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2016.01.28

第一章 難波村に彦八あり ~安楽庵策伝の悲願

(20) 約束を果たせぬ策伝は、武士に戻ることに。そして彦八に自らの夢を託すのだった。

木下 昌輝

(20) 約束を果たせぬ策伝は、武士に戻ることに。そして彦八に自らの夢を託すのだった。

上方落語の祖といわれ、笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八。その知られざる彦八の生涯を描いた注目作!! 毎週火・木・土の週3更新です。

 

第一章 難波村に彦八あり 〜安楽庵策伝の悲願
 

(五)

「そうか、やっと決断してくれたか」

 宿所の畳に手をついて、友である森四郎右衛門は策伝の顔を見上げた。

「ああ、待たせて済まなんだ。大人しく飛騨高山に戻る」

「おおお、藤五郎がいれば百人力よ。共に戦って、幕閣やお庭番どもに目にものを見せてやろうぞ。そうだ、この時のために、お主の着るものを用意していたのじゃ。もちろん、腰のものもな」

 大きな行李を両手で抱えて、音を立てながら策伝の前に置いた。

「すまぬ。今、着ていいか」

 万が一にも決心を鈍らせぬために、そう言った。

「無論じゃ。なんなら、褌も替えるか。恥ずかしがることはない。童の頃から、お主の一物のことは、よう知っておる」

 苦笑いしつつ、袈裟を肩から外した。黒い僧衣を脱ぎ、襦袢を肌から引き剥がす。

 袴と小袖を慣れた手つきで身にまとい、固くきつく帯を締める。

 最後に渡された二刀を受け取り、腰に佩いた。

「おおおお」と、感嘆の声が上がった。

「どうする。かつらも買うて来ようか」

 森四郎右衛門は目と眉を八の字に垂らして、策伝の入道頭を指さした。

 相好を崩す友を横目に、折りたたんだ僧衣の上にあるものを取り上げた。『真筆 醒睡笑』である。わずかについた埃を、手で払う。

「四郎よ、少し外出させてくれ。今すぐ飛騨へ帰ろう、と言いたいところだが、大坂にやり残したことがある。なに、夜になる前には戻る」

「おお、今まで待った月日に比べれば、短いものじゃ。で、行き先は新町の遊郭か。まだ日が高いというのに、この破戒坊主め」

 友の冗談を背に、策伝こと田島藤五郎は宿所を出た。久方ぶりに腰の重みを確認しつつ、南へ足を向ける。向かうのは難波村だ。

 

 彦八は地に座り俯いていた。右手をしきりに動かして、雑草を千切っては、空に投げている。

 策伝はゆっくりと近づき、横で膝を折った。腰の二刀が揺れて、固い音を奏でる。

 気づいた彦八が、正気の抜けた目を向けた。

 頭の天辺から足のつま先まで眺めて、「坊主なんか、侍なんか、ようわからん格好やな」と毒づく。

「彦八、すまなかった」

 一体、この小僧に何度謝っただろうか。しかし、あと一日早く、辻での笑話を切り上げ、難波村へ向かっていればという思いが、策伝こと田島藤五郎の頭を下げさせる。

「もう、ええよ。笑かしたかて、長崎屋の借財が減るわけやないからな」

 彦八の右手がまた雑草に向かうが、千切ることはできず指が泳いだ。

「儂は、武士に戻ることにした」

 許せ、という言葉は飲み込んだ。

「辻で笑かすの諦めるん。やっぱり、笑いで銭を稼ぐのは無理なん」

 策伝は曖昧に笑う。

「彦八、感謝している。お主に教えてもらい、儂も少しは笑話というものを身につけることができた。が、だからこそわかった。儂は師には遠く及ばん」

 心中で「そして、お主にもな」と呟いた。

「難波村一のお伽衆と名乗っていたな」

「別に、大袈裟やとは思ってへんよ」

 躊躇なくそう言った彦八の眼差しは、誇り高い武士のものとよく似ていた。

「天下一のお伽衆になる、とも言っていたな。その夢に、偽りはないか」

 無言だったが、確かに頷いた。

 彦八ならば必ずや成し遂げる。そう、策伝は確信していた。

 狼や鷹が教えられずとも獲物を狩るように、彦八は笑いの呼吸をすでに体得しつつある。釈迦が自ら悟りを開いたように、彦八はきっと己の力で笑話の極みにたどりつくはずだ。

「ならば、彦八、見事、天下に名を残すお伽衆になってみせよ」

 彦八は無言だ。ただ、瞳の力が強まったのだけはわかった。こんな目をする男は手強いことを、飛騨高山の麒麟児・田島藤五郎は知っている。

「儂が言っているのは、ちっぽけな将軍や大名、武士を笑わせるようなお伽衆のことではないぞ。まことの天下人のためのお伽衆となり、我が師が叶えられなかった悲願をなしてくれ」

 なぜだろうと、策伝こと田島藤五郎は思う。どうして、己の声が掠れているのだろうか。

「見事、まことの天下人のためのお伽衆となった時は、『真筆 醒睡笑』をお主に託す」

 立ち上がりつつ、言った。

 彦八は眩しそうに見上げている。

「言われんでも、おいらは笑話を極める。そう、里乃と大坂城にも約束した」

「その言葉を聞けば十分だ」

『真筆 醒睡笑』を強く握りしめようとする手を、必死に自制する。しばしの間、ふたりで辻に立った日のことを話したが、話題はすぐに尽きてしまった。別れれば、二度と会うことはないであろう。たとえ会ったとしても、その時は、田島藤五郎は二代目安楽庵策伝ではない。

「彦八、達者でな」

「策伝のおっちゃんもな」

 ゆっくりと歩み、彦八から離れる。

 途中で、朱の塗料が半分ほど禿げた小さな祠があった。葉の落ちた木々が周りを囲っている。滑稽芝居の行われる広場だ。当然だが、誰もいない。

 昼八つを告げる鐘が、聞こえてきた。

 田島藤五郎は、目を瞑る。

 ぼんやりと瞼に浮かぶものがある。滑稽芝居を演じる彦八が現れる。

 その姿は、すでに童ではなかった。

 背は高いが、体つきは華奢だ。かすかに首を傾げている。左右の鬢が、猫の髭のように跳ねていた。

 青年になった米沢彦八が、大勢の群衆と対峙する。

 侍もいれば、商人もいる。職人や僧侶、板前、女房に童、赤子を背負った若い母もいた。城攻めのようにひしめく客たちを前に、米沢彦八は不敵な笑みを浮かべる。

 昼八つの最後の鐘がやってきた。

 鐘の音と夢想の中の笑声が重なり、和する。

 木霊する快哉を噛みしめるかのように、二代目安楽庵策伝は立ち尽くしていた。

 

いよいよ次回(1/30)から、第二章「彦八、江戸へ」がスタートです!!

 

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