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2016.01.30

第二章 彦八、江戸へ ~彦八、江戸へ行く

(21)時代は変わり、笑いひとつで稼げる者も現れた。大人になった彦八は江戸へと向かう。

木下 昌輝

(21)時代は変わり、笑いひとつで稼げる者も現れた。大人になった彦八は江戸へと向かう。


「おいらは笑話を極める。そう、里乃と大阪城にも約束した」。武士に戻ろうという二代目策伝の前で、そう約束した少年彦八。時は流れ、青年となった彦八は、いよいよ江戸へ。笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八の、知られざる生涯を描いた注目作。いよいよ第二章がスタート!! 毎週火・木・土の週3更新です。

 

第二章 彦八、江戸へ 〜彦八、江戸へ行く


(一)


「痛ってぇえ」

 思わず彦八は頭を抱える。衝撃で視界がたちまち滲んだ。頭に手をやりつつ振り向くと、軒先に吊り下がった研ぎ包丁屋の看板が揺れている。

「お兄さん、看板の包丁でよかったな。本物なら、首が飛んでたぜ」

 威勢のいい江戸言葉が、乾いた冷風と共に通り抜ける。

「大方、どっかの田舎からでてきたんだろう。よそ見してると、そのひょろ長い体をまたぶつけるぜ」

 初めての江戸ということもあり、周りを見つつ歩いていたのは確かなので、「へえ、ご忠告おおきにです」と殊勝に返した。

「なんだ、上方からか。そんなにのんびりしてると、大八車にひかれるぞ。蟹の脚みたいな鬢を引っ張られるぜ」

 彦八は思わずこめかみに手をやる。宿所を出る時に念入りに油で撫で付けたが、看板に当たった拍子で崩れてしまったようだ。

 軒先のすぐ下に吊るした看板に、頭をぶつけるほど背丈は大きくなったが、鬢の毛癖だけは童の頃のままだ。唾をつけて髪を撫で付けていると、車輪が地面を削る音が近づいてきた。頭を屈めて軒先を避けつつ、後ろを向く。

「なんや。これが、江戸のべか車(荷車)か」

 彦八が思わずのけぞると、今度は後頭部に庇の先が当たる。

 大坂のべか車は縄で引っ張るようにして動かすが、江戸は違う。大八車と呼ばれていて、荷車の前方に把っ手のようなものがあって押すように荷を運んでいる。

 荷車だけでなく、引き手の様子も変わっていた。

「おうたかほう、そこたかえい」

 白い息と一緒に妙な掛け声を吐き出しつつ、大八車を転がしている。

 荷を見ると、筵にくるまれた野菜が束になって載っていた。まだ、泥や朝露がついている。

 土の臭いは難波村と変わらんなぁと思いつつ、大八車と並んで歩く。

「これ、なんなん。大根なん」

 荷車の野菜のひとつを指さした。

「ばっかやろうっ、これが牛蒡に見えるか」

 大八車を押していた人夫は、顔を前に向けたまま怒鳴る。江戸の大根は大坂と違う。大坂は蕪のように丸みを帯びて短いが、こちらは子供の太ももぐらい太く長い。

 ――これ、兄貴見たら、びっくりするやろな。いや、喜ぶか。きっと、美味い漬物にしおるで。絶対、米沢屋の名物になるはずや。

 どんな味や歯触りだろうと想像すると、唾がわいてきた。頭の中で、炊きたての飯を妄想しつつ歩いていると、またしても体に衝撃が走る。今度は、臑に強く何かが当たったのだ。

「畜生」と自身を罵倒して、またしても顔をしかめる。足元にぶつかったのは、天水(雨水)桶だ。昼の陽光で溶けかけた氷が浮いている。石造りの大坂と違い、木造りだ。大坂の天水桶だったら、悶絶していたはずである。江戸でよかった、と胸を撫で下ろす。

「大坂と江戸は、こんなにもちゃうんか」

 性懲りもなく、顔を右へ左へやりながら歩く。珍しいものを見つけると、つづら折れに右の店、左の店と、せわしなく道を渡る。

 堀にある「放し亀」は、枝にくくった紐に亀の胴体を結んで宙づりにしていた。大坂なら、木の棒の上に腹を乗せているはずだ。

「なんや、亀さんが首つってるみたいやな」

 一方、料理屋の行灯は吊るしている大坂のものと違い、地上から根が生えたかのように置いている。「こんな置き方してたら、盗人に盗られてまうで」と、いらぬことを言って怒鳴られ、女中に水をかけられた。

「江戸は変わってるなぁ」

 跳ねる鬢をもう気にしなくなっていた。同じ日ノ本なのに、こんなにも違うのか。逆に、同じところを見つける方が難しいのではないか。

 この大坂と全く違う町で、今日から彦八は暮らすのだ。

 大波が打ち寄せるような笑い声が聞こえてきた。

 黒漆喰に塗られた江戸の釜戸に感心していた彦八は、思わず振り向く。頬が蕩けるように柔らかくなる。「うふふふふ」と、漏れる笑いを止めることはできない。

 時代は変わったと思う。

 これだけは、上方も江戸も同じようだ。

 駆けたい足を必死に押しとどめて、何でもないようにゆっくり歩く。江戸の人に舐められたらあかん、と思いつつ、先程とは打って変わって鷹揚さを演出する。

 やがて辻が見え、人が壁をつくるように囲っているのがわかった。なぜ走らぬと責めるように、心臓がせわしなく動く。体に流れる血が、熱を持つのがわかった。

 太鼓の皮が弾けるような笑いが、あちこちで起こっていた。彦八は人々の頭の隙間から、前を覗きこむ。

「うわぁぁ」と、思わず声を上げてしまった。群衆の中心にいるのは、ひとりの芸人だった。三十代手前の、茶人風の道服を着た男が喋っている。何かを言うたびに、囲む人たちが腹を捩らせて笑っていた。

 間違いない、今、辻でやっているのは笑話だ。

 ひょろ長い体を捩じ込んで、彦八はできるだけ前へと行こうとする。

 

『雅な京のあるところに、高貴な尼様がおられました』

 どうやら、ひとつの笑話がちょうど始まるところのようだ。道服を着た男が、群衆を見回しつつ口上を述べている。

『ある時、ご実家の所領に遊びに参られたのです。お百姓たちから、それはそれは大変な歓待を受けることになりました』

 客たちは相好を崩して、いまにも吹き出しそうな顔だ。先程までの笑話でもたっぷりと笑わせられたという風情だ。これは、期待がもてそうだ。

『京の尼様は、石風呂に入ることになりました。そして、ご接待をする百姓に、高貴な言葉でこう言ったのです。「てうづのこ(石鹸粉)を用意してください」さて困ったことにあいなりました。田舎のこととて、皆、“てうづのこ”のことを知らないのであります』

 客たちと同様、彦八も口端が上がるのを止められない。

『百姓たち、にわかに寄り集まって、相談することにあいなりました。「あまりにお待たせしてもよくない。が、“てうづのこ”などというものは、知らぬ。さて、どうしたものか」と、焦るばかり。その時、訳知り顔の男がひとり出て参りましたのです。「多分、あのことじゃろう。儂に任せておけ」自信満々に言い放って、尼様の前へと出たのであります。そして、尼様同様の重々しい言葉で、こう申しました』

 芸人は周囲を見回して、間をとった。

『てうづのこは、先年起こった大坂の役によって、皆退散してしまいました』

 聴衆が、口を開けて笑い出した。芸人は満足気な顔で見つめつつ、咄を続ける。

『さても、さても、うつつなひ(呆れた)ことよのぉ』

 呆れた尼様の台詞が、笑いをさらに大きくさせる。

『その“うつつなひ”も、戦乱によって退散してしまいました』

 どっと喝采が沸き起こった。隣の客同士が肩を叩きあって笑っている。

「やるやんけ。江戸の辻咄も大したもんや」

 彦八は腕を組み感心した。

「ちょっと、あんた。次は、前に笑わせてくれた村の長者の咄をやっておくれよ」

「俺は、うつけな小姓の咄が面白いって、隣の旦那から聞いたぜ」

「野暮なこと言うな。どっちも、耳に蛸ができてらぁ。新作の咄をやっておくれよ」

 客たちは、芸人に次々と笑話をせがむ。

 彦八が童の頃、笑話は辻説法の合間のおまけにしかすぎなかった。

 しかし、今は違う。

 二代目策伝や里乃と別れてから数年ほどして、京で笑話をうりにする僧が登場したのだ。辻に立ち、昼は普通の説法をして、日が暮れると夜談義と呼ばれる笑話を披露し始めた。この夜談義が大評判となる。

 僧は還俗して『露の五郎兵衛』と名乗り、大坂だけでなく江戸にも名が知られるようになった。『辻咄』という、純粋な笑い話だけで銭を稼ぐ辻芸人の登場である。

 彦八が首を巡らせると、あちこちの辻で人だまりができ笑い声が起きている。

 天下一のお伽衆を目指す彦八にとって、願ってもない時流であった。まずは辻に立ち、辻咄で一旗揚げる。そして、大名や将軍家から声がかかるのを待ち、二代目安楽庵策伝の言った『まことの天下人のお伽衆』となるのだ。

 彦八は腰に手をやった。古びた巾着袋がくくられている。生地は薄くなり、空いた穴を彦八の下手糞な針仕事で継ぎ接ぎしていた。手を持ってきて触ると、丸い小石や貝殻が音を立てる。幼い頃に、里乃から託されたものだ。

 里乃がいなくなってからも大切に守り、見知らぬ江戸へ行く時、道中で何度も巾着袋を握りしめて弱気を追い出した。いつか里乃に再会したら、この巾着袋を渡すのだ。

 あちこちの辻にいる辻咄たちを見つつ、「江戸に来たのは、間違いやなかった」と確信する。江戸で名を上げれば、間違いなく日ノ本中に彦八の存在が知れ渡る。もし、「米沢彦八」の名が江戸で高まれば、きっと里乃の耳にも届くはずだ。

 ――里乃、待っとけよ。

 心中でつぶやくと、手に持つ巾着袋がずしりと重さを増した。

 

 

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