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2016.02.25

第二章 彦八、江戸へ 〜江戸の座敷比べ

(32)いよいよ『座敷比べ』が始まった!! 宿敵・伽羅小左衛門を負かすことはできるのか!?

木下 昌輝

(32)いよいよ『座敷比べ』が始まった!! 宿敵・伽羅小左衛門を負かすことはできるのか!?

江戸での生活を始めた彦八と、旧友・武左衛門の前に立ちはだかる売れっ子の辻咄の伽羅一門。彦八は決意する。「鹿野武左衛門を座敷に上げて、伽羅一門に笑話で勝つのだ」。伝説の男・米沢彦八の生涯を描いた注目作。毎週火・木・土の週3更新です。

第二章 彦八、江戸へ 〜江戸の座敷比べ

(一)

 料理屋の控えの一室には、辻咄の芸人とその弟子や付き添いたちが大勢座っていた。

 異様な雰囲気である。火鉢はあるが、それよりも芸人たちが発する熱気がより濃く室内に籠っていた。

 ある者は壁に向かい青い顔でしきりに呟き、ある者は地揺れのように貧乏揺すりをし、ある者は苛立たしげに右に左に同じところを歩き回っていた。

 彦八と鹿野武左衛門、石川流宣の三人は畳の上に座り、腕を組んで、同じ方向を睨んでいた。そこには高価な黒羽織を着込んだ男たちが、胸をはりつつ談笑している。伽羅小左衛門の一門だ。武士のように厳めしい顔をした伽羅小左衛門だけは小袖姿で、弟子たちに肩を揉ませていた。

 その後ろで力士のような四郎斎が控えているが、羽織から覗く腕のあちこちに発疹があり、それをしきりに掻いている。狼の毛皮による蚤攻めは、期待以上の効果を上げたようだが、それを喜ぶような心の余裕は彦八にはなかった。

 一方の鹿野武左衛門は、石川流宣が誂えた紺の子持縞の羽織と臙脂格子の着流し姿である。金襴の入った新しい帯を、時折撫でて咄を小声で口ずさんでいた。

 滑るように、襖が開く。

「では、これより座敷比べの会を始めまする。立ち合い人は……」

 ご丁寧に行司の衣装に身を包んだ男が、次々と列席する豪商たちの名前を挙げていった。

 上州屋、駿河屋、高見屋、桔梗屋、鴻池、住友、紀伊國屋……。読み上げられた名前に、思わず彦八の体もぶるりと震える。

「さて、まずは一番手でございますが、西東太郎左衛門殿でございます。ご用意はよろしいか」

 目を瞑り、無言でしきりに唇を動かしていた男の肩が動いた。ゆっくりと瞼を上げて、立つ。一本だけ差した短い脇差しを撫でているのは、精神を集中させるためか。

 元旗本という出自で有名な辻咄である。袴の衣擦れの音を響かせつつ行司役が案内する先へと進むと、飲み込むようにして襖が閉まった。

 彦八は忍び足で閉じられた襖まで行き、隙間に細めた目をやる。立ち姿で、西東太郎左衛門が必死にしゃべっていた。対面には、商人たちが堤を作るかのように座っている。後ろには文机があり、番頭風の男が何人も控えていた。西東の笑話に、皆手を打ったり、扇子で膝を叩いたりして喜んでいる。

 西東太郎左衛門の咄が終わるや否や、笑い声もピタリと止んだ。一斉に皆が扇子を口元にやり、後ろに控える番頭に囁きかける。紙面に筆が滑る音が、彦八のいる部屋にも流れこんできた。先程の芸に点をつけているのだ。

