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日本人はなぜ中国人をステレオタイプで見るのか?

2016.02.17 公開 ツイート

後編

中国人を“野蛮”扱いすることで露呈する日本人の自信のなさ 開沼博/張予思

東大大学院で修士号を取得し、現在テレビ朝日に務める中国人女性・張予思さんが上梓した『革命とパンダ:日本人はなぜ中国のステレオタイプをつくりだすのか』(イースト・プレス刊)をめぐり、著者と社会学者・開沼博さんが語り合った[前編]は、予想以上に大きな反響を呼ぶものとなった。
今回の[後編]ではさらに、中国を“見下したい”日本人の心理、そして加熱する「爆買い」報道の裏側を掘り下げていく。


日本の農協も欧州で「爆買い」していた時代があった

 『革命とパンダ』は、書店だと嫌中本と並んで置いてありますが、もちろんそういった本は中国人として嫌です。何がいちばん嫌かというと、中国人が書いている本もあることですね。むしろ中国人が書いているから説得力があるというふうに認識されているんでしょうけれども、そういう中国人はたぶん長く中国に帰っていない人たちだと思いますし、日本の空気を読んで、「こういう本が売れるんだろう」と書いているものがほとんどだと思います。

正直、私もパラパラ目次くらい読んで、もう腹が立ってあまり読めないんですけれども、一部だけれども、そういう嫌中本に満足している日本社会もいかがなものかなとは思います。

東京大学の大学院を卒業し、現在は、日本のテレビ局で働く張さん

開沼 それは、日本人の自己投影的な部分もあると思うんですよね。近親憎悪的な自分の嫌な部分を、じつは嫌中、嫌韓というかたちで出しているところはあるでしょう。

『革命とパンダ』では、政治的な言説だけじゃなくて、文化的なものにもいろいろな政治性がじつは入り込んでいるんだということが書かれていますね。そこもこの本のポイントであり、社会学が暴いてきた、いろいろなものに政治性が入り込んでいるという議論だと思うんです。

この対談の前編でも少しお話しましたが、「パンダ」がどんな政治的な意味を持っていたのか。消費社会との関係とか、環境汚染の問題とか、パンダに対して何か政治的な理想を見つめようとしていた動きもあったということだとは思うのですが、それはパンダ以外にも、例えば今は「爆買い」を見ることによって日本人が、逆に何かの自画像を投影していたりするのかもしれない。

そういう一見政治とは程遠いものに、じつは政治性が宿っているということは他にもあると思うんですけども、いかがでしょうか?

 パンダの政治性でいうと、例えば、今の日本だと上野以外にどこにパンダがいるのか、ご存知ですか?  たぶん、あまり知られていないんですね。

開沼 分かっていないですね。……和歌山とか?

大学院時代の師匠が同じ、開沼博さん(左)と張さん

 そうです、和歌山に大量にいるんですよ。知っている人は少ないと思います。赤ちゃんもけっこう産んでいるんですよ。

開沼 あ、そうなんですか。

 上野の赤ちゃんは、生まれて死ぬたびにすごい騒ぎになったんですけれども……。宇多田ヒカルさんがツイッターで、上野のパンダの赤ちゃんはこんなに注目されているのに、和歌山の赤ちゃんが注目されないのはパンダ差別だというふうなツイートをして、話題になりました。和歌山に大量にパンダがいたり、神戸の王子動物園にも1頭いたりすることは、ほとんど知られていないですよね。

なぜ上野ばかりが注目を集めるのかと考えると、やはり東京のど真ん中、恩賜公園の中で生活しているパンダには意味があるというふうに感じていて、今はもう「パンダ外交」の時代でもないけれども、やはり政治性が宿っていると感じています。

最初はもちろん、中国もパンダを使って外交をやっている時代だったので、1972年の日中国交正常化と共にパンダを送り込むことには、そこに政治性が込められているし、『革命とパンダ』にも書いたように、当時の日中国交正常化を利用して、政治家たちもいろいろパンダのイメージを利用していた時期もあった。当時の自民党の選挙でのバッジもパンダでした。今ではあり得ないですね(笑)。

