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2016.03.07

「妻と娘を守る義務がある」

朝日新聞社会部

「妻と娘を守る義務がある」

 「いま取材している裁判で100行書きたい。30行じゃあ、とても書けないですよ」
 ある夜、ひとりの若手記者が、居酒屋で上司に訴えました。
 新聞社の裁判担当記者は毎日傍聴席に詰めて裁判を取材していますが、そのうち記事になるのはわずか。それもほとんどは、多くて30行(新聞の1行は12字なので360字)の小さな扱いです。
「ネットだけでもいいです。絶対に読まれる自信があります!」
そこから生まれたのが、朝日新聞デジタル版のオリジナルコンテンツ
「きょうも傍聴席にいます。」
 更新されるたびに「泣いた」「他人事と思えない」と多くの反響が寄せられる人気連載をまとめた書籍
『母さんごめん、もう無理だ~きょうも傍聴席にいます~』が、3月10日に発売されます。
 記者が見つめた法廷の人間ドラマ29編のなかから、3回連載で3編をお届けします。
(文中に登場する人物の名前は仮名、また年齢は公判当時のものです) 

* * *

 就寝中の息子の胸を刃物で刺し、命を奪った父に告げられたのは、執行猶予付きの判決だった。東京地裁立川支部で11月下旬にあった裁判員裁判。裁判長は「相当やむを得
ない事情があった」と述べた。ともにプラモデル作りが好きで、二人三脚で大学受験に臨むほど仲がよかった父子に、何があったのか。

 三男(当時28)への殺人罪に問われたのは、東京都八王子市の樋口敏明被告(65)。黒のスーツに青紫のネクタイを締め、法廷に現れた。事件までは、監査法人の会社員。同僚からは「まじめ」「誠実」と思われていた。

 事件の経緯を、検察の冒頭陳述や被告の証言からたどる。

 約10年前、三男は都立高2年生のとき、精神の障害と診断された。通信制高校に移るなどしたが、浪人生活を経て大学にも進学。充実した学生生活を送った。卒業後はガス会社に就職した。

 しかし、次第に変化が生じる。仕事がうまくいかず、職を転々とした。「自分をコントロールできない」と本人も悩んでいた。昨年夏ごろから家族への言動が荒くなり、次第に暴力も始まった。

 今年(2014年)5月下旬、被告の妻が三男に蹴られ、肋骨(ろっこつ)を骨折。「これから外に行って人にけがさせることもできる」。三男はそんな言葉も口にした。

 被告は、警察や病院、保健所にも相談を重ねた。

 警察からの助言は「入院治療について、主治医と話し合って。危害を加えるようでし
たら110番してください」。保健所でもやはり、「入院について主治医と話してください」。

 一方、主治医の助言は、「入院してもよくなるとは言えない。本人の同意なく入院さ
せれば、退院後に家族に報復するかもしれない」。ただ、「警察主導の措置(そち)
入院なら」と勧められたという。

 措置入院とは、患者が自身やほかの人を傷つけるおそれがある場合、専門の精神科医2人が必要と認めれば、本人や保護者の同意がなくても強制的に入院させられる制度だ。

 主治医は法廷で、「家族の同意によって入院させた場合、三男は入院についてネガティブに考えると思った。警察主導の措置入院なら、本人の認識を変えるきっかけになると思った」と証言した。

 ただ、警察は措置入院に前向きではなかった。被告が相談に行っても、「措置入院には該当しないのでは」との返答。三男は暴れても、警察が駆けつければ落ち着いたし、警備業のアルバイトを続けられていたことなどが理由だった。

 いったい、どうすればいいのか――。被告は追い詰められていった。

 6月6日、事件は起きた。

 この日、被告は1人で病院に行き、主治医に三男の入院を相談。ソーシャルワーカーを紹介されたが、入院については、あくまでも警察主導の措置入院を勧められた。

 午後8時半。妻からメールが入る。妻が誤って三男のアルバイト先の仕事道具を洗濯してしまい、三男が「殴る蹴る以上のことをしてやる」と怒鳴っている――。そんな内容だった。

 被告は急いで帰宅した。暴れる三男を目にして、110番通報した。

 駆けつけた警察官に、被告は再度、措置入院を懇願した。三男はこの日、両親の顔を殴るなど、いつも以上に暴力を振るっていた。しかし、三男は警察官が来てからは落ち着いた。「措置入院にするのは難しい」。警察官は言った。

 警察官が帰ると、三男は就寝し、被告は風呂に入った。

 弁護人「風呂では、何を考えた?」

 被告「主治医や警察に入院をお願いしたが、最終的には措置入院もできなかった。いまの精神医療の社会的仕組みでは、私たち家族は救えないのではないか。そう思いました」

 弁護人「今後ますます暴力は激しくなると」

 被告「はい。三男は『今度は刃物を使うから覚悟しろよ』と言っていた。今度は刃物を振り回すと思った。私は逃げられても、妻はひざが悪いので逃げられない」

 一家は当時、両親と三男、三男の妹である長女の4人暮らし。ただ、妻も長女も三男の暴力におびえ、追い詰められていた。

 弁護人「家族で逃げることは考えなかったのですか」

 被告「家を出ても、三男は私の勤務先を知っている。職場に怒鳴り込んでくると感じ
ました」

 弁護人「警察に被害届を出すことは」

 被告「警察に突き出すことは、三男を犯罪者にしてしまうこと。その後の報復を考え
ると、それはできませんでした」

 被告は法廷で、「三男は自分が犯罪者になることを恐れていた。家族がそうさせることはできなかった」とも話した。

 7日午前3時前。被告は風呂を出ると、2階にあった出刃包丁を持ち出し、三男の部屋に向かった。寝ている三男の横に中腰で座り、左胸を1回、思い切り突き刺した。

 被告「私は、妻と娘を守る義務がある。警察や病院で対応できることには限度があるが、暴力を受ける側は悠長なことは言っていられない。私は夫として、父として、こうするしか思いつきませんでした」

 刃物を胸に突き刺すと、血が流れ出る音がした。しばらくして、手を三男の鼻にかざした。息は止まっていた。

 被告はそのまま、三男に寄り添って寝た。

 弁護人「何のために添い寝を」

 被告「三男とは、もとは仲がよかった。三男のことを考えたかった」

 被告は法廷で、何度か三男との思い出を口にした。

 ともにプラモデルが好きで、かつて三男は鉄人28号の模型を自分のために作ってくれた。大学受験のときには一緒に勉強し、合格通知を受け取った三男は「お父さん、ありがとう」と言った。大学の入学式、スーツ姿でさっそうと歩く三男を見て、とてもうれしかった――と。

 弁護人「あなたにとって、三男はどのような存在でしたか」

 被告「友達のような存在でした」「三男にとっても、私が一番の話し相手だったと思います」

 朝になり、被告は家族に事件のことを話さぬまま、警視庁南大沢署に自首した。

 家を出る前、「主治医に相談に行かない?」と尋ねた妻に、「行くから。休んでて」とだけ告げたという。

 妻「主人は子どもに向き合い、とにかく一生懸命でした」

 証人として法廷に立った妻は、涙ながらに語った。

 妻「私は三男と心中しようと思ったが、できませんでした。警察などに何回も入院をお願いしても、できなかった。どうすればよかったか、私にはわかりません」

 一方で被告は、事件から半年を経て、いまの思いをこう語った。

 被告「いまから思えば、三男を家族への暴力行為で訴え、世の中の仕組みのなかで更生の道を歩ませるべきでした。三男の報復が怖くても、三男のことを思えば、そのように考えるべきでした」

 東京地裁立川支部は11月21日、被告に懲役3年、執行猶予5年を言い渡した。検察側
の求刑は懲役6年だった。

 裁判長「被害者の人生を断ったことは正当化されないが、相当やむを得ない部分があったと言わざるを得ない。被告は、被害者の人生の岐路で、父親として懸命に関わってきた」

 ただ、こうも続けた。

 裁判長「家族を守ろうとしていたあなたが、最終的には家族に最も迷惑をかけることをした。これからは、もっと家族に相談するよう、自分の考えを変えるようにしてください」

 被告は直立し、裁判長の言葉を聞いた。

 法廷には、妻のすすり泣く声が響いていた。

*追記 検察・被告側とも控訴せず、判決が確定した。

(塩入彩)


* * *

◆第2回は3月17日(月)に掲載予定です。
◆「きょうも傍聴席にいます。」は、朝日新聞デジタル版で連載中です。最新記事はこちらから。

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