「ご苦労様です」と声がしたので、慌てて体をどける。襖が開いて、西東太郎左衛門が姿を現した。額には、幾筋もの脂汗が流れている。

「しくじった」と、掠れる声で呟いたのが聞こえた。

「やはり、一番手はやりにくい」

 顔を歪めつつ座り、待っていた時と同じように目を瞑り、縛めるように腕を組んだ。

「次、休慶殿」

 僧形の男が立ち上がる。周りの辻咄たちに一礼するが、仕草はぎこちない。

「笑いが柔らかくないな」

 襖の向こうから漏れる音を聞きつつ、誰が言うでもなく呟いた。先程よりも、明らかに笑いが薄い。

 やがて、顔面を蒼白にした休慶が帰ってきた。

「だめだ。なぜ、いつものように咄せなんだ」

 壁際まで進み、崩れるように膝をついた。

 次々と辻咄たちが呼ばれていく。

 ある者は顔を赤らめて帰り、ある者は放心したかのように戻り、ある者は目に涙を溜めつつ引き返す。

「そろそろだな」と口にしたのは、伽羅小左衛門だ。肩を揉んでいた弟子が、すかさず手を放す。伽羅小左衛門が腕を水平にすると、取巻きのひとりが黒い羽織を恭しく着せた。

 そして、閉じた襖の前に立つ。まだ、前の辻咄は続いている。なかなか悪くない笑いが聞こえており、それを塞ぐかのように立つ。

 襖が開いて、咄を終えた男が姿を現した。仁王に立つ伽羅小左衛門に驚きつつ、避けて自分の居場所へと帰る。

「いよっ、待ってました」

 襖の奥から見えたのが伽羅小左衛門と知り、跡取り息子風の男が声を上げた。

「伽羅小左衛門、当代一の辻咄」

 まだ行司が紹介もしていないのに、次々と声がかかる。戸惑う進行役を尻目に、ゆっくりと頭を下げ、座敷へと足を踏み込んだ。

 力強い一歩に客が喝采を送る。

 閉まった襖に、四郎斎が膝行で太った体を近寄らせた。

「おい、小僧、見たいだろう。来いよ」

 意地の悪い笑いとともに、彦八に声をかける。両腕の発疹は血が滲まんばかりだが、今ばかりは痒さも忘れているようだ。

「ふん、誰が見るか」と言いつつも、腰を浮かしてしまった自分が憎い。すり足で隙間へと近づき、覗く。

「あっ」という声は、分厚い四郎斎の掌で塞がれてしまった。隙間から覗く、伽羅小左衛門の後ろ姿が見えた。右を向いて、太刀の束を握る真似をしつつ、「おのれ、儂を武士と知っての狼藉か」と叫んでいる。

 続いて左を向き、狼狽え、震える百姓の様子を再現した。

「あれは仕方やないか」

 肉付きのいい掌を口から剥ぎ取り、小さい声で詰問する。四郎斎は人差し指を唇に持ってきて、静かにしろと窘めるだけで答えない。

「お前ら、おいらたちの仕方咄を盗んだんか」

「人聞きの悪い。それをいうなら、辻咄を始めたのは、こちらが先。我らの仕方を禁ずるなら、お主らには咄を禁じさせるぞ」

 太い人差し指で、彦八の額は強く弾かれた。体格のいい四郎斎は、指の力だけでも十分に彦八の頭を揺らす。

 いつのまにか、鹿野武左衛門と石川流宣が近くに来ていた。ふたりが襖の隙間から覗きこむと、顔色が一変する。特に鹿野武左衛門は眉間に深い皺を刻み、肩を震わせていた。

 険しい表情のまま、襖から顔を引き剥がす。

「彦八、戻れ」

「けど」

「こんなところでやいやい言うてたら、心が乱れてまう」

 首根っこを掴まれた時、襖をこじ開けるような笑い声が聞こえてきた。笑話を終えた辻咄たちの顔がたちまち歪む。何人かは、天井を見上げてため息を漏らした。

「いいから、座れ」

 鹿野武左衛門は彦八と石川流宣を襖から離れさせて、自身も尻を下ろした。

 襖が開き、湯上がりのように上気した伽羅小左衛門が現れる。腹を捩って笑う商人たちの姿が見えた。

「お見事です」

 四郎斎の言葉に、伽羅小左衛門は満足気に深く頷く。

 

「続きましてはとりを務めまする、座敷比べ初顔見世の辻咄、鹿の……」

 行司役の声にかぶさったのは、身も凍るような罵声だった。

「いよ、馬の足」

 彦八のいる控えの間ではなく、商人たちのいる座敷から聞こえてきたのだ。

 一瞬、場は静まり返る。その後にやってきたのは、嘲りの笑いだった。

 開くはずの襖の前で、鹿野武左衛門の体が固まっていた。子持縞の文様が、まるで着る者を縛する縄に見える。

 彦八が伽羅小左衛門たちを睨みつけると、四郎斎が歯茎を見せつけるような笑みを向けてきた。

「お前ら、何をした」

「なに、鹿野武左衛門殿のかつての所業を、お客様にお伝えしただけじゃ」

 彦八が、拳を握り立ち上がる。

「言っておくが、噓はひとつも述べておらんぞ」

 四郎斎も、待ってましたとばかりに身構えた。

「むごいな」と呟いたのは、一番手で咄を披露した元旗本の西東太郎左衛門だ。

「嘲りと侮蔑の気で満ちている。こんな場で、笑話は無理だ」

 同情の視線を鹿野武左衛門に向けた。一方の鹿野武左衛門は、鼻先にある襖をじっと見つめている。

「鹿野殿、いや、志賀屋左衛門殿」

 昔の旧名で呼びかける四郎斎の悪意に、周囲の辻咄たちも思わず顔を背ける。

「逃げるなら、今のうちですぞ。襖が開けば、むごいことになるは必定」

 しかし、鹿野武左衛門は微動だにしない。怪訝そうに伽羅小左衛門一門が目を細めた時、「彦八」と呼びかけられた。

「案外、おいしいんとちゃうか」

 襖に語りかけるように、鹿野武左衛門が言う。

「そら、そうかもしれんけど、むかつくやん」

 彦八が四郎斎を指さすと、「ほっとけ」と鹿野武左衛門が笑う。ふたりの泰然とした様子に、伽羅小左衛門一門にも微かに動揺が走る。

「静かに、お静かに」

 襖の向こうでは、行司の悲鳴はまだ続いている。

「けど、ちょっと咄の枕は変えた方がええな」

「せや、武左衛門はん。けど、中身の方は大きくは変えんでええ……」

 助言しようとした彦八は、口を噤む。鹿野武左衛門は唇をせわしなく動かして、咄を復唱している。いや、枕を作り直し、それに伴う後半の変更を確認しているのか。

「では、とりは鹿野武左衛門殿」

 襖が滑るように動き始めた。

「頑張りや、梅若のぼんも空から見守ってるで」

「阿呆、死んだみたいな言い方すな」

 立っていた場所に言葉を置くようにして、鹿野武左衛門は座敷の中へと軽やかに入っていく。

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