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2016.02.02

前編

「爆買い」取材でテレビが求めてくるのはいつも決まった絵

張 予思/開沼 博

「爆買い」取材でテレビが求めてくるのはいつも決まった絵

日中関係が戦後最悪と言われる中、日本人のステレオタイプな中国観の変遷を分析した新刊『革命とパンダ:日本人はなぜ中国のステレオタイプをつくりだすのか』(イースト・プレス刊)が、いま話題になっている。

著者の張予思さんは南京出身、中国からの留学生として東京大学大学院に入学し、この本のベースとなる修論を書き上げた。現在はテレビ朝日に務め、日々情報番組の取材に明け暮れている。

今回の対談は、大学院で共通の師匠を持ち、著者の先輩にあたる社会学者・開沼博さんを招き、日中関係の現在過去未来、そして「フクシマ」とも共通する「ステレオタイプ」の本質を語り合った。

 

東京大学のゼミが一緒だった張さん(左)と開沼さん(右)

自分の本が「嫌中」に囲まれ、四面楚歌状態だった

開沼 張さんと僕は、もともと東京大学の学際情報学府の吉見俊哉ゼミでご一緒していました。先輩だと北田暁大さんなどがいるゼミです。ところで張さんの副指導の先生は誰だったんですか?

 林香里先生ですね。

開沼 メディア論の林香里先生。そこで、いつからいつまで勉強してたんでしたっけ?

 私が吉見ゼミに入ったのは、2009年の10月です。外国人研究生として最初は入って、1年半ほどして震災直後の2011年4月に正式に修士課程に入学しました。震災の影響で、大規模な集会ができなかった時期で、家でパジャマ姿で「入学式」のネット中継を見ました。

開沼 なるほど。それから勉強を重ね、2013年の春に提出したのが、この本『革命とパンダ』のもとになった修士論文であると。

 そうです。1月に提出して、3月に卒業…という感じでしたね。

開沼 それでは、本の内容に入ります。『革命とパンダ』は装丁もとてもポップですけども、ぜんぜん読んでいない人にも分かる前提で話をしていただくと、どういう内容ですか?

 私は、今はすごく「嫌中」の時代だと感じていて、実際、自分の本を見に書店に行ったら、すごい数の嫌中本に囲まれていて、四面楚歌状態でした(笑)。

それはそれですごく面白いなと思ったんですけれども、今のテレビとかメディアを見ても、中国のイメージって政治とか軍事的には中国脅威論で、文化的な面では「中国人はパクリしかできない」とか、世界中に「爆買い」しに行ってるとか、そういう成金気質みたいなところがすごく強調されています。

今はそういうマイナスのイメージばかり提示されていますが、じつは、そういう嫌中の源流は「親中」の時代にある。今の脅威だったり、成金というステレオタイプも、私の本のタイトルになった「革命とパンダ」というステレオタイプも、実質は変わらないということです。

この本でいう「革命」は、1960年代の日本社会が見た、中国の文化大革命のことです。当時は日本でも安保闘争があったり、革命の時代だったと思いますが、特に60年代後半、全共闘の学生は中国の文化大革命に憧れていました。中国のイメージを「革命」として見ていた時代があったんです。

そのあとの70年代は日本社会が消費社会になり、パンダの来日では、日本全国でパンダブームが巻き起こりました。それで、70年代の中国のステレオタイプは「パンダ」だったというふうに、この本では書きました。

でも、どちらも、中国の現実ときちんと向き合った実像ではなくて、中国を虚像としてしか見ていないステレオタイプだったということを言いたかったんです。

開沼 なるほど。

 ようするに、日本の社会の現実と希望を中国に投影しただけだということです。特にアメリカという巨大な存在があり、政治的にも支配される中で、60年代はそういう関係から逃れようと、アメリカと対抗する中国の文化大革命に憧れを持ちました。

70年代は消費社会になって、アメリカ的な資本主義の文化を受け入れつつも、例えば環境汚染などに悩み、パンダに代表される自然の動物に憧れを持つ時代でもありました。

開沼 60、70年代に注目したのはなぜですか?

