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2016.01.23

第一章 難波村に彦八あり ~安楽庵策伝の悲願

(18)彦八の助言のおかげで笑話の才を得た策伝。里乃を笑わせて欲しいと再度頼まれる。

木下 昌輝

(18)彦八の助言のおかげで笑話の才を得た策伝。里乃を笑わせて欲しいと再度頼まれる。

上方落語の祖といわれ、笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八。その知られざる彦八の生涯を描いた注目作!! 毎週火・木・土の週3更新です。

 

第一章 難波村に彦八あり 〜安楽庵策伝の悲願

(三)

 抑揚をつけようとする己の声帯を、策伝は必死に押しとどめる。癖で大げさな表情をつくろうとする顔を、石のように固くした。奈良の大仏の顔を思い浮かべつつ、語調も淡々と続けていく。

『お前様は、これを“ザクロ”と言い、お主様はこれを“ジャクロ”と呼んで、互いに喧嘩しておるというのか』

 策伝は手に柘榴の身を持つ振りを控え目にして、台詞を読む。ジャクロが柘榴の別称であるのは、皆が知っている。

『おふたりとも間違っておる。本当の呼び方を、拙者が教えてしんぜよう』

 いつもならここで間を置くが、呼吸を止めずに何でもないことのように、いや、さもつまらないものを口にするようにして続けた。

『ニャクロと呼ぶのが正しい』

 何人かが音が聞こえるほど噴き出したので、思わず策伝は顔を向けてしまった。

「え、ごめん。もしかして、笑うとこちゃうかった」

 策伝に見つめられた丁稚が、周囲を見回している。半分ほどが、楽しげに笑っているではないか。丁稚と策伝は、同時に安堵の息を吐いた。笑ってもらえるとは思わなかったので、睨むように見てしまった。あれがなければ、もっと大きく受けたのではないか。

 さらに策伝は別の話をする。

 今度は、さっきよりももっと無表情で、少々無礼に思えるほどにした。

『通りがかった僧は感心して、こう訊いたのでございます。「見事なお葬式とお見受けしました。一体、どなたの祭礼でございますか」喪主の男は、皆が見ているので格好をつけて恭しくも、こう答えたのでござる』

 声の調子と間を全く変えずに、喪主の台詞を言った。

『お亡くなりになったのは、妹婿の舅です』

 先程の倍近くの人間が吹き出した。

 だけでなく、策伝が「妹婿の舅」と言い終わるや否や、「それ、自分の父親のことやんけ」と、予想もしない合いの手が聴衆から入り、さらに大きく笑いが広がった。

 

 聴衆が人垣を崩して去る頃、足下の編笠には銭が薄く積もっていた。他の辻芸人に比べれば少ないが、策伝にとってはいまだかつてない快挙である。

「策伝のