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2016.02.04

第二章 彦八、江戸へ ~彦八、江戸へ行く

(23) 先に江戸へ出た難波村の左衛門を捜す彦八。左衛門を知るという童と出会ったが―。

木下 昌輝

(23) 先に江戸へ出た難波村の左衛門を捜す彦八。左衛門を知るという童と出会ったが―。

「おいらは笑話を極める。そう、里乃と大阪城にも約束した」。武士に戻ろうという二代目策伝の前で、そう約束した少年彦八。時は流れ、青年となった彦八は、いよいよ江戸へ。笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八の生涯を描いた注目作。毎週火・木・土の週3更新です。


第二章 彦八、江戸へ  〜彦八、江戸へ行く

(三)

 志賀屋の左衛門が住んでいるという堺町界隈は堀が多く、雰囲気が少し大坂の町中に似ていた。水と潮の匂いが懐かしい。

 そんなことを考えつつ、彦八は歩く。ふと足を止めた。五歳くらいの童が、地べたに座っている。何かの遊びでもしているのだろうか。

 遠くには別の童たちが、ちゃんばら遊びに興じていた。歓声に背を向けて、垂れる青洟を拭おうともしない。一心不乱に、足元にあるものをいじっていた。

 その必死な様子に、「モモンガ」と叫んで驚かしてやろうと、悪戯心が沸き上がる。「モモンガ」とは、童を怖がらせるために流行っている掛け声のことだ。空を飛ぶリスの仲間のモモンガが、いつの間にか化け物の名に変じてしまったのである。

 足音を立てずに近づく。童は漆器を手に持ち、刷毛で塗る真似をしている。

「へえ、坊主、なかなか上手いやん。座って漆塗るのは、上方のやり方やぞ」

 声をかけたのは、後ろ姿が懐かしかったからだ。江戸にも当然ながら漆塗の職人はいるが、地面に器を置いて皆立って塗るのだ。そのため、刷毛などの道具も柄が箒のように長い。一方の大坂は、目の前の童のように座ってやる。

 戯れで塗る真似をしているだけだが、なかなかに筋が良さそうだ。頭でも撫でてやろうと思ったが、やめる。遊びとは思えぬ真剣な眼差しをしていたからだ。

「しっかり、気張れよ」と言うだけにして、童から離れた。

 堺町の適当な一軒を探し、声をかける。

「志賀屋の左衛門はんって人、捜してるんですけど。知ってはりますか」

 だが、中の住人は首をひねるばかりだ。彦八も同様に頭を傾ける。

 ここに志賀屋の左衛門はいないという。竹蔵に一杯食わされたのかもしれない。往来に戻ろうとすると、漆器を持った童が、こちらをじっと見ていた。

「なんや、小僧、顔に何かついてるか」

 反射的に、鬢の癖毛を確認してしまった。やはり、毛が二、三本逆立っている。

「うん」と、首を下へ伸ばしたのは、童が何かを口ごもったからだ。

「なんや、何か言うたか」

 膝を折って、目線を合わせる。音をたてて、小僧が青洟をすすった。

「志賀屋の左衛門なら、おいら知ってるよ」

 漆器を両手で握りしめて、童は言う。

「ほんまか」

「うん……おいらのお父ちゃんだから……」

 消え入りそうな語尾だったが、彦八は「お父ちゃんやて」と叫んでしまった。

「ほな、左衛門はん、所帯持ってるんか」

 童は、曖昧に首を動かした。頷いたようにも、首を横に振ったようにも見える所作である。先程訊ねた長屋の住人が出てきた。彦八らの様子を見て相好を崩す。

「あら、梅若ちゃんじゃないの。そうか、志賀屋の左衛門さんって、何か耳に引っかかると思ってたら、鹿野武左衛門さんのことなのね」

 彦八は戸惑う。頭の中で、住人が発した名前を反芻する。

「鹿野武左衛門って、何ですか、それ。ほんまに志賀屋の左衛門はんなん」

 住人と梅若と呼ばれた童に、交互に視線をやる。

「ええ、きっと間違いないわ。もともとは、大坂難波村で漆職人してたって。ね、梅若ちゃん」

 漆器で顔を隠すように、童は恥ずかしがる。

「鹿野武左衛門さんなら、長谷川町の石川さんのところに行ってるわよ」

 長谷川町と言われても、どこにあるかわからない。彦八は、盛大に頭を掻いた。

「はあ、困ったな。堺町探すだけでも、一刻(約二時間)以上かかったのに」

 彦八の住む浅草から堺町までは、一里(約四キロメートル)に足らぬ距離だ。が、道に不案内なうえに、珍しいものがあると寄り道してしまうので、必要以上に時間がかかってしまう。そろそろ、足の裏も痛くなってきていた。

「それに、知らんうちに左衛門はん、名前まで変わってるし。なんていうんやっけ」

「鹿野武左衛門」

「シカノブザエモンかあ。調子狂うわ。なんか、宮本武蔵と戦って、すぐにやられそうな中途半端に強そうな名前やなあ」

 荒事とは無縁の細面の鹿野武左衛門の顔を思い出したのか、住人が破顔する。思い通りの笑いを引き出したことに満足していた彦八の膝が、崩れそうになった。後ろを向くと、梅若と呼ばれる童が、漆器でしきりに彦八の太ももの裏を殴っていた。

「お父ちゃんを馬鹿にするな。お父ちゃんは、すごいんだからな。辻咄させても、芝居させても、漆塗らせても、天下一なんだから」

 先程までの内気はどこかへ消え、顔を真っ赤にして怒っている。

「すまん、すまん、悪かった。せや、お前のおとんにも謝りに行くわ。せやから、長谷川町ってとこまで、おいらを連れてってくれや」

 まだ両手を暴れさせる童を、彦八は無理やり抱き上げた。

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