毎日を1%ずつ新しく生きる! 刺激と感動のマガジン&ストア

★がついた記事は無料会員限定

2016.02.06

第二章 彦八、江戸へ 〜彦八、江戸へ行く

(24)武左衛門の元に向かった彦八。再会した武左衛門の隣に、風変わりな浮世絵師がいて。

木下 昌輝

(24)武左衛門の元に向かった彦八。再会した武左衛門の隣に、風変わりな浮世絵師がいて。


「おいらは笑話を極める。そう、里乃と大阪城にも約束した」。武士に戻ろうという二代目策伝の前で、そう約束した少年彦八。時は流れ、青年となった彦八は、いよいよ江戸へ。笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八の生涯を描いた注目作。毎週火・木・土の週3更新です。

 

第二章 彦八、江戸へ 〜彦八、江戸へ行く

 

(四)

 
 梅若を肩に乗せて、彦八は小走りに進む。頭の上で「右」とか「左」とか言う梅若の指示通りに、江戸の寒風を突き破る。そのうち、じっとりと汗ばみ体が温かくなってきた。

 梅若が案内したのは、顔料や膠の臭いが漂う長屋だった。戸枠や格子のあちこちに、赤や黄や緑の染料が染みついている。きっと、絵師が住んでいるのだろう。

「だから、これじゃあ、あかんのですわ」

 聞き覚えのある声がしたので、格子の隙間から中を窺う。

「葦の簾とはいえ、辻に小屋をかけてしもたんや。その分は取り返さなあかん。この笑話では、座敷には上がれへん。頼むわ、石川さん、もっと面白いこと考えてぇや。このままやったら、俺はまた漆塗りに戻らなあかん」

 苛立たしげに、男は板張りの床を殴っている。細身の体と、少し左が上がり気味の肩に見覚えがある。役者のような切れ長の目、形のいい鼻と口は、ほとんど変わらない。よく似合う大きな月代に、細い髷を上品に頭の後ろで結っている。三十を目前に控えて、首に少し皮膚のたるみができていることだけが、彦八の記憶と変わったところだ。

