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2016.02.09

第二章 彦八、江戸へ 〜彦八、江戸へ行く

(25)舞台を見た彦八は、武左衛門の笑話に感心するも、武左衛門は得心していないらしい。

木下 昌輝

(25)舞台を見た彦八は、武左衛門の笑話に感心するも、武左衛門は得心していないらしい。


「おいらは笑話を極める。そう、里乃と大阪城にも約束した」。武士に戻ろうという二代目策伝の前で、そう約束した少年彦八。時は流れ、青年となった彦八は、いよいよ江戸へ。笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八の生涯を描いた注目作。毎週火・木・土の週3更新です。

 

第二章 彦八、江戸へ 〜彦八、江戸へ行く
  

(五) 

 中橋広小路の辻の一角が、葦でできた簾で囲まれていた。その中に彦八はいた。鹿野武左衛門が、葦張りの小屋と言っていたものである。天を仰ぐと、澄んで高くなった冬の空があった。簾や筵で壁をつくっただけのもので、屋根はない。江戸の寒さにまだ馴染めない彦八にとっては、寒風を遮る葦の壁があるだけでもありがたかった。

 葦の簾でできた入口から、足を止める人々の姿が見える。ひとりふたりと物珍しそうに入ってきて、すぐに七割ほどの人で埋まった。彦八は素直に感心する。皆、入る時に先に六文の木戸銭を払っているのだ。普通は面白ければ払い、つまらなければ一文も投げずに帰るものだ。

 一方の鹿野武左衛門は、石川流宣と一緒になって渋い表情をつくり、顔を寄せあっている。

「今日はいてはるか」

「まだ、それらしい人はおりませぬな」

 丸い顔の中の細い目を歪めて、石川流宣は小声で答える。

「しゃあない。とりあえず、今日の舞台をしっかり笑わせたる」

 鼻を親指でこする芝居がかった仕草も、端整な顔立ちの鹿野武左衛門がやれば様になる。

「いずれ、あの方たちの耳にも入るはずや」

 己の張り手で気合いをいれ、鹿野武左衛門は聴衆の前を横切った。すかさず、「待ってました」と歓声が飛ぶ。中央で立ち止まり、客たちと対面する。ゆっくりと視線を巡らし、鹿野武左衛門は口を開いた。

「とうざぁいぃ、とぉうざぁいぃ」

 開帳の声に場の空気が一変し、客たちの顔に心地よい緊張が走る。

 

『あるとき、ひとりの老いた旅の人が通町三丁目を歩いておりました』

 いつもの上方言葉はどこへやら、流暢な江戸の口調で咄を始める。

『この老いた旅の人、水戸からはるばる人を訪ねて参りました。しかし、困ったことが起きたのです。歳をとって耄碌したせいか、尋ね人の名を失念してしまったのでございます』

 首を左右にゆっくりと振りつつ言う。なかなかの話芸で、しわぶき一つたてずに聴衆は聞き入っている。

『ちと、ものを訊ねたし』

『何事ぞ』

『ここらに尋ねたき人あり』

 滑舌も良く、台詞を諳んじる。いつのまにか、彦八も咄に引き込まれていく。

『尋ね人の名はなんと申すのじゃ』

『忘れました』

 どっと笑いが巻き上がった。

『ならば、尋ね人の家の屋号は』

『忘れました』

 とぼけた言い様に、何人かが身を捩るようにして笑う。

 彦八は何度も頷いた。

 見事だと思う。難波村の放蕩息子に、こんな才があったのかと少々驚いた。

『さて、途方もないことを言う人じゃ。それでは、どうにも教えられぬ』

 手を前に組んだ立ち姿勢も悪くない。

『そこを、なんとか。はるばる水戸から参り、訪ねずに二日の道を帰るは惨め』

『そこまで言うなら、名の雰囲気を申されよ』

 鹿野武左衛門は、視線も悠々とひとりひとりを捉えるように顔を動かす。

『そうですなあ。名も屋号も、刺すような、痛そうな感じでした』

 とぼけた言葉に、また客が笑う。

『刺すような、痛い名前。刺す、痛い。ああ、松の葉と蟻は、刺すゆえに痛い。上下宿の松葉有介殿のことか』

『違います』

 鹿野武左衛門が首を振ると、どっと笑いが起こった。

『では、鏡屋播磨守』

 播磨の播と針をかけた洒落に、笑いの嵩が増す。

『そのような立派な名ではありませぬ。もっともっと、触れることさえできぬくらい刺があります。万が一にも刺されれば、腫れ物ができるように痛い名前でございました』

『ああ、わかった』

 絶妙の間を置いて、鹿野武左衛門が答える。

『イガ屋のハチ兵衛』

 ――イガヤハチベエ。いや、ちがう。

 ――伊賀屋八兵衛か

 彦八の頭の中にイガ栗の鋭い刺と、蜂の凶暴な姿が浮かび、思わず吹き出してしまった。

 小屋に入る時に木戸銭を払ったはずなのに、銭が飛礫のように客たちの手から放たれる。鹿野武左衛門は満足気に頷きつつ、足下に落ちる銭を見ていた。

 ふと、彦八は気づいた。喝采する聴衆の間に、笑いの空隙があることに。身なりのいい商家の番頭風の男が、じっと鹿野武左衛門の舞台を凝視している。左手には大福帳のようなものを持ち、右手に握る筆先で何事かをしきりに書き込んでいる。鹿野武左衛門が面白いことを言うたびに、手元をせわしなく動かす。