 最初、日本に来た時は、ざっくりと日本社会の中国イメージを研究したくて、資料が豊富な最近の20年を対象にしたかったんです。でも吉見先生から、歴史の研究をやったほうがいいんじゃないかとアドバイスを受けました。たしかに、この20年の中国のイメージを見るにも、中華人民共和国が1949年に成立した直後からの源流を辿ったほうがいいんじゃないかと思ったんです。

それで調べだすと、今の自分の認識からすごくかけ離れた時代があったということに驚き、特に60年代と70年代には今の中国イメージの形成の基礎があると思い始めて、その時代に対象を定めました。

開沼 張さんが中国で暮らしていた時に、中国がそういうふうなステレオタイプで見られていたことは意識していましたか?

 もちろん中国も日本を、ある程度ステレオタイプとして見ていたところもあったと思うんですけれども、日本が中国のことをステレオタイプで見ているなということは、中国にいたころからもう分かっていました。ただ、60年代、70年代、日本ではこんな好意的に中国を見ていた時代があったなんて知らなかったですね。その好意も本当の中国を認識した上での好意ではなくて、日本の希望を託した好意だったということは、忘れないでほしいなというのはあります。

 

「爆買い」のテレビ報道の裏側には……

開沼 ステレオタイプがなぜ発生するのかということを、『革命とパンダ』ではだいぶ書かれていますけど、ある面ではそういうふうにステレオタイプ化しないと複雑な現実は認識しきれない部分というのもあって、必ずしもステレオタイプ化は悪いものではないという話もあるわけですね。

 そうですね、はい。

開沼 一方でステレオタイプ化することで、虚像というか、現実からかけ離れたものばかりを見て、現状認識を誤ってしまうという問題がある。

たぶん、それは昔よりも現代のほうが、より情報の流動性や、人同士、国同士のすれ違う場面というのが増えてきていて、膨大な情報化の中で物事を理解するのはステレオタイプ化しないと駄目な場面というのも増えてきているのかなと思います。それは他国の理解もそうだし、自分と政治的な思想が違うような人の理解についてもそうですね。

実際に60年代、70年代の日本における中国イメージの研究から見えてきた「ステレオタイプとは何か」というところと、現代社会との関係性で何か思っていることはありますか?

 そうですね。今はもっとステレオタイプ化を強化しやすい時代になったんじゃないかなと思います。

開沼さんもそうだったと思いますけれども、よく学際情報学府でマクルーハンを読む機会が多かったんですよね。彼が言う「メディアはメッセージである」とは、その時代を支配しているメディアの性質が時代性を決める、というような考え方です。

今はテレビなどの映像メディアが発達しているから、物事を認識するときにイメージの積み重ねが重要な役割を果たしているんじゃないかなと思います。例えば、アメリカの大統領選の話になると、ラジオや新聞が中心の時代だったら、脚の不自由なルーズベルトとか、すごく太ったタフト大統領でも当選できたんですけれども、テレビが出てきて、今はもういわゆる「大統領っぽい人」しか選ばれないようになってしまって、イメージで判断することが多いんじゃないかなと思います。

私も実際、テレビ局に入って、よく言われているのが、「絵」(画面)のチョイスなんですよ。毎日のように、「もっと強い絵がないか、面白い絵がないか」って。そういう絵をチョイスすることが大事だと、編集ではすごく言われるんです。

開沼 具体的に、最近のお仕事の中ではどういうのが強い絵でした?

 最近、「爆買い」の取材がすごく多いんですけれども……。例えば爆買いとなると、どういう絵を想像しますか?

開沼 やっぱり家電量販店の箱をいっぱい持っている……。

 はい、そうですね(笑)。まさにそういうのを探して撮るわけですね。家電量販店の前で、炊飯器の箱を5個ぐらい抱えている……。

開沼 炊飯器、そんなにいらないだろって、見る人は思うわけですね(笑)。

 あれは、親戚中に買うからなんですけれども。そういう人を探して、脚ぐらいからのアングルで、箱だらけで、隣りで人が休憩している絵とかを撮ったり、お店の中だったら、籠にいっぱい同じものを大量に投げ込む姿だったりとか。あと銀座とか、大阪だったら道頓堀の近くとかで、観光バスが道に停めきれないくらい入って混雑している様子とか、観光バスから続々と出てくる様子とか……。

