官「母を入所させている間、どう感じた?」

 被告「元気にやっているかと、心配は尽きなかった」

 弁護人「母が自宅に帰ってきた理由は?」

 被告「施設はかわいそうだと思って」

 その後は1週間おきにショートステイを利用。毎日、朝昼夕に30分ずつ、食事などの
世話で訪問介護も受けた。

 一方で、魚谷被告のうつ病は悪化していったが、昨年11月ごろ、通院をやめてしまった。胃の調子も悪く、食欲もなくなる。日増しに生活の意欲が薄れ、母のおかゆを作ることも難しくなった。介護だけでなく、自分の食事や入浴なども面倒に感じるようになった。

 追い込まれていった魚谷被告は、今年(2015年)1月上旬、母に殺意を抱いた。

 検察官「1月上旬ごろ、包丁を持ち出した?」

 被告「そのころから殺そうという考えが頭にあった」

 包丁を手に寝室に向かったが、この日、魚谷被告は母を刺すことはなかった。

 検察官「何が怖いと思った?」

 被告「母がもだえ苦しむ姿に耐えられないと思った」

 事件が起きたのは、約10日後の1月17日。母がショートステイから帰ってきた翌日だった。

 検察官「ショートステイから帰ってきたときの気持ちは?」

 被告「母を施設に預けても心配は尽きない。でも、そばにいても、うれしいかというと……、難しい」

 魚谷被告は午前6時ごろに起床し、台所で母のためにおかゆを作った。母も台所に来て、いすに腰かけたが、おかゆは食べなかった。魚谷被告は向かいに座り、自分でおかゆを食べた。「また1週間が始まるのか」。魚谷被告は一線を越えた。

 弁護人「殺そうと思ったのはいつ?」

 被告「おかゆを食べているときに、殺してしまおうと浮かんだ」

 弁護人「どのような思いから?」

 被告「体調が悪く、おふくろを1人で残して自分が死んだ場合のことをいろいろ考えた」

 午前7時10分ごろ、母を寝室に連れて行き、仰向けに寝かせると、その右側にひざをついて両手で首を絞めた。

 母は抵抗しなかった。約15分、そのまま絞め続けた。

 弁護人「首から手を離したあとは何をしていた?」

 被告「ぼーっとして歩いたり、座ったりしていた」

 午前8時。訪れた介護福祉士に、男は「母が転んでしまったので起こしてほしい」と頼んだ。母の唇は紫色になっていた。介護福祉士が異変に気づく。

「首を絞めて殺してしまったかもしれない」。魚谷被告はそう言い直し、自ら110番通報した。

「なんでこんなことになったの」。介護福祉士に問われ、魚谷被告は沈黙した。しばらくして、ぽつりと「悪いね」と答え、警察に連れられて行った。

 検察側は法廷で、介護福祉士の調書を読み上げた。生前、母と介護福祉士の間で、こんなやりとりがあった。

「100歳になったら市長さんがお祝いに来てくれるよ」。介護福祉士が話しかけると、母は「頑張る」と言って拳を突き上げた。また、母はしばしば、「息子のところへ連れて行って」と頼んだという。息子の顔を見つけると、母はにっこりと笑った――。

 検察官「殺す前に施設に入所させるとか、ヘルパーに来てもらうとか、考えなかったか」

 被告「できないことはないが、年金だけではやっていけない」

 検察官「なぜ娘に相談しなかった?」

 被告「2人とも子どもがいる。親といえども、そこまで迷惑をかけるのは不可能です」

 魚谷被告は昨夏までは近所に住む娘の家を頻繁に訪れていたが、冬には2カ月に1回に減った。それでも孫に会えばうれしそうな表情を見せ、「変わりない。大丈夫」と話した。だが、介護福祉士には、「死にたい」と漏らしていたという。

 判決の際、魚谷被告を執行猶予とした理由について裁判長はこう述べた。

「犯行当時、うつ病で介護が困難だったうえ、動機も病気が大きく影響していて強く非難することはできない。今後は病気を治して、娘さんに相談するようにしてください」

 裁判の途中で、こんなやりとりがあった。

 弁護人「現在、母に対してどう償いたい?」

 被告「大変すまないという気持ちでいっぱい。償えるなら償いたいが……」

 裁判員「殺さなければよかったと思いますか?」

 男は、迷うことなく、こう答えた。

「いまが一番苦しい」

 検察側、弁護側とも控訴せず、判決は確定した。

(小林孝也)

*  *  *

 法廷は、人生と世相の縮図。人を傷つけることなく、傷つけられることもなく、どうしたら誰もが、ささやかながらも幸せに生きられる社会になるのか。そんなことを問う本書を、ぜひお読みいただけると幸いです。

 また、「きょうも傍聴席にいます。」は、朝日新聞デジタル版で連載中です。最新記事はこちらから。

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