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2016.02.23

第二章 彦八、江戸へ 〜彦八、江戸へ行く

(31)『座敷比べ』のネタを考える彦八。しかし流宣の描く浮世絵に里乃の面影を感じて。

木下 昌輝

(31)『座敷比べ』のネタを考える彦八。しかし流宣の描く浮世絵に里乃の面影を感じて。


江戸での生活を始めた彦八と、旧友・武左衛門の前に立ちはだかる売れっ子の辻咄の伽羅一門。彦八は決意する。「鹿野武左衛門を座敷に上げて、伽羅一門に笑話で勝つのだ」。伝説の男・米沢彦八の生涯を描いた注目作。毎週火・木・土の週3更新です。

第二章 彦八、江戸へ 〜彦八、江戸へ行く
 

(十一)

 

 絵具が並んだ石川流宣の部屋で、彦八は寝そべっていた。時折、頬杖をついて考えこむ。目の前には『軽口男』と書かれた帳面がある。彦八の咄のひかえ帳である。半分ほどは、自分の考案した笑話が書いてあり、残り半分はまだ白紙だ。鹿野武左衛門から依頼された笑話を考えているのだが、手が進まない。時折、馬の落書きを書いて、「うーん、違うな」と呟く。

「彦八さん、もう少し静かにならないですかね」

 絵筆を握っていた石川流宣が、険しい顔を向けてきた。

「それに何です。その整っていない馬は」

 帳面に描いた馬を筆先で示した後に、汚らしいものを見るような表情を露骨に浮かべる。

「しゃあないやん。次の座敷比べで使う咄を考えてるんやから」

「武左衛門さんも困ったことを言って。今の咄だけでも十分に勝負になるのに」

 深いため息を吐いた。

「あー、だめだ。誰かさんが下手な馬の絵を描くおかげで、私の方の筆も進まなくなったじゃないですか」

 絵筆を置いて、石川流宣は煙管を取り上げた。

「奇遇やねぇ。おいらも全然筆進みませんねん」

 下手と言われた馬の絵を描くのを止めて、立ち上がる。石川流宣も煙草を吸うために座を立ったので、入れ替わるようにして描きかけの絵を眺めた。

「石川はん、また女武者か。おいら、この娘の感じは好きやで。幼馴染によう似てるもん。凛とした感じとか、ええよね。やっぱり、こういう子が好きなん」

 足下にある絵の女武者は、かつての里乃によく似ていた。左の横顔の輪郭が美しい。

「凛とした女が好きなんじゃないですよ。整っていない顔の女が嫌いなだけです」

 多分、この男は女にもてへんやろうなぁと思いつつ、背後に並ぶ絵にも目をやる。同じ女武者の絵が何枚かあるが、どれも左の横顔を見せるような角度だ。

「なあ、左の横顔だけやのうて、今度右か正面の顔も描いたってくださいよ。この子、どんな雰囲気か知りたいわぁ」

 戸口のところで、煙の輪を石川流宣は吐き出した。己の顔の輪郭のような奇麗な円ができて嬉しいのか、細い目を糸のようにして笑っている。風が吹いて煙の輪が消えると、すぐに真顔に戻った。

「申し訳ないですが、そのつもりはないですね」

「なんで、もったいないやん。右のほっぺに、できものでもあるの」

「いえ、ちがいます。これですよ」

 右のこめかみに、指で線を引くような仕草だった。傷があるということか。

「まあ、目立つものではないですが。ご存知のように、私は美しくないものが嫌いでね。里乃お嬢様自身は気にしていないし、右や正面の顔もと注文は受けるのですが……おや、彦八さん、どうしたんですか、怖い顔して」

 気づけば、戸口のところにいる石川流宣に詰め寄っていた。帳面を蹴飛ばしてしまい紙がよじれる音がしたが、両手が襟を掴むのを止められない。

「ちょ、ちょっと、何、するんですか。や、やめて下さい」

「石川はん、今、なんて言うた。その子の名前、なんて言いました」

 石川流宣の肩が壁にぶつかった。

「な、名前ですか。里乃お嬢様のことですか。やめて、離れてください。暑苦しいなあ」

 我に返って、慌てて手を放す。

「す、すんまへん。その里乃って子、どこに今おるんですか」

 荒くなる呼吸を必死に抑えて、彦八は訊ねた。石川流宣はわざとらしく咳をして、彦八を睨みつける。

「米商いをしている、星見屋の養女ですよ。そういえば、上方の生まれって言ってましたね」

「そ、その星見屋ってどこにあんの」

 無意識のうちにまた掴みかかろうとして、「もう」と石川流宣の袖で手を払われた。

「そんなに焦らなくても、教えますよ。そのかわり、その汚い馬の絵を、金輪際この家では描かないで下さいね。本当に筆が進まないんだから」

 彦八の了承もとらずに、『軽口男』と書かれたひかえ帳の絵を、石川流宣は墨で塗りつぶす。

 