まあそういう絵を押さえれば、今日の取材は成功だというふうになるので、そういうことが大事になってしまっているのが、残念だなと。

これは時代性なのかもしれませんけれども、イメージばかりで認識するから、ロジック的な思考はそこまで重要ではなくなっているんじゃないかと思います。特にネット社会になってから、ロジック的な思考方式を構築することとか、知識のシステムを自分なりに考え出すとか、そういうことはますます重要じゃなくなったと思います。知識なんて全部グーグルの検索欄に入っていて、いつでも答えが出てくるけれども、それらはぜんぶ断片的で、イメージ的なものになってしまった気がします。

みんな、自分がいかに情報を持って広く認識できているのかを自慢し、ツイッターとかフェイスブックを見て、そこにある情報を全世界の意見だというふうに勘違いする人も多いと思います。けれど実際は、ツイッターでフォローする人は、ぜんぶ自分が決めているわけじゃないですか。自分と意見の近い人をチョイスして、タイムラインは自分の望むような情報でできあがってしまっていることが、ほとんどだと思うんです。でもそれが偏っている情報だと認識する人は、少ないんじゃないかなと思います。

開沼 そのとおりですね。

 

「複雑すぎる!  1個伝わればもうOKなんだよ」

 こうした状況の中で、開沼さんは、福島のイメージに関して思うことはありますか?

開沼 僕は取材される側でもあるし、取材する側でもあって、だから、そこは両方を見ているんですけどね。

震災から5年経つ中で、時間の経過と共に、ステレオタイプ化はより進んできているなとは思います。メディアの取材でも、もう初めに答えありきで、いろんなことを行く前に決めてしまっている。例えば、人の住めなかった地域があって、今は住めるようになってきたりしているんですけども、多くの人は「放射線を恐れて戻りたくないんじゃないか」というイメージがまずある。だから、帰るかどうかを住民に尋ねて、「帰れるようにはなったけれども、放射線が怖いから帰りたくないんです」という言葉を拾い集めてくる。そういう取材方法をよく見聞きするわけですよね。

でも、もうそんな分かりやすい言葉をみんな言うわけもなくて、「いや、ぜんぜん気にしてないですよ」とか、「いや、もうすぐ帰るつもりなんです」とか言う人も普通にいるわけです。でも、やっぱり一部を切り出して、白い紙の中に黒い点は1点しかないんだけど、そこを思いっきりクローズアップして、全体が黒であるかのようにする。

それが時間の経過と共に増えているというのは、事態がより複雑になっていて、答えは1つではなくAもBもCもDもあるみたいな状況が進行しているからだと思うんですね。そういう中でステレオタイプ化が求められて、ビジュアルだけじゃなく言葉のステレオタイプの拾い集めみたいなものもあるのかなと思います。

最初の段階は、ビジュアルの拾い集めが多かったんですね。僕は今も被災地を取材に行きますが、スチールカメラ、動画の人も一緒に来ます。それで、津波の跡に行くと、オフレコの冗談話として、「あの時、頑張って、瓦礫の中にある子どもの連絡ノートとか人形とか食器とか、分かりやすいものを一箇所に集めて写真に撮った」とか言うわけですよ。

僕はチェルノブイリにも行ったんですが、チェルノブイリで有名な保育園というのがあって、もう明らかにきれいに写真が撮れるようにセッティングされているのが、現場に行くと分かるわけです。で、だいたいどこのメディアも、日本・外国問わず、そのアングルで人形なんかを撮っている。あとガスマスクを外から持ち込んで、置いてあったりとか。ガスマスクなんて、ぜんぜん今、必要ないのに。

こうしたステレオタイプ化というのは、災害とか原発事故のところでは相当、出てくる。やはりそれは、その対象に対して、人びとが理解しがたいと感じていたり、なんらかの脅威を感じているときこそ、生産されてしまうのかなって。僕は、それを相対化して、それだけじゃないんだよということを示していく必要があると思うんですけどもね。

でも、今、張さんもテレビで働いていらっしゃると、相対化するよりはむしろ、ステレオタイプを強化するところに加担せざるを得ない部分ってあるわけですよね?

 そうですね、加担してしまっている。毎日、そういう仕事をしてるなって思います。

いま開沼さんが言っていた、人形を撮るとかの話、普通にあります(苦笑)。災害現場に限らず、どこに行ってもきれいに分かりやすく撮るとか、VTRの全体的なテイストを伝えられるカットをチョイスすることは、ベテランであればあるほどやることだと思いますね。

福島の状況が複雑化しているのと同じように、中国のイメージも複雑化しているんですが、日本のテレビだと、「中学生にも分かるようなニュースを作りたい」ということを言われます。例えば3分のニュースのVTRで、私は今でも怒られるんですけど、「何個伝えることあるんだ! 複雑すぎる! 1個伝われば、もうOKなんだよ」って。できれば、簡単なひと言で言えるような観点でそのニュースのVTRを作ることが、要求されるんです。

だから、福島に限らず、沖縄の問題とかも、分かりやすい言葉と、分かりやすい絵で、分かりやすい結論に導くことがテレビで要求されているのかなと思っています。中国のことも、もちろんそうだと思いますね。

開沼 なるほど。「これも、これも、これもある」と言いたいけれども、最初の「これも」で、終わっちゃうわけですよね。

 「視聴者に入っていかないから1個にしぼれ」って言われてしまう。正直、視聴者はどう見ているのかは、分からないんですけれども。

開沼 AもBもCもあるのにAだけだというのは、たしかに優先順位が高いから何もやらないよりはベターかもしれないけども、やっぱりそれによる弊害も出てくるわけですよね。

 たしかに何もやらないよりはいいのかもしれません。「爆買い」とかを映しているけれども、中国という存在を喚起するだけでも、ある程度の意味があるんじゃないかと自分を慰めたりもしています。

でも実際は、一番分かりやすい観点のAを放送して、視聴率もよく評判もよければ、次はもうAだけでいこうという話になる可能性はあると思うので、まさにステレオタイプの再生産のオンパレードになってしまうと思います。

開沼 なるほど。そこはどうしようもないんですかね?

僕が今、意識しているのは、メディアを分けるということです。シンプルに言わないとだめなメディアと、複雑なことも許されるメディアと。例えば、この対談はウェブに長文が載ることが前提だから、AもBもCも、さらには関係ない話までも入れることができます。そういう情報を欲する人もいるわけです。でも、テレビなんかで3分でしゃべれと言われても、言いたいことなんかほとんど盛り込めないわけで、ましてや30秒ぐらいで切れる話なんて、無理なわけですね。

だから、そこは、メディアミックスを相当意識する。あるいはメディアだけじゃなくて、トークイベントではこれを言えるというように振り分けていくようなことが、答えの1つなのかなと思うんですよね。

 でも開沼さんみたいな方は、メディアで発言力を持っているからできると思うんですね。テレビでいえば、「TVタックル」みたいな番組だと、3分で発言する機会があるかもしれないですけど、私が担当しているニュース番組だとせいぜい15秒とか……。分かりやすく言わないと、もう二度と呼ばれないようなメディアだと思います。

私は、今のところ答えを見出せていなくて、もちろん「こういう中国のニュースもあるから、どうですか?」みたいな提案をしていこうとは思うんですけれども、実際採用されるのは、ステレオタイプなものがほとんど。

あとは視聴者に、自分たちが見ているニュースはステレオタイプ化されているものだということを、どうしたら認識してもらえるのかを考えてみたい。まず、ステレオタイプの存在を認識することが第一かなと思いますね。

開沼 テレビやマスメディアはネット上ではマスゴミと揶揄されていますが、それはあまりにもステレオタイプなところをやってきたせいかもしれません。でも、ネットがそのステレオタイプの再生産を阻止できるのかというと、たぶん逆の再生産を作ったりする。

 そうですね、本当にそうだと思います。

開沼 そういう袋小路に入ってしまっているのが、難しいなと思います。

みんな別々のステレオタイプを作って、それで認識するような状況に対して、現実は複雑なんだと、それをどう受容していくのか。

 

中国の大学生は天安門事件のことを知らない?

開沼 『革命とパンダ』では、60年代の革命について書かれていますけども、けっきょく日本では中国の革命は理想的なものとして当時は捉えられていたわけですよね。では、中国では文化大革命はどういうふうに捉えられていたんですか?

 文化大革命は、中国では今だとはっきりと批判されていて、教科書でも「あれは間違っていた」と教育しています。でも、おじいちゃん、おばあちゃんの話を聞くと、ちょっとぼかして話してくるような感じがあって……。

開沼 まだタブー感があるんですか?

 いや、今は文化大革命はぜんぜんタブーではないんですけれども、経験した人にとっては、けっこう苦しい記憶だというのはあるんじゃないでしょうか。

開沼 それは張さんがけっこうインテリ家庭だったり、当事者に近いところにいたというようなことがあるんですか?

 インテリ家庭でもなかったんですけれども、おじいちゃん、おばあちゃんは当時批判されることは多かったらしいです。そこまで被害があった家庭ではないと思いますが、「狂った時代だった」というふうには言っていました。毛沢東主席の指示が来れば、深夜2時でもみんな外に出てダンスをしたり歌ったりするわけで、おかしいなと思う人もいるんだけれども、なにも言えなかったんだと思います。なかにはそういう熱狂の中にそのまま入り込んだ人も多々いたのではないかと思います。

今の自分はどう文化大革命を見ているかというと、中国の伝統の文化を壊してしまった過ちだったと認識しているし、何よりも人と人の信頼関係を壊してしまったことはいちばん駄目だったと思いますね。当時だと、告発ということがいちばん重要なわけで、夫婦のあいだでも、親子のあいだでも、信じきれないような状況があって、いろんな文学作品とかドキュメンタリーとかに出てきます。

でも、「革命」というワード自体は、また別の話ですね。日本にいると、「革命」とはちょっと怖くて狂っていて、馬鹿にできるものだと捉えられていると、私は感じます。例えば反原発においての座り込みだとかを、ああいう人はプロ市民だとかいうふうに馬鹿にする人は多いですけれども、中国だとそこまで抵抗感はないかなというふうに感じますね。

開沼 今もですか?

 今もですね。もちろん学生運動などは、天安門事件があってタブーになっている部分が多いんですけれども、革命という言葉自体にはポジティブで変革のあるもの、というふうに認識している人が多いんじゃないかなと思います。

私も学生時代にはぜんぜん感じなかったんですけれども、日本で社会人になってから、「全共闘がもっとやってくれれば、もっとダイナミックで面白い日本になったんじゃないか」と思うこともあったりします(笑)。

文化大革命はまったく駄目だったと思うんですけれども、当時の紅衛兵みたいな何も経験していない、高校を出たばかりの若者や大学生が権威を倒すことを普通に簡単にできたところは、強いて言えば、ポジティブな部分もあったかなと思います。日本では権威というものは、未だに巨大な存在なんだなと感じますね。

開沼 そこの感覚は面白いですね。こちらから見ていると、中国って権力・権威が強いというイメージがありますけども、そういう逆の発想もできるわけですね。

 でも、中国は数千年の歴史で、皇帝の一族はいろいろ変わったじゃないですか。日本の天皇家は変わってない一族であることは、中国人にとってはたぶん信じがたい事実です。もちろん今の共産党は強力な政府ですけれども、共産党の内部でもいろいろ変革もあるし、革命自体に対してはそこまで抵抗のあるものだとは考えてはいないですね。

開沼 日本人はしょっちゅう政権交代とか行政改革とか、そういう小さな変革には何か希望を持ってポジティブに捉えますよね、内実を見ずにね。でも革命、体制転覆みたいなものには大きな抵抗感をもってしまっている人が多い。それが中国だと、ぜんぶ取り替えていくというのは、「まああり得ることだから」みたいなイメージがあると。

 そうですね。

開沼 文化大革命については、60年代、日本の一部の層ではあるが過度に理想化した部分があった。70年代は、それがパンダに移り変わったという分析ですが、僕たちの世代になると、文化大革命なんて分からないという人が、たぶん大方です。そこは中国だと、文化大革命も天安門事件もやっぱり、多くの人がどういうものだったか認識していますか? 若い人はもう分からなくなっていますか?