当時は本当に日中の関係がよかった時代だけに、パンダにもあやかれた時代だったと思います。そのあと、この政治的利用の側面に関しては薄れていったんですけれども、パンダに日本人の夢が託されていることには変わりなかったと思います。

例えば、今、テレビや新聞で「中国のPM2.5はこんなひどい状況だ」と、すごく騒いでいるんですけれども、初めてパンダが来た時も、上野だと都会のど真ん中だから空気が悪すぎて、自然の中から来たパンダは死んじゃうんじゃないか、多摩に移したほうがいい、という議論があったんです。高度成長期にあって、繁栄と自然のあいだに戸惑っていた時期だったので、パンダには「自然との調和」という夢を託していたと思います。そういうところには、やはり政治性がずっとあるのかなとは感じています。

開沼 パンダをすごくピュアなものとして、ナチュラルなものとして日本人はイメージしていたわけですね。

 はい、そうですね。

パンダ以外だと、また中国の話ですけれども、中華料理も料理だけの話ではないんですね。アメリカでの中華料理の変遷でいうと、ゴールドラッシュの時代に中国人がたくさん移民して、鉱山などで働く人が多かったんですけれども、そのあと1882年に中国人の排斥法ができて仕事が探しにくくなったので、みんな自分たちで中華料理の仕事を始めた、という歴史があったらしいんです。

それでも、やはり差別を受けることが多くて、白人はあまり中華料理を食べなかったんです。それが、1972年のニクソンの訪中で、アメリカ人が生中継で晩餐会の様子を見ていたら、ニクソンがお箸で中華料理を食べているのがとてもおいしそうだったので、その直後に、ニューヨークの中華料理に人が殺到したらしいんです。やっぱりそういうところの政治の影響はすごいなと思います。

もちろん、そういう「ザ・政治」じゃなくても、いろんなものに政治性があるということは、常に考えていたほうがいいのかなと感じますね。

開沼 爆買いとPM2.5って、単純に考えると、経済的繁栄に対する日本人の嫉妬も、色濃く反映されているんじゃないかと思うんです。

 そう思います。

開沼 それ以外の要素は、どうですかね。「日本も昔こうだった」というノスタルジーみたいなものは?

 日本はノスタルジーが好きな国だなというふうには感じますけれど、PM2.5にはさすがに感じてないのでは……。

開沼 でも光化学スモッグとか水俣病のような環境汚染の話って、日本人はすごく理解しやすいですよね。それはある面で嫉妬だし、中国の経済成長に陰りが見えたという面をことさら強調したい、隣りの足を引っ張りたい欲望も垣間見えます。

 なるほど、そう言われてみれば、PM2.5は経済成長の象徴ではありますよね、日本人にとっても、「そういう公害がよく起きていた激動の時代もあったな」という。

あと、昭和50年代には日本の農協がヨーロッパで「爆買い」をしていた時代があったみたいですけれども、そういうこともみんなどこかで意識しているのかもしれないですね。

開沼 なるほど、それもそうですね。


中国人の“野蛮さ”を見下したい気持ち

 昨日もデスクに、「明日も『爆買い』取材やるぞ」って言われたところなんですが……(笑)。

開沼 そんなに爆買いばかりやるんですか。ネタとしてなかなか擦り切れないですね。

 視聴率が取れているんですよ。最初ほどではなくなったんですけど、それでも。

開沼 だって、もう完全にパターン化しているじゃないですか。

 そうです。デスクひとりの問題じゃないんですけれど、「何を伝えたいんですか?」と聞いたら、「張の中国人としての気持ちは分かるけど、『何を』というのは、その異常さだよね」って言われました。日本人には今できない買い物の仕方で、それが面白いって。うらやましい気持ちはきっと入っていると思います。でも、そういう中国人はやっぱりマナーが悪くて、経済に文化が追いついてないよね、みたいな見方になる。