「お父ちゃん」と嬉しげに叫んで、梅若が彦八の肩から飛び降りる。

「おお、梅若やないけ。どうしたんや」

「あの人、連れてきてあげた」

 小さな指を、彦八に差し向ける。

「これは、えらいすんまへん。どなたか存じませんが、うちの息子が迷惑かけて。こら、梅若、連れてきてあげた、ちゃう。連れてきてもろた、や」

 両膝に手を添え、頭を下げる仕草は別人のようだった。人の親になると、こうも変わるのかと、彦八は感心する。

「お父ちゃん、連れてきてもらったんじゃなくて、おいらが連れてきてあげたの」

 胸をはった梅若が、彦八に同意を求める視線を向けた。

「阿呆、いいな。ほんま、世話かけやがって」

 志賀屋の左衛門こと、鹿野武左衛門が梅若の頬をつねるが、優しく力をいれているだけだ。

「左衛門はん、ちゃいます。あんたの息子の言う通り、おいらが連れてきてもうたんですわ」

 彦八に目を向けた。立ち上がっても、今は彦八の方が少し背が高い。

「あんた、上方の人」

 返事の代わりに、唇を持ち上げて笑ってみせる。

「あっ」と、鹿野武左衛門が発した。人差し指を持ってきて、彦八の顔の中心ではなく、その少し外側あたりを指し示す。

「なんで、鬢の癖毛をみて、『あっ』やねん」

 彦八は、慌てて髪を撫で付けた。

「お、お前、彦八か。米沢屋の彦八か」

 両肩をむんずと掴まれたので、ゆっくりと頷いた。

「ほんまに来てくれたんか。江戸に辻咄しに来るなんて阿呆なこと、ほんまにしてくれるとは思ってへんかった。めっちゃ、嬉しい」

 両手できつく抱きしめられる。

「あの」と声をかけたのは、この長屋の住人だろう。顔の輪郭は狸のように丸いのに、目鼻口は狐のように細い。

「武左衛門さん、申し訳ないですが、どなたでしょうか」

 きっと絵師なのだろう。男の背後の壁には描きかけの絵、床には筆や染料などの絵具が整然と並んでいる。爪の間には、染料がかすかにこびりついているのもわかった。

「あ、ああ、すんまへん。石川はん、こいつは同じ難波村の奴で、俺の弟の幼馴染です。名を彦八といいます」

「米沢彦八です」

 礼儀正しく頭を下げた。

「はあ、彦八か彦九か知らんけど」

 顔をずらして、不審そうな目を向けてきた。

「なにが、彦九やねん、おもんないんじゃ」という言葉は飲み込んで、彦八は必死に笑顔を作る。

「こちらのお方は、石川流宣さんや。浮世絵師・菱川師宣様のお弟子さんや。俺のこと気に入ってくれて、一緒に笑話を考えてくれてはるんや」

 ごく浅く、石川流宣が頭を下げた。

「絵師の性でしょうかね。わたくしは整っているものが好きでございまして、鹿野武左衛門さんが役者のような姿で辻咄をするのに、心を奪われたのでございます」

 石川流宣は、背後から一幅の絵を取り出した。ひとりの男が辻に立ち、面白可笑しい咄をしている図だった。面長の顔と整った目鼻から、鹿野武左衛門だとわかる。見事な筆致で、まるで役者絵のような大げさな色遣いだ。だが、周りの聴衆を鹿野武左衛門ほど手をいれていないのが気になる。辻咄においての主役は、あくまで笑う客ではないのか。

「整ったんがお好きなら、おいらはあきまへんな」

 場を和ますために言った彦八の言葉を、石川流宣は受け流した。値踏みするような目で、彦八を見る。しばらくして、興味が失せたように視線を外した。

 ――噓でもええから、そんなことありませんって言えや。

 心中で毒づきつつ、話の接ぎ穂を探して、石川の描いた絵の数々に目をやった。なるほど、画題は美男美女ばかりである。役者、武者、力士、女人、どれも皆、眉目秀麗な顔立ちをしている。

 ふと、彦八の視線が、ある一枚の絵に吸い込まれた。

 若武者の絵だろうか。前髪を揺らす武士が刀を持っている。いや、違う。胸がうっすらと膨らんで、腰も細い。これは女武者だ。妙齢の女性が、男装して太刀を持っているのだ。

 どこかで見たことがある、と思った時、かぶせるように鹿野武左衛門の辻咄の絵が置かれた。

「石川さん、こいつが来たからには百人力や。葦張りの小屋も、あっという間に屋敷にできるで。なんちゅうても、こいつは難波村一のお伽衆やからな」

 彦八の背中が乱暴に叩かれた。

「難波村で、いちばん。それは、それは。江戸の辻咄の番付でいえば、関脇ほどのもんですかな」

 面白くもない自身の冗談に、石川流宣は口を開けて笑うのだった。

★がついた記事は無料会員限定

記事へのコメント コメントする

コメントを書く

コメントの書き込みは、会員登録とログインをされてからご利用ください

この記事を読んだ人にはこんな記事もおすすめです
  • 俺はまだ、神に愛されているだろうか?
  • 二人の“ハル”が、あの3月11日、東京で出会った——。
  • 希望が芽吹く傑作長編
  • 「上から目線」の憲法を、思わず笑い転げそうになる口語訳にしてみました。
  • 数字の苦手な人でも飛躍的な成果を上げられるノウハウを開陳!
  • 結果を出すため0のカギを握るのは、「余裕=ゆとり」
  • 麻生幾、浦賀和宏、小路幸也らによる書き下ろしミステリー小説が100円で発売!
  • 「いっそ、二人で殺そうか。あんたの旦那」
  • どうしたら女性であることを楽しめるのでしょうか?
  • あの子は、私の子だ。 血の繋がりなんて、 なんだというのだろう。
春の幻冬舎plus感謝祭
結果を出すため0のカギを握るのは、「余裕=ゆとり」
どうしたら女性であることを楽しめるのでしょうか?
エキサイトeブックス
今だけ!プレゼント情報
かけこみ人生相談 お悩み募集中!