 気づけば、石川流宣が番頭風の男をじっと観察していた。男が固い顔を見せれば、同じように表情が険しくなり、男が微笑を浮かべれば、石川流宣は安堵の息を吐く。

「あの、すんまへん。あっこの、ほとんど笑わん客は何者でっか」

 思わず、彦八は訊ねる。ただの気難しい客ではなさそうだ。時折浮かべる微笑は、鹿野武左衛門の笑い所と一致している。その様子から、かなり笑話に造詣が深い人物なのは間違いない。

「ふん、あのお方こそが、本当の客ですよ。集まった六文の木戸銭払いの衆など、いくら笑わせても仕方ないのです」

 大笑いする客たちを、石川流宣は忌々しげに見つめた。

「全ては、あのお方を笑わせるために、この野点の辻咄小屋を誂えたのですからね」

 言い終わるや否や、石川流宣の顔が歪んだ。見ると、番頭風の男が鹿野武左衛門に背を向けたところだった。まだまだだな、と言わんばかりに首を傾げている。芸の途中だというのに、ゆっくりとした足取りで、葦でできた小屋を出ていってしまった。

「くそ、また駄目か」

 らしくない罵りを、石川流宣は小さく吐き出した。

 

 編笠の中に集まった銭を手で掬い、音を立ててまた下に落とした。

「すごいやん。一日でこんなに儲かんの。猫の蚤取り何匹分やろ。こんだけ稼ごうと思たら、狼の毛皮が蚤だらけになるで」

 鍋をかき回すようにして腕を動かし、集めた銭で遊ぶ。

「そういうお前も、巾着袋が銭でいっぱいやがな。案外、儲けてるんやろ」

 鹿野武左衛門の声に、彦八は目を自分の腰へやった。確かに、継ぎ接ぎだらけの巾着袋は、布が千切れそうになっている。

「へへ、すごいやろ。これ、おいらが童の頃に、難波村で滑稽話して稼いだ銭やねん」

 彦八は、切れかかった紐の結びめを解いた。覗き込んだふたりの表情が険しくなる。

「なんですか、この汚いのは」

 顔を背けつつ、指をさしたのは石川流宣だ。

「なにって、遊びの銭ですわ。貝殻が十文で、小さい石ころが一文」

 片手で掬って、巾着袋の中に入っていた丸い小石や貝殻を突き出す。鹿野武左衛門は腹を抱えて笑ったが、石川流宣は手であっちへやれと邪険に扱われた。払った掌に彦八の腕が当たり、床にばら撒かれる。

「ちょっと、なにすんの。これ、めっちゃ大切なもんやねんから」

 慌てて、拾い上げる。石川流宣が何個かを捨てようとしたので、引ったくるようにして奪い返した。

「これ、半分以上は預かりもんなやから。いくら、石川はんでも、勝手に捨てたら承知せえへんで」

「なんなんですか。こんな汚い貝や石に必死になって、みっともない」

 紐をしっかりと結んで、彦八は抱くようにして巾着袋を懐にいれた。

 それにしても、と彦八は気を取り直して編笠の中の銭を見た。巾着袋の玩具の銭よりも、はるかに多い銭が溢れそうになっている。

「左衛門……やなかった武左衛門はん。この要領でやれば、いずれはどっかの大名のお伽衆になれるで」

 編笠を片手にとり、右に左に傾けて音を立てて見せた。

「おい、彦八、今何て言った」

 真剣な顔で、鹿野武左衛門が彦八を見つめていた。思わず、銭を弄ぶ手を止める。

「なにって、この調子でやってけば、いずれどっかの大名のお伽衆になれるって言うたんやけど。やっぱり夢は、天下人のお伽衆やろ」

 鹿野武左衛門と石川流宣が目を見合わせる。

「お前、天下人のお伽衆って、冗談ちゃうかったんか」

「へっ、当たり前やん」

 嘲笑を浮かべた石川流宣を見て、己がひどく見当外れのことを口走ったと悟った。

「お伽衆――まあ、こっちの将軍様のお相手するのは談判衆って言うんやけど、今はそんなもんになりたい奴はおらんぞ」

 若干の哀れみを感じさせる瞳で、鹿野武左衛門が彦八を見る。昨日とった猫の蚤が、体にまとわりついたかのような居心地の悪さを感じた。

「武左衛門さん、百聞は一見にしかずですよ」

 何かを説明しようとする鹿野武左衛門を制したのは、訳知り顔の石川流宣だった。丸い顔に、品のない笑みを浮かべている。

「先月、紀州徳川藩のお伽衆になった辻咄がおりましたでしょう。その者の住まいを見せれば、一目瞭然」

 紀州徳川家のお伽衆と聞いて、彦八の胸が高鳴る。徳川御三家のひとつで、日ノ本有数の大藩ではないか。そのお伽衆に出世した男が、この江戸にいるのだ。

 一方の鹿野武左衛門は顎に手をやって考えこむ。

「せやな、参勤交代の殿様笑わせるために、今は江戸に住まいがあるそうやから。一遍、こいつを案内したろか」

 顎から手を放し、鹿野武左衛門は勢いよく膝を叩いた。

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