開沼 野蛮さみたいなものを見下そうという気持ちが入っていると。テレビ番組は全体的に、日本のここが素晴らしいと外国人に言わせるパターンが、今すごく多くなっていますよね。

 そうですね。爆買いの取材のときに、インタビューだったら、中国人が「今日20万円使っちゃった」「まあ予算は100万円ぐらいね」みたいに軽々しく言うところを使う。いかに自分がお金を持っていて、しかも気にしていないか、というインタビューが必須です。

あと1つ必要なのは、日本の製品やサービスはいかに素晴らしくて、「だから我われは日本でたくさん買うんだよ」というインタビューなんです。

外国人が観光地に殺到するところの取材でも、たまには堀り下げて理由を聞くような企画もあるんですけども、だいたい使われるインタビューというのは、「もう日本最高」「素晴らしい、世界でいちばん」という簡単な言葉が基本です。

つまり爆買いの企画だと、金は持っているけれども、いかに中国はまだ垢抜けていなくて後進国であるか、ということ。あと日本はいかに素晴らしい国かを再確認するということ。この2つが重要な要素かなと感じています。

開沼 それに対して「革命とパンダ」の時代、つまり60年代、70年代というのは「日本をほめてもらいたい」というのではないですよね。「ああなりたい」というスターをあがめるような感じから、「自分がスターだと言ってもらいたい」というふうに転換した。この構造の転換はいつぐらいに、どういうふうにあったとイメージしますか?

 とりわけ90年代以後だと私は感じています。60年、70年代の日本は巨大なアメリカの下にあるわけですけれども、やはり戦後こんなに早く成長できたという自信が、社会に根強くあったんじゃないかなと感じています。

それが今は、日本の影響力が世界で低下して、ちょっと危うい状況になってしまい、経済も発展しなくなったという焦りがあると思います。以前は外国のことを余裕をもって見られたかもしれないけれども、今はもう必死に、現実を拒んでいるように見えてしまう。それは自信を失くしてしまった反動ではないでしょうか。

開沼さんは、80年代生まれの日本人として、例えば、バブルの時代を語る人たちを見ると、「すごく楽しそうにやっていたな」とか思われますか?

開沼 それは思いますし、先ほどおっしゃったところで言うと、日本人が自信を失ったあとに物心は付いているので、最初から自信を失っていたみたいな感覚かもしれないですね。

なので、自信を取り戻したいという欲望は、もしかしたら今のテレビの主要視聴者層である40代、50代、60代、70代ぐらいの方にはあって、そういう欲望で視聴率が動いている部分があるのではないでしょうか。

 そうですね。たしかに今の若者はみんなあんまりテレビ見ません。

開沼 だから若者にとっては爆買いもしらけて見ていて、「そういう現象があるんだ」ぐらいの感覚じゃないでしょうか。

でも年配の方の中には、自分が昔、爆買いしていた、あるいは周りにそういう友だちがいたという記憶と重ね合わせながら、今、テレビで爆買いを見ている人も多い気がするんです。

 その可能性は非常に高いですね。私の担当している番組でも、おもな視聴者層はご年配の方か、主婦層なんですけども、潜在意識ではあるかもしれない。


ニクソンと周恩来が握手した瞬間、革命が日本社会から消え去った?

