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2016.01.26

第一章 難波村に彦八あり ~安楽庵策伝の悲願

(19) 里乃を笑わせる準備は整った。いざ策伝は難波村へ足を運ぶが、時は既に遅かった―。

木下 昌輝

(19) 里乃を笑わせる準備は整った。いざ策伝は難波村へ足を運ぶが、時は既に遅かった―。


上方落語の祖といわれ、笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八。その知られざる彦八の生涯を描いた注目作!! 毎週火・木・土の週3更新です。

 

第一章 難波村に彦八あり 〜安楽庵策伝の悲願 


(四) 

 笑話の台詞を呟きつつ、二代目安楽庵策伝は準備に余念がない。聞くのは朱の塗料が半分剥げた祠と、まばらに植わっている木立だけだ。難波村の広場に、二代目策伝はひとり立っている。

 あれから十日余り辻に立ち続けた。針の筵とはこのことか、と思うほどのしくじりを繰り返し、爆笑で全身が火薬に変じたかと思うほどの感動を数度味わった。

 ――とにかく力まぬことだ。

 今では、笑わせるにも様々な形があることがわかった。なかには、顔一杯に笑みを貼りつけて、大げさに抑揚もつけて、策伝と正反対のことをして笑わせる者もいる。しかし、それは持って生まれたものだ。

 南蛮人のような茶色がかった瞳と、端整な顔立ちを持つ策伝には無理だ。逆に容姿を活かして極力物静かに、笑話など微塵も語らぬという雰囲気を漂わせた方が、あっている。

 そして昨日、彦八と約束して、難波村で滑稽芝居をすることを決めた。

 重い鐘の音が策伝の頭上を通過し、西の彼方にある生駒山に吸い込まれていく。昼七つ(午後四時頃)を迎えたのだ。

 策伝は首を傾げた。彦八とは、昼八つ(午後二時頃)に集まって、滑稽芝居を始めると言っていたはずだ。

 見覚えのある童が走っている。

 以前、策伝に石を投げたひとりではないか。どうしたのだろう。蛇行する道ではなく、畑を突っ切るように駆けている。

「これ、童、なぜ急ぐ。それに、今日の滑稽芝居はどうしたのじゃ」

 驚いたように立ち止まったのは、石をぶつけた坊主と気づいたからだろう。

「どうしたのだ。彦八は昼八つと言っていたが、なぜ皆姿を現さぬ。肝心の彦八はどうした」

「阿呆、それどころちゃうわ。また石ぶつけられたいんか」

 さらに駆けようとしたので、「待て」と武士の頃のように一喝して足を止めさせた。

「うっさいなぁ。芝居どころちゃうねん」

「なんだ、何があったのだ」

「夜逃げや」

「え」

「里乃の家が、長崎屋が夜逃げしたんや。里乃の婆ちゃんとこにも、いっぱい人が押しかけてる」

 童が言い終わる前に、策伝は地を蹴っていた。

 怪我をした里乃を送り届けたので、屋敷の場所は分かっている。童を追い越して、必死に策伝は駆けた。

 

「あかんわ。逃げられた。蔵にも金目のもんはあらへん」

 目つきの悪い男たちが、屋敷の門から大勢吐き出されてきた。不機嫌そうに唾を吐き捨て、「糞ったれ、絶対捕まえてやるからな」と吠えている。

 その様子を、村人たちが遠巻きに眺めていた。

 策伝は、「もし」と声をかける。「米沢屋」と染め抜かれた法被を着た小太りの若者が、振り返った。

「一体、何の騒ぎです。どうされたのですか」

 問いかけると、かすかに糠の臭いがした。漬物でも商っているのだろうか。

「あぁ、夜逃げですわ。可哀想に。ここには、年端のいかん女子と婆さんが住んでたんやけどね。淀屋橋で商売してる両親と一緒に、消えたみたいですわ」

「拙僧も、この家の商いのことは聞いたことがあります。次の次の節句あたりが危ない、と耳にしました。どうして、こんなに早く」

 米沢屋の法被を着た男は、顔を歪めるようにして笑った。

「そんな噂が出たらお終いですわ。こわぁて、長崎屋さんと節句払いの取引はできひん。ただでさえ、今のご主人は遊び好きの商売下手って評判やったからね」

「つまり、借財で首が回らぬ相手に、現銀でものを仕入れろと」

「冷たいなんて、言わんといてや。うちは漬物屋やから、長崎屋さんとは取引なかったけどな。けど声かけられてたら、半金前払いでしか商売はせえへんはずやで」

 眉間が強張るのを、策伝は自覚した。

「坊さん、そんな顔せんとってや。情で商いしてたら、家族は守れん。噂を知ってなお、節句払いで取引したら、大坂中の笑いもんや。いや、逆にあっこも危ないから不利な節句払いを受けたと、ないこと言われる」

 最後の方は苦しげに説明する。

「自分だけならええけど、うちは出来損ないの弟を食わせなあかんのですわ。けど、あいつ仕事怠けて、どこに行ったんや。ここなら、おると思ったけど」

 半ばから愚痴になり、最後は独り言になった。「米沢屋」と書かれた法被が、屋敷から離れていく。

 再び前を向く。門から吐き出される人はもうおらず、静まり返っている。半月ほど前にくぐった門とは思えぬほど、長崎屋の隠居老婆の屋敷は、他人行儀に策伝の前に屹立していた。

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