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2005.06.01

最終回

ERIKOが来た!

本橋 信宏

ERIKOが来た!

 前回までのあらすじ

 青年の名前は小堀康友といった。
 私の仕事場によくバイクでやってくる、この春大学1年生になったばかりの若者である。小堀君はここ数年で急激に成長したバイク便「ウインドレター」のアルバイト青年で、恋人がいた。
 私は「もてる男」というテーマで書き下ろしをするはずだった。
「それはぜひ読みたいですね」
 さほど熱心な私の愛読者ではない小堀君が、はじめて関心をしめしたので、私は心強くもなった。
 思わぬ事態になった。
 小堀君が交通事故を起こし、意識がもどらなくなった。身よりのない小堀康友君が意識を取り戻さないまま、存在すら忘れかけられるとしたら、あまりにもつらい。
 彼の意識をふたたび覚醒させるには、彼の関心事を耳元でささやきかけることだ、と担当医は言う。
 いったい何を語りかける?
 小堀君が興味をもっていたことを語るには、私がいま脱稿しようとしているあの原稿を読み上げるくらいしか思い浮かばない。
 私は原稿をプリントアウトして、病院へむかった。
 小堀君の耳元で、そっと朗読してみよう。
 これから私が話しかけることは、誰しも表だっては口にしないが、内心では誰もが関心をもっているはずのテーマである。
 青年よ。
 私はこれからきみに毎日1話ずつ話しかけていこう。
 きみの双眸に光が甦るまで。
 語りだそう。
 タイトルは――
 もてる男。

 

 小堀君は顔色こそよくなってきたが、依然として覚醒と昏睡が入り交じる不安定な様態である。
 ここまでもてる男の話をしてきたのに、小堀君はいま何を想っているのだろう。
 無力感が私を押しつぶしかける。
 彼が所属していたバイク便会社「ウインドレター」のスタッフたちにあとはまかせて、私は、もてる男を小堀君の枕元で語りかける作業をいったん終了させようかと思う。
 1年前の悲劇を思い起こしてみた。
「蓼科に湧き水があるんですよ。そこの水をくんでくるので、楽しみにしててください」
 ホンダCB400SSに乗って小堀君は休日に蓼科から湧き水をくみ、わざわざ私のもとに運んでくれた。
 バイクを止めて、私の仕事場までポリタンクで湧き水を運んでくる途中の出来事だった。
 私が、バイクは事故率が高いと心配していたので、小堀君は私が心配しないように、仕事場から少し離れた所にバイクを止めて、歩いて重いポリタンクを運んでこようとしていたのだった。
 私の忠告がかえって仇になってしまった。
 小堀君は、一方通行の狭い道を猛スピードで逆走してきた乗用車にはねられてしまった。
 車は止まることなく、逃げ去った。
 目撃者の話では、運転手は撥ねる前に、なにかから逃れようと車を走らせているようだったという。
 


 

 もてる男のエピソードを、いったいどれくらい語りかけてきただろう。
――大学生のころ、誰もが憧れた年上の女子大生が偶然、私の隣にすわったときのほろ苦い回想。
――自分より身長の高いキャバクラ嬢ばかり射止める小男の社長の話。
――いつもコンドーム3枚重ねで挑む男の秘密。
――私が20代のころ、創設した学生ホスト組合での様々なエピソード。
――中年になった元アイドルの哀愁。
――リバプールから来た、大木凡人によく似たピーター・バーンズ氏によるビートルズ人気の隠された秘密。
――野球でなぜかもてる男は、ショート守備が多い、という話。
――AV業界における被差別者の群れ、汁男優という存在の話。
――そして汁男優が合コンクイーンとカップルになってしまった驚愕の結末。
――大手建設会社サラリーマン、鴻山勘三郎氏がソープ嬢から会得した数々の秘技。
――往年のプレイボーイ、カメラマン・宇津居さんの喪失した恋。
 ……。
 どれもこれも私とその周りでおきた実体験を語ったものだった。
 小堀君はあるときは、目を輝かせ、話に夢中になり、またあるときは私の熱気などどこ吹く風、といったように無表情になり、またあるときは、いまにも話しかけそうな表情を見せたときもあった。
 今日は病室に、小堀君の勤めていた会社、ウインドレターの木次代表と、藤井さんという事務職の女性が付き添っていた。
 小堀君がここに運ばれた当初から時間を割いては看病にやってくるふたりである。とりわけ、藤井さんは、少しでも血の巡りがよくなるようにと、いつも彼の手をさすってきた。
 清楚な薫りがする藤井さんこそ、小堀君が復活したら新しい恋人にふさわしいにちがいない。
 私はそんなことを思いながら、だが、もうひとつ残酷な推理もしていた。彼のもとを去っていったERIKOという女が、小堀君はまだ忘れられないはずだ。
 彼女が乗り換えた恋人というのは、西武池袋線の江古田でひとり暮らしをしている役者志望の青年だった。風の便りでは、ふたりはまだ交際がつづいているようだ。
 時は移ろい、人の心もまた移ろう。
 小堀君。
 万策尽きたよ。
 私にはもう語るべき物語がない。
 窓の外はすっかり暮れていた。
「なんでもいいから、もてる男の話をしてください。焼き直しでもいいんです」
 藤井さんが私に無理な注文をしてきた。小堀君を甦らせようという熱情であろう。私は藤井さんの要請に、ただ力なくうなずくしかなかった。
 口からでまかせを言うにしても、いったい何を語れというのだ。
 遠くでサイレンの音がする。
 クラクションの音。
 通路を通る看護師たちの声。
 そして無音があたりを支配する。
 そのときだった。
 いきなりドアが開いた。
 私は我が目を疑った。
 幻か、いや、これは現実か。
 ERIKO本人が立っているではないか。
「康友……」
 小堀君の名前を愛おしそうに告げた。
 私は小堀康友君を見た。
 奇跡よ、起これ。
 ……。
 私はERIKOの背後に見てはいけない影を確認してしまった。彼女が乗り換えた新恋人、役者志望の青年だ。唇に特徴がある。
 私はなんとかして、ERIKOの背後にいる男の姿を、小堀君に見せてはなるものかと、ドア付近に体を移動させた。だが、男は部屋の中には入ってこないようだ。
 小堀君は、微笑んだ。
 とてもいい表情だ。
 反応はそれだけだった。
 


