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2016.02.11

第二章 彦八、江戸へ 〜彦八、江戸へ行く

(26)彦八の目指す『お伽衆』は、廃れてしまったのか!? 江戸の笑いの壁にぶつかるが―。

木下 昌輝

(26)彦八の目指す『お伽衆』は、廃れてしまったのか!? 江戸の笑いの壁にぶつかるが―。


「おいらは笑話を極める。そう、里乃と大阪城にも約束した」。武士に戻ろうという二代目策伝の前で、そう約束した少年彦八。時は流れ、青年となった彦八は、いよいよ江戸へ。笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八の生涯を描いた注目作。毎週火・木・土の週3更新です。 

 

第二章 彦八、江戸へ 〜彦八、江戸へ行く

 

(六) 


「噓やろ」

 連れてこられた長屋を前にして、彦八は呆然と立ち尽くした。さすがに彦八が間借りする四畳板間の長屋よりは立派だが、造りは一間多い程度で簡素だ。格子の隙間から見える室内には、色褪せて薄くなった畳が敷かれている。

 僧形の男が何やら咄の稽古をしていた。長屋の外に立つ彦八のもとにも、呪文のような言葉が聞こえてきた。間違いなく、笑話である。

「彦八、お前も大坂におったからわかるやろ、もう、武士の時代やない」

 耳元で、鹿野武左衛門が囁いた。白い息が、彦八の顔に振りかかるかのようだ。

 その言葉は彦八にもよく理解できた。大坂の大商人のもとには、様々な大名が借財に訪れる。なかには、藩政を牛耳っている商人もいるとの噂だ。

「景気の悪い大名家にお伽衆で仕えても、あれぐらいが精々や。まあ、実際あいつはそこそこの辻咄やったから、御の字やろうけどな」

 鹿野武左衛門の言葉を引き取ったのは、石川流宣だった。

「ふふん、まあ大名で潤っているのは鉱山を持つ飛騨高山の金森家くらいのものですよ。三十年ほど前に起こった明暦の大火でも、巨大な桧一千本をたちまち江戸に運んできたほどですからね。焼ける前より家が立派になったと、評判になったほどです」

 寒さを紛らわせるために両袖に掌をいれて、貧乏ゆすりをしつつ教えてくれた。

「こんなところでいつまでも立ってたら、怪しまれるわ。さあ、いくぞ」

 鹿野武左衛門は手を振って、彦八と石川流宣を先導し歩き出す。

「わかったやろ。大名のお伽衆や将軍様の談判衆になったかて、微禄で飼い殺しにされるだけや」

「じゃあ、どうするん。そうか、辻に立ち続けるんか」

「阿呆」という言葉と、背後の石川流宣の失笑が重なった。

「ひとり六文の木戸銭やぞ。六文では、うどんも食えんわ。俺の芸はそんなに安うない」

 確かに、鹿野武左衛門の笑話が猫の蚤取り三匹分では割に合わない。しかし、様々な辻咄を聞き、実際に銭を投げた彦八は、それが相場であることも知っている。十文をとるといえば、人は集まらない。そこが辻咄の難しいところだ。