 星見屋の屋敷は彦八が思っているより、ずっと大きかった。底の浅い桶がいくつも並び、米が山の形に盛られ、刺さった短冊には“播磨”や“越後”などの産地が書いてある。

 木造りの天水桶に身を屈め、彦八はじっと様子を窺う。店先には身なりのいい小柄な老夫婦が立って、しきりに店の中を窺っている。

「おぉい、里乃、早くしなさい」

 手に口を当てて呼びかける声を聞いて、あれが星見屋の旦那とお方さん、つまり里乃の養父母だとわかった。石川流宣の話では、人格者と評判らしい。

「まったく、薙刀の稽古ばかりで、もう少し女らしい手習いにも身をいれてほしいもんだ」

「まあ、いいじゃありませんか。小さい頃に大変な目にあったんだし、好きなことをやらせてあげれば」

 夫婦の会話が、なぜか彦八の身に染みる。

「お嬢様、行ってらっしゃいませ。旦那様も奥様もお気をつけて」

 そんな声とともに、店の奥から細身の影が現れた。彦八は暫時、息の吸い方を忘れそうになった。胸に手をやって、ゆっくりと呼吸をするが、血管が波打つのが手に取るようにわかる。

 髪を島田の形に結って、簪をさした若い女性が現れた。彦八は木造りの天水桶をきつく抱きしめる。

 形のいい瞳と、首から顎にかけての滑らかな輪郭に面影があった。右のこめかみにうっすらと小さな傷があって、彦八の胸がひしゃげそうになる。光沢のある白の綸子地の着物は、肩と裾に梅の柄が上品にあしらわれていた。その後ろに回って髪や帯を細かく丁寧に整える養母父の姿を、使用人たちが朗らかに見守っている。

 ――よかった。辛い暮らしではないみたいや。

 安堵したはずなのに、なぜか体が細かく震えた。

 三人の親子の跡を、彦八はゆっくりと追う。小柄な老夫婦と長身の里乃は、遠目にもちぐはぐな親子だが、逆にそれが何ともいえぬ温かさを周りへと発しているようだ。

「お、おい、新しい辻咄じゃないか」

 里乃の養父が足を止めて、つま先立ちで輪をつくる人々を見た。

「あなた、嫌ですよ。また、寄り道ですか」

「かまわんさ。まだ、刻限まで余裕がある。少しだけ聞いていこう」

 妻の返答も聞かずに、懐から財布を取り出し、小銭を掌に包もうとしている。養母が里乃の方を見た。表情から「ええ」と言ったのだろう。白い歯を見せて、何事かを答えている。

 やがて三人は、人の輪の中へと吸い込まれていった。

 彦八はゆっくりと歩いて、人の頭の隙間から里乃を観察する。

 ――なんや、女らしい笑い方をするようになったやんけ。

 里乃は、手の甲を口に当てるようにして可笑しがっている。その様子を、彦八はじっと凝視する。

 なんか、ちゃうねんな、と呟く。

 童の頃を思い出す。難波村の祠のある広場で、いつも里乃は最前列に座っていた。身を乗り出して聞き、胸を反らして体全体で笑ってくれた。

 想像の中の里乃と、目の前の里乃は違う。確かに、喜んではいる。その笑顔に噓はないだろう。

 だが、と思う。

 ――おいらやったら、もっと大きく口を開けて、笑かすことができる。

 ――里乃の目を糸のように細めさせて、目尻に涙を溜めさせることができる。

 引き剥がすように、辻咄を囲む人たちのもとから離れた。自然に早足になる。

 石川流宣の話では、星見屋は年に何回か座敷に辻咄を呼ぶらしい。今日も新しい芸人を見て、わざわざ足を止めるくらいだから、かなり笑話が好きなのだろう。

 もしかしたら、その場に星見屋の養女もいるかもしれない。

 ――里乃を笑かすんや。

 童の頃のように、屈託なく破顔させる。それが出来る者は、きっと彦八しかいない。

 肌身離さず持っていたものが、懐の中で音をたてた。襟を割るようにして、手を入れる。握ったのは、巾着袋だ。生地ごしに、貝殼と石ころの感触がわかった。

 里乃の目の前に立ち、全力で笑話をぶつける。想像すると、体が震えた。

 そのためには、まずしなければならないことがある。

 座敷比べで、鹿野武左衛門を勝たせる。

 筆を握っていないにも拘わらず、掌が何かを書き付けるように動いた。頭と体が、面白いことを身の外に噴出したいと全力で叫んでいる。

 唇を舌で舐めると、塩の味がした。懐の中の巾着袋を、ゆっくりと撫でる。

 ――待っとけよ。武左衛門はんに最高の笑話を書いて、座敷比べに勝つ。そしたら、里乃に会わせたるからな。

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