 

「これはこれは。大人数ですな」
 ERIKOの来訪についで、今度は東野警部補が部屋に入ってきた。
 今夜はやけに人の出入りが激しい。
 先週、東野警部補がやってきて、事情聴取をしたときがあった。
 そのとき、私がもてる男を小堀君に語りかけているのを知った警部補は、こんなことを言い出した。
「病床の彼を助けることになるかどうかわかりませんがね、ひとつ、こんなもてる男の話をしてみましょうか。事件にからむ話で、ちょっと刺激が強いかもしれませんが……」
 その事件とは、茨城県のとある料理教室の女性講師失踪事件にまつわるものだった(第24回 ひまわりのような笑顔の男)。
 たしかに病床の彼にはちょっと刺激が強すぎる殺人事件ではあった。
 今夜、東野警部補はいったいどんな用件でやってきたというのだろう。
「いい知らせです」
 警部補は誇らしげに切り出した。
「ひき逃げ犯が自首してきましたよ」
 部屋中にどよめきがおきた。
「ひき逃げの原因は簡単な理由からでした。犯人は29歳のインターネット関連の会社を経営する青年実業家でした。複数の女と同時並行でつきあって、そのうちのひとりとは婚約までしたらしいんですな。ところが、別につきあっていたもうひとりの女性を助手席に乗せて走っていたところ、たまたま信号待ちをしたときに婚約者の姿を見かけてしまった。これはいかん、ということで、彼はとっさにハンドルをきって横道に逃れたんですが、地元ではなかったために、そこが一方通行だとはわからなかったようなんです。運悪く被害者が歩いていて、ぶつかってしまった。動揺した運転手はその場から走り去ってしまった、というわけです」
 罪の意識にさいなまれ、自首してきたという。良心がまだ残っていたことに、私は救われた気持ちになった。
 しばらくして、部屋からひとりずつ人が消えていった。ERIKOも部屋の外で待っていた男と帰路についた。
 気づくと、部屋には私と小堀君だけになっていた。
 犯人があがっても、私の語り下ろしが尽きても、小堀君の病状にさしたる変化もないことに、私は徒労感を感じつつ、部屋を去ろうとした。
 すると、背後から声がする。
 なつかしい声だ。
 私の名前を呼んでいる。
 いったい……。
「ありがとうございます」
 なんということだ!
 小堀康友がこっちを見て、健康体のときとまったく変わらない表情で、言葉を口から発しているではないか。
「先輩が話してくれた数々のエピソード、夢うつつで聞いてました」
「小堀君。きみはもう前と同じようにしゃべれるように……」
「ええ。かなり前から頭の中ではクリアに言葉が出ていたんですが、こうやって口から出せるようになるまで、ちょっと時間がかかったようです。そんなことより、僕のために長い間、どうもありがとうございました。おかげで、口がきけるようになりました」
 今度は私が言葉を失いそうになった。
 奇跡は時々であるが、起きるのだろうか。
「先輩が気を遣って、ERIKOの背後にいる新しい恋人を僕に見せないように、ドアの付近に体を移動してるのもわかってましたよ」
「小堀君……」
「心配しないでください。また新しい彼女でもみつけますよ」
「そうか」
「先輩。長い間、もてる男を語ってくれて、僕なりにつかんだひとつの真理があります」
「なんだろう?」
「それは……」
「それは?」
「もてる男、とは、何人もの異性から愛される人間ではなく、この世でたったひとりの女性から愛されるやつだってことです」
 私は右手をさしだし、友と固い握手を交わした。
 祝福するかのように、夜の花火が遠くで打ち上げられた。

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