 文化大革命はみんな認識していると思います。歴史の教科書にも必ず書いてあります。映画や文学作品でも、あの時代をあつかったものには、基本、文化大革命が入ってきますね。もちろん、文化大革命が1966年から1976年まで、10年もの長い期間だったのと、その時代は人間の根本的な醜い部分、その反対のいちばん美しい部分が出てくるから、芸術作品のいいネタになっているところはあります。

でも、天安門事件はまったく別の話ですね。それこそまだタブーで……。今でもたぶん公開な場で、討論できるような話ではないと思います。私、大学は、北京師範大学だったんですけれども、天安門事件のいちばんリーダー的な大学だったんです。

開沼 おお、そうなんですね。

 ノーベル平和賞受賞の劉暁波(りゅう・ぎょうは)さんも、じつは同じ文学部の先輩なんです。でも、大学の授業で、先生が天安門事件について話した時に、200人ぐらいのクラスの半分以上は「何それ?」みたいな感じだったんです。私はなんとなく中学生ぐらいの時に聞いたけれども、そんなにみんな知らないのかと驚きました。

開沼 そうですか。やっぱり知らぬ間にメディアに振り回されて、自分に伝わってきてない情報もあるということへの想像力を持たなければならないと思わされる話ですね。

 中国人だと、テレビや新聞が言うことは、ぜったいに何か隠しているなというふうに、みんな思っていることが多いですね。特に、私の同級生とか、今の大学を出ている人だったり、外国に出たことのある人は、大半はそういう考え方を持っているんです。でも、日本に来ると、みんな素直に受け入れているなと感じて、そういう意味では、水越(伸)先生が研究しているようなメディアリテラシーは足りてないのかなとは感じますね。もっと疑ってほしいという部分はあります。

開沼 ただ、3・11以降の日本の状況で言うと、もちろん情報隠蔽、情報統制を肯定するつもりはまったくないけども、疑いすぎることでステレオタイプなものですら自分の中に持てないような状況もあります。「あれも嘘かもしれない、これも嘘かもしれない」となって、混乱して生活の質が下がってしまっている人もいます。

そういう人って最終的には、陰謀論、終末論みたいな極端なニセ科学に走ってしまって、悪徳商法につかまるパターンがあるわけです。「悪徳商法にはまってる状態ですよ」と教えても、そうやって自分の価値観を否定するということに「嘘をついてるんじゃないか、裏があるんじゃないか」という話になってしまうので、そこはすごく悩みどころなんです。

日本と中国の比較でいうと、やっぱり10億人の人をちゃんとグリップしておくというところでの情報の流し方って、やっぱり1億人のグリップとぜんぜん考え方も違ったりするんですか。そういう大きなメディア論みたいなところで、思うことありますか?

 それはすごく難しい質問……(笑)。

開沼 たしかに嘘をつくのはよくないにしても、不信感を全員が持つ社会ってとても不幸な気もしています。「なんでも自由に判断しろ」と言われることって、とてもきついことでもあって……。

 そうだと思います、はい。

開沼 そうであれば、ある程度、委ねられる状態をつくっておく必要がある。それはメディアの情報統制という意味で委ねさせるんじゃなくて、自分たちが委ねられるような情報の環境をどのようにつくるかということだと思うんですけどもね。

 そうですね。中国の話だと、もちろん十数億人が同じことを考えているわけはないんですけれども、共産党が滅びる、滅びると言われる中、まだ実際にぜんぜんそうじゃないということは、ある程度、国全体の目標がうまくつくれている状況だと思うんですよ。

今だと、習近平が話している「中国の夢」って、もちろん階層によって夢の内容が違うんですけれども、なんとなく大きな言葉に惹かれて目標を持てていることは、まあまあ成功なのかなというふうに感じています。農民だったら、富裕層だったら、それぞれまた違う目標があったりするなか、最後はその「夢」というぼんやりした言葉にまとめられたということは、国の統治としては効果があるのかなとは思います。

(後編に続く)

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