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2016.02.20

第二章 彦八、江戸へ 〜彦八、江戸へ行く

(30)ようやく座敷に呼ばれた武左衛門。ひと月後、笑話を競う『座敷比べ』に呼ばれることに。

木下 昌輝

(30)ようやく座敷に呼ばれた武左衛門。ひと月後、笑話を競う『座敷比べ』に呼ばれることに。

江戸での生活を始めた彦八と、旧友・武左衛門の前に立ちはだかる売れっ子の辻咄の伽羅一門。彦八は決意する。「鹿野武左衛門を座敷に上げて、伽羅一門に笑話で勝つのだ」。伝説の男・米沢彦八の生涯を描いた注目作。毎週火・木・土の週3更新です。


第二章 彦八、江戸へ 〜彦八、江戸へ行く

(十)

 彦八が料理屋から出ると、空には黄金色の満月が傘を開くかのように輝いていた。薫酒で火照り、美味なる肴で蕩けた顔を夜風が撫でる。

「いやぁ、さすがは鹿野武左衛門様、お呼びしたわたくし上州屋の目に狂いはありませんでしたな」

 後ろを見ると、商人たちに囲まれた鹿野武左衛門と石川流宣が、赤い顔で料理屋の廊下を歩いている。

 鹿野武左衛門の初めての座敷は、大成功に終わった。上州屋だけでなく、他の大商人も揃う大きな座敷で、見事に大爆笑をかっさらったのだ。

「何より、咄と仕方を合わせた芸が新しいと感心しました。上州屋さんの座敷だけでなく、我が高見屋の方にも来ていただきたい」

 さっそく石川流宣が帳面を開いて、「ひと月後の満月の夜なら、ちょうど空いておりますが」と如才なく、座敷の約束を取り付けている。

「いや、ひと月後はまずい」

 厳しい声色で言ったのは、今回の座敷を主催した上州屋だった。彦八だけでなく、皆の視線が旦那に集中する。

「お忘れか、高見屋さん、ひと月後はまさに『座敷比べ』の大事な日ではないか」

 高見屋が大きく手を打った。

「おぉおお、そうじゃ、そうじゃ。半季に一度の座敷比べでしたな。これは、うっかりしておりました」

 座敷比べとは、半年に一回、座敷に上がる辻咄の芸人を集めて、その場で誰が一等優秀かを決める会である。江戸だけでなく、大坂や京の豪商も集う。この会で一番となれば、数年は座敷が途絶えないと評判であった。辻咄にとっては、座敷比べに呼ばれるだけでも名誉なことと言われている。

「何より、次の会は相撲の番付を取り入れて、一番から八番まで咄の巧者を位付けするのですぞ」

 非難するような口調だが、上州屋の目は優しい。

「そうでございました、そうでございました。あれ、はて、しかし、ひと月後に鹿野武左衛門様を、我らの座敷に呼ぶな……というのは」

 高見屋が首を折って、考えこむ。

「いかにも、座敷比べに鹿野武左衛門様にも出ていただこうと思っている」

「ええっ」と、皆が声を上げた。

「驚くほどのことはありますまい。初座敷で、あれほどの芸を見せたのじゃ。きっと、座敷比べの場を面白いようにかき乱し、あるいは大番狂わせも見せてくれるやもしれませぬぞ」

 扇子で口元を隠し、上州屋はくすぐったそうに笑った。

「無論、鹿野武左衛門様は嫌とは言いますまいな。咄番付の大関(当時の最高位)ともなれば、天下一の辻咄と認められたに等しいことですぞ」

 口を大きく開けていた鹿野武左衛門は、顔を思いっきり左右に振った。沈殿する酔いを、必死に振り払う。

「あの、あいつは、伽羅小左衛門は出るんでっか」

 まだ顔は赤いが、鹿野武左衛門の目は爛々と輝いていた。

「当たり前でしょう。伽羅小左衛門殿は二季続けての一等、つまり辻咄の大関でございます。出なければ、座が盛り上がりませぬ」

「なるほど、仕方咄の鹿野武左衛門ならば、あるいは伽羅小左衛門の天下をひっくり返すやもしれませぬな」

「いや、いや、これからひと月で座敷比べは荷が重い。伽羅小左衛門殿に分があると見た。貫禄が違いますぞ」

 返事も聞かずに、商人たちは口々に言い合っている。

 鹿野武左衛門は、勢いよく頬を張った。顔からは完全に酔いが消え失せる。

「上州屋はん、嬉しゅうおます。ひと月後の座敷比べ、間違いなく出させてもらいます」

「おおきに」

 上方弁を真似て、上州屋は笑いを誘ったかと思うと、一転して真剣な目で睨んだ。

「ただ、もし、座敷比べで無様な芸を見せたら、わかっておられますでしょうな」

 目は芸を愛する好好爺のものではなく、大名さえも畏怖させる豪商のものに変わっていた。

「座敷比べでつまらぬ芸をして、我らの顔を潰すようなことがあれば、座敷はおろか江戸の辻にも、鹿野武左衛門様の咄をする場はないと心得ていただきたい」

 いつのまにか、周囲にいる商人たちの顔からも笑みが消えている。武士が敵を検分するかのような鋭い視線が、矢のように鹿野武左衛門と従う彦八らに注がれた。

 空にある満月には、冷たく黒い雲がかかろうとしている。

 