開沼 『革命とパンダ』の元となる論文は、大学院生の時に過去の資料を集めて書いたわけですが、その中でも特に面白かったと印象に残っているものは何でしょうか。

 私は「革命とパンダ」の分岐点を浅間山荘事件だと書いたんですけれども、その資料を読んだ時に面白く感じたのは、浅間山荘事件と、「ニクソンショック」と言われるニクソン大統領が急に中国を訪問した時期とが重なっていますよね。浅間山荘に篭城していた連合赤軍のメンバー・坂口弘が、消費社会に象徴されるようなテレビでニクソン訪中のニュースを見た時に、すべての価値観が壊れたと言っていることですね。自分たちが憧れていた、アメリカと闘っていた中国がどうしてニクソンと握手を交わしてしまったのか、我われの知識ではとても解釈できなかった、と。

浅間山荘事件のあとに、「革命」という言葉は、「怖い」「時代遅れ」などと日本社会では認識されるようになりました。当事者の赤軍のメンバーたちにとっても、テレビでニクソンと周恩来の握手を見た瞬間は、革命が日本社会から去っていった瞬間ではないかなと思いました。

開沼 68年、69年の全共闘の闘争があり、その後も大衆の支持が一定程度あって、革命を目指す若者たちもそれなりにいたんだけども、それが70年代に入ってよど号事件を起こすなど徐々に過激化していき、浅間山荘事件で「さすがにこれはないな」と、大衆の支持が離れるという物語があります。その一方では、中国とアメリカとの関係という要素も確実にあったということですね。

 はい。やはり、この本をつくる上でもずっと意識にあったんですけれども、アメリカという巨大な存在は、戦後の日中関係を見る上ではすごく重要なわけで、現在でも軽視してはいけないと認識しています。

開沼 共産主義vs資本主義みたいに二項対立だと思い込んでいたのが、「もうそんな基盤では動いてないらしい」というふうに変わって、その中に「パンダ」が入り込んでくる……。やっぱり歴史のそういう転換点を知ると、今起こっている現象を相対化できると思うんです。


「爆買い」以外の中国の姿を取材したい

開沼 最後に、日本の印象についての変遷を伺います。初めて日本に来た時と比べて、変わったことはありますか?

 初めて日本に来たのは高校1年生の時で、名古屋の私立高校に交換留学で半年間、通いました。当時は、日本は暮らしやすい国だなと感じていたと共に、ルールが多いとも感じていました。そのルールというのは、明確なルールじゃなくて、暗黙のルールが多い。みんな同じであることを求めるところが強いなと、思いましたね。

中国という競争社会に生きていると、目立ってなんぼというところがあるんですけれども、日本は目立ったら、「ちょっとこの人違う」みたいなところがありますよね(笑)。

私はその高校に入って1週間ぐらいしたら、スカートのすそを短くしたんですよ。あれが今まででいちばんミニスカの時代だったんですけれども(笑)、なんとなく校則に則って膝下までのスカートは合ってないという空気を読み取ってしまった自分がいました。

今も、いわゆる日本社会でいう空気を読むことの難しさと悲しさは、高校の時から今まで、あまり変わらず感じています。たぶん観光するには最高の国だと思うんですけれども、溶け込むにはちょっと躊躇が必要な国だなと感じています。

日本の企業で働いてみて、私が感じたのは、学校を出ると日本語では「社会人になる」とよく言われるんですけれども、「会社人になる」のほうが近いかなと。日本では終身雇用がなくなりつつあると言われていますけども、大企業ではまだ「一生この企業で働いていく」という考え方が多いと思いますね。

私は記者になりたくて、ジャーナリストになりたくてテレビ局に入ったわけですけれども、日本のテレビ局の正社員になると、収入もまあまあ高くて、社会的地位もあって、加えて危険地域、戦闘区域に行くこともない。CNNやBBC、CCTVの記者もバンバン行っていると思うんですけど、日本ではフリーの方から素材を買っていますよね。

テレ朝は、日本のテレビ局の中でいちばん私にとってはいい局だと認識していますし、中国のことを真剣に考えている人も多いんです。でも、さっきの爆買いの話のように、やっぱり視聴率を追及することは避けられないのかなという悲しさもあります。そうするとテレビ局も、日本社会全体の空気を読むことになってしまうんじゃないかと思います。

開沼 60年代、70年代の研究をやって、今、仕事に反映されている部分というのはありますか。それとも、仕事にはそんなに役立っていないですか?

 うーん、これだけステレオタイプの研究をやってきたのに、自分が毎日やっちゃっているなという虚しさは、常にあります。

開沼 でも、枠の中でできる限りノイズ入れてやろう、みたいに思ってやるわけですよね。

 それはもちろん、やれる分はやっているんですけれども。

私が今、所属しているのは、デイリーのニュース番組なので、例えば、朝9時から出かけて12~13時、せいぜい14時くらいまで取材。素材を持ち帰って編集して、3時間後にはオンエアするというような流れなので、そういう緊迫している時間の中で、「だいたいこうだよね」という予想はどうしても最初にできてしまっています。

『革命とパンダ』のあとがきにも書いたんですけれども、取材に実際出ると、焦りはありますし、どうしても簡単な事象を探してしまう傾向があります。毎日の数時間の中でどこまでできるのか、とても難しいと感じています。でも、その分、他の企画で、爆買いじゃない中国の姿を取材していきたいなとは思っています。

開沼 今後も、この研究の延長を考えたりはされていますか?

 そこも本当に悩むところです。むしろ開沼さんにお聞きしたいですね。私は研究の道から落ちこぼれてしまった人間で、次のテーマを見つけるのは非常に難しいなと思っています。

私はテレビ局では、例えば戦後70周年で残留孤児の企画だったり、外国人労働者の企画だったりを今まで手がけてきて、そういう問題意識でやりたいと思っているんですけれども、新しい研究対象というのはなかなか見つけられません。

開沼さんは、福島のことをおもにやってらっしゃっていて、最初はアイデンティティから見つけた研究対象だったと思うんですけれど、次のところに行くためにどんなことをされていますか?

開沼 今は、ステレオタイプとのつきあいというのは、とても重要だと思っていて、「ステレオタイプ化されているけど、現実はぜんぜん違う」という言葉が与えられていない部分を見つけて、そこを押さえにいくという感じですかね。

たぶん中国と日本の関係でも、言葉が与えられていない部分、つまり現実はもっと複雑であるにもかかわらず、中途半端な少ない語彙で語られちゃっている部分があると思うんですよ。

国際関係でも、今は中東の話が前にせり出しているけども、たぶん中国ネタがもっと必要になってくる時期はあるはずです。そこを目指して、張さんが今からできることってあるんじゃないですかね。

 そうですね。私もステレオタイプということを、これからもたぶん自分の実践を通して考えていきたいなとは思っています。

開沼 それこそ尖閣の話とか、いろいろ秩序が変わってきて、軍事とか外交そのものをやる必要はないのかもしれないけれども、『革命とパンダ』のように、軍事的なものや政治のど真ん中的なものと一見離れているようで、じつはその裏側で重要な要素を果たしていることって、たぶん今後も出てくるはず。そういうところを押さえると、面白いんじゃないですかね。

 そうですね。昔、吉見(俊哉)先生に「研究テーマはどうやって見つけるんですか」って聞いたことがあるんですけども、「見つけるんじゃない、出会っているんだ」って(笑)。

開沼 名言ですね(笑)。

 今日はどうもありがとうございました。
(おわり)
 

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開沼博

東京大学大学院情報学環准教授、東日本大震災・原子力災害伝承館上級研究員。社会学者。1984年福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。主な著書に、『日本の盲点』(PHP新書)、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)など。第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。

張予思

1986年12月25日生まれ。中国・江蘇省南京市で育ち、中学と高校、南京外国語学校で日本語を学ぶ。名古屋の高校で半年間交換留学を経験。2005年、北京師範大学・文学部に入学。2009年に来日。外国人研究生を経て、2011年東京大学・学際情報学府修士課程に入学。2013年、修士号取得。同年、テレビ朝日入社、報道局に配属。昨年11月に初めての著書となる『革命とパンダ:日本人はなぜ中国のステレオタイプをつくりだすのか』(イースト・プレス)を上梓した。

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