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2016.02.18

第二章 彦八、江戸へ  〜彦八、江戸へ行く

(29)彦八の助言を取り入れた武左衛門。その笑いは意中の相手に届くのだろうか―。

木下 昌輝

(29)彦八の助言を取り入れた武左衛門。その笑いは意中の相手に届くのだろうか―。

江戸での生活を始めた彦八と、旧友・武左衛門の前に立ちはだかる売れっ子の辻咄の伽羅一門。彦八は決意する。「鹿野武左衛門を座敷に上げて、伽羅一門に笑話で勝つのだ」。伝説の男・米沢彦八の生涯を描いた注目作。毎週火・木・土の週3更新です。

 

第二章 彦八、江戸へ 〜彦八、江戸へ行く

(九)

 今日も商家の番頭らしき男が数人、葦造りの咄小屋に来ていた。難しい顔で、舞台を睨んでいる。彦八や客たちはしきりに腕をさすって、空高くから吹き付ける冷風に耐えていた。

 皆が見つめる先に立っているのは、石川流宣が誂えた新しい着物を着た鹿野武左衛門だ。大小二種の縞で構成される子持縞の紺羽織に、臙脂で格子柄の着流しが葦の舞台によく映えていた。そこだけ春が来たかのような、華がある立ち姿である。

「彦八さん、大丈夫でしょうか。あの方たちも、そう何度も来てくれるわけではないですよ。聞いたところによると、二回か三回ほどで座敷に呼ぶか否かを決めるとか」

 今日が最後の訪問になるかもしれない、と石川流宣は言いたいのだろう。

「大丈夫ですわ。今日のために、しっかり稽古してきたんやもん」

 勇気づけるものの、彦八も不安だ。いつもよりせわしない呼吸になるのを、必死に自制する。

 確かに、今からやる鹿野武左衛門の芸は、どんな辻咄もやったことがないものだ。果たして、上手くいくかどうかはわからない。

 石川流宣と同時に唾を呑んだ。それが合図だった訳ではないだろうが、「とうざぁい、とぉざぁいぃ」と喉を震わせて、鹿野武左衛門が辻咄の開帳を告げた。

 

『ここに、永く浪人する大和田源太左衛門という男がありました。ある時、とうとうこの大和田源太左衛門に、仕官の話が舞い込んだのです。喜び勇んで、その屋敷を訪問し、主人へ面会するために、座敷に通されました。さて、どうなることやら』

 深く、面を伏せるように一礼して、鹿野武左衛門は間をとった。顔を上げた時には、場の空気が変わっていた。

 顔を少し左に向け、胸を張り、重々しくコホンと咳払いをしてから口を開く。

『よう、おいでなされた。今、主人は月代を剃っておられるところなれば、いましばらくお待ちくだされ。これ、お茶と干菓子をお持ちしなさい』

 老家臣の風情を出して、鹿野武左衛門はぱんぱんと手を叩く。子持縞の羽織の袖が心地良さげに揺れる。次に盆を持ち、浪人の前に差し出す仕草をした。

 顔を正面に向け、いつもの武左衛門の表情に戻った。

『永らく貧乏暮らしが続いた浪人・大和田源太左衛門、目の前の菓子にごくりと唾を飲み込めど、そこは仕官を目前にした大事な場。ぐっと我慢して、お茶と山のように積まれた干菓子には、手をつけませんでした。すると、家老の息子と思しき六、七歳ほどの童が、障子を開けて中を覗いたのです』

 鹿野武左衛門が顔を反対の右に向けて、そっと手で障子を開ける真似をした。悪戯小僧らしく白い歯を見せて、『へへへ』と笑い、鼻の下を指でひっかいている。

 聴衆がいつもより前のめりになっていることに、彦八は気づいた。いつもは忙しげに帳面に書き付ける商人の使いの手も、止まっている。芸に見入っているのだ。

 鹿野武左衛門が童の振りをして、干菓子に何度も手を伸ばし、盗み食らう。その滑稽な仕方に、忍び笑いがあちこちで起きた。

 次に、額に手をやって考えこむ浪人の真似に移った。

『さて、困ったものじゃ。浪人ゆえに、ひもじさで干菓子を食べたと思われては、仕官の口に支障も来そう』

 胸の前で、手を大きく叩いた。

『よし、驚かせて、童を退散させん』

 手を伸ばす童の真似から、一転、子持縞の紺の羽織を頭にかぶせ、目を指でつり上げ、歯茎を見せて化け物の顔をつくる。

『モモングワァ』

 どっと客が沸いた。

 何度か童が菓子に手を伸ばすふりをして、そのたびに『モモングワァ』と化け物顔をやる。

 その必死な様子に、客は口を天に向けて笑った。見ると、商人の使いたちも同様にしている。

 石川流宣と目を合わせ、頷きあった。この咄は前にもやったが、客の食いつきが違う。取り入れたのは、仕方(真似)である。今までは話芸だけで表現していたが、身振り手振りを交え声色も変えて、役者が演じるかのように咄を展開したのだ。

 鹿野武左衛門の四度目の『モモングワァ』は、『グ』で言葉が詰まり、最後まで言えなかった。

 おや、という顔をして客たちが、さらに前のめりになる。

 ゆっくりと、かつ恐る恐る、鹿野武左衛門演じる浪人・大和田源太左衛門が顔を上げる。

『そこにいたのは童ではなく、月代を奇麗に剃り上げた、この屋敷の主人』

 腰に手を当てて、浪人を見下ろす仕方をすると、葦の簾が波打つほどの笑いが起こった。

 鹿野武左衛門が慌てふためく様子を演じると、さらに笑いが弾ける。隣人の肩を叩き、腹を押さえて、悶絶するかのように客たちは喜んでいた。

「やった。成功や」

 彦八は、己の掌を拳で強く打った。

 ふと、横から気配を感じて首を回す。ひとりの男が、群衆を掻き分けるようにして向かってくる。手には帳面を持っていた。商人の使いのひとりだ。

 まだ、咄は途中で、大砲を撃ち込むかのような笑いがあちこちで起きている。

「すみませぬ、鹿野武左衛門様のお身内ですか」

「へえ、そやけど咄の途中に何の用です」

 意地悪な聞き方をしてしまったが、期待でにやつく彦八の表情は隠しようがない。

「こういうものは、人に先んじませんと意味がございませぬゆえ失礼はひらにご容赦を」

 顔を後ろにやって、まだ笑っている他の商人の使いたちを見た。

「上州屋のものです。ぜひ、次の座敷に鹿野武左衛門様をお呼びしたいのですが」

 予想通りの言葉だからといって、感動がないわけではない。承諾の言葉は、彦八のもつれた舌では容易に発することができなかった。

「よ、喜んで」

 身を乗り出したのは、石川流宣だった。肩で彦八を乱暴に押しのけ、使いの者の手をとる。

 その時、鹿野武左衛門の最後の落ちが弾けた。

 すごすごと退出した浪人・大和田源太左衛門が門を出たところで、またしてもいたずらっ子を見つけたのだ。

 腹立たしさのあまりか、『モモングワァ』とやって驚かす。

 それを醒めた目で見つめる往来の群衆の仕方をしたところで、本日最高潮の笑いが冷風を吹き飛ばした。

 

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