 上州屋たちが手配してくれた三つの駕篭は、朱漆にふんだんに金の意匠をあしらったものだった。白い斑点が美しい毛皮に尻を沈めるようにして、彦八は駕篭の中に座る。

 ひと月後に、座敷比べがある。彦八は口を真一文字に結び、己の肚の底を探った。不安はほとんどない。それよりも気が高揚している。そして、ほんの少しの嫉妬。鹿野武左衛門に先を越されてしまった。

 だが、それは仕方がない。鹿野武左衛門の息子の梅若のためにも、伽羅小左衛門一門に一泡ふかせると決めた。

 揺れる戸の向こうから、「彦八」と声がかかった。

 戸を開けて、顔を出す。座敷の余韻で火照った頬に、冷たい風が気持ちいい。見ると、隣にはもうひとつの駕篭が寄り添うように並走し、鹿野武左衛門が顔を覗かせていた。

「彦八、ほんまに助かったわ。おおきにやで」

「なんや、武左衛門はん、柄にもない。ひと月後は本番やで、気緩めんといてや。江戸一番の辻咄になるんやろ。そしたら、梅若もごっつい喜ぶで」

 鹿野武左衛門は、微苦笑を浮かべた。

「息子ながら、難儀な餓鬼やで。俺のことを、漆塗りも芝居も辻咄も日本一やと近所に言い回ってるそうや」

「武左衛門はんの塗った器見たら、たまげるやろな。日本一、下手って言い直さな」

 眉間に皺を刻みつつ睨まれた。

「まあ、その通りやで。ただ、俺は嬉しいねん。いつまでも辻でくすぶってたら、息子は噓しか言うてへんことになるからな。まがいなりにも座敷比べに呼ばれた。辻咄だけは、梅若がほんまに自慢できるものになれそうや」

 しみじみとした口調に、彦八は思わず聞き入ってしまった。

「お前ももう知ってるやろうけど、俺は漆塗りの職人も役者も、けつ割って逃げた。しょうもない男や」

 鹿野武左衛門は、自分の膝を睨むように見る。

「けど、そんな男を梅若は手放しで褒めるんや。いや、褒めるしかないねんな。俺はわかってるねん。前の女房は伽羅小左衛門の糞ったれとの間に子ができて、梅若は追い出された。同じ腹から生まれた兄弟やのに、種が違うだけで一方は辻咄の売れっ子の坊ちゃんで、一方は俺なんかの……」

 鹿野武左衛門は言い淀む。

 父が日本一の男と信じることで、梅若は必死に寂しさを慰めていたのだろうか。

「お前もそうやけど、俺もたいがいどうしようもない男や。けつ割った昔が、子を持つ親になると、随分と肩にのしかかるんや」

「ええやん、今から立派な辻咄になって帳消しにしたら」

「そのつもりやけどな。ただ、自分なりに迷惑かけたことを、心の中でちゃらにしたい。親はともかく、他人さんの分はな」

「芝居の馬の足のこと?」

「せや、誰から聞いた」

「四郎斎の阿呆や。料理屋の前で、大きな声で立ち話しとった」

 鹿野武左衛門は、苦いものを口に含んだような顔になった。

「芝居でけつ割って、色んな人に迷惑かけた。その過去だけは、自分の中で何とかしたいねん」

 それが原因で、鹿野武左衛門は嫁に逃げられたのだと思い出す。

「彦八、頼みがある。ひとつ笑話を考えてくれへんか。座敷比べでやる奴をや」

「ええけど、おいらが考えてええんか」

「あぁ、俺は仕方を突き詰めたい。今日の座敷で思ったけど、辻のように立ってやると、客を見下ろすことになる。座って仕方咄をやりたいねん。立ってやるのとは、具合が随分と違うから、稽古の時間が欲しいねん」

 確かに、座位の仕方を完璧に近づけるのは、演じる鹿野武左衛門にしか無理だ。彦八は手伝えない。新顔の仕方咄の珍しさもあり、ひと月後まで連日のように座敷がある。鹿野武左衛門が、新しい笑話を考えるのは無理だろう。

「わかった。で、どんな笑話がええとかはあるん。浪人もの、それとも坊主もの」

「こっちへ、耳近づけろ」

 駕篭から鹿野武左衛門が頭を突き出した。彦八も顔を横に向けて、耳を鹿野武左衛門の口元へとやる。

 囁きかけられて、思わず彦八はのけぞり、駕篭の乗り口の鴨居にしたたかに頭を打ちつけてしまった。

「正気か、武左衛門はん。そんな咄してもうたら、下手したらだだ滑りやで」

 鹿野武左衛門は駕篭の中に顔を納めて、腕を固く組んだ。そして、前を見つめたまま言い放つ。

「しゃあないねん。今までけつまくり続けた俺には、借りがいっぱい溜まってるねん。こうでもせな、梅若の父親として胸はって生きていけへんねん」

 

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