「所帯持ってへんから、お前はわからんやろうけど、今日の稼ぎだけではあかん。正直苦しい」

 後ろで石川流宣が頷く気配がした。

「もっと銭がないと、梅若が可哀想なんや」

 呟くように鹿野武左衛門は言った。青洟を垂らしひとりぼっちで遊ぶ少年の姿が、彦八の頭に浮かんだ。

「じゃあ、どうやって稼ぐん。辻にいっぱい立つんか」

「立ちたくても、雨や雪が降ったら駄目や。この商売は先が読めん」

 鹿野武左衛門の顔が、苦しげに歪んだ。

「けど、ひとつだけ大きく稼ぐ手ぇがある」

「なんなん、それ」

 訊ねた彦八に、鹿野武左衛門と石川流宣は同時に答えた。

「座敷や」「座敷です」

 彦八は立ち止まる。

「座敷って何なん」

 鹿野武左衛門が笑った。

「そんなことも知らんようなら、彦八、お前不思議に思ったことないか。どうして、面白い辻咄の連中が次々と姿を消すかって」

「あぁっ」と、彦八は声を上げてしまった。

「せやねん。猫の蚤取り終わって、おもろい咄聞きに行こうとしたら、お気に入りの辻咄、おらんようになっててん。なんでなん」

「それはな、商人の座敷に呼ばれるようになったからや」

 気づけば、鹿野武左衛門の背後に駕篭かきが止まっていた。賑やかな声がして、大きな屋敷から人々が出てくる。皆、豪華な黒い羽織を着ていた。

 彦八の雰囲気から気配を読み取った鹿野武左衛門が振り向く。屋敷から出た一行も立ち止まり、こちらを見た。

「おお、これはこれは。誰かと思ったら、鹿野武左衛門殿ではないですか。我が屋敷の前でお会いするとは、奇遇ですな」

 太い眉とがっしりとした体格は、まるで道場の師範のような雰囲気だ。目だけは上弦の月のように丸みを帯びており、彦八はこの男が辻咄の芸人だと悟った。その後ろには、二重顎に三段腹を容易に想像させる太った男が控えている。こちらも黒い羽織を着ていた。

 鹿野武左衛門の片足が、半歩後ずさる。

「聞いておりますよ。立派な咄小屋をお造りになったとか。筵でできて、随分と風通しがいいそうですな」

 背後にいる太った男と取巻きたちが、一斉に笑い声を上げた。

「誰なんすか、あれ」

 石川流宣に囁くと、顔を強ばらせつつ教えてくれた。

「伽羅小左衛門と、小太りの方は弟子の四郎斎。師弟どちらも売れっ子の辻咄です」

 石川流宣は吐き捨てるように言う。

 見ると鹿野武左衛門は、拳を握りしめていた。まるで殴りつけるかのように、力を込めている。

「なんか、武左衛門はんと因縁でもあんの」

 口に指を持ってきて、石川流宣は窘めた。

「師匠、羨ましいですねぇ。我らも屋根のある座敷ではなくて、空の下で思い切り咄をしてみたいですよ」

 肥満した四郎斎が卑屈に身を屈めるが、口先から出る言葉は矢尻のように険があった。何より露骨な嫌味に、再び鹿野武左衛門が後ずさる。大きな月代に脂汗がひと筋、ふた筋と流れ始める。

「おい、口を慎め」

 伽羅小左衛門が弟子の四郎斎を注意するが、目が笑っている。

「弟子のしつけが行き届かずに、まことに申し訳ない」

 浅く頭を下げるが、目は鹿野武左衛門から離さなかった。皮肉に対する鹿野武左衛門の反応を、楽しんでいるのだ。

「我々は、これから上州屋さんと駿河屋さんの座敷に呼ばれておりますので、これにて失礼いたします」

 上州屋と駿河屋は、彦八でさえ知っている豪商だ。伽羅小左衛門師弟の後ろにいる駕篭かきが、駕篭の乗り口を開けた。豪華な朱漆に彩られ、金色の意匠があちこちにあしらわれている。貂だろうか、分厚くも柔らかい毛皮の敷物が底に敷かれていた。

 こんな駕篭、大名以外に乗る奴おるんや、と思わず彦八は唾を飲む。

「待たんかい」

 駕篭に向かおうとしていた伽羅小左衛門師弟に、鹿野武左衛門が声をかけた。伽羅小左衛門と四郎斎の動きが止まる。

「今はまだ、俺らには座敷はかからん。けどなあ、すぐにお前らに追いついたるからな」

 片頬を歪めて、ふたりは笑った。

「それはそれは、楽しみですな。上州屋さんは『座敷比べ』も、お好きな方。同じ座敷で咄の優劣を競えたら、これに勝るものはないですな」

 言葉とは裏腹に、上弦の月のようだった目の尻がつり上がる。

「師匠、そうは言うものの、所詮我らは鹿野武左衛門様に比べたら、馬の足のようなものです。座敷比べになれば、敵わぬでしょう」

 四郎斎が太った体を揺らしつつ言うと、取巻きたちが手を叩いて笑った。

「阿呆ちゃうか。何が馬の足や、馬の骨の間違いやろ」

 彦八の叫びに反応したのは、鹿野武左衛門だった。首を千切らんばかりの勢いでひねり、彦八を睨みつける。

「え、なんなん。おいら、何か言うたらあかんこと言うた」

 石川流宣が横で頭を抱えている。彦八は、何が何だかわからない。伽羅小左衛門たちは顔を天に向けて、先程の何倍もの勢いで哄笑をまき散らす。

「鹿野殿、師匠想いの良いお弟子さんですな」

 伽羅小左衛門たちは玉手箱のように輝く駕篭に体を押しこめて、彦八たちの前から去っていった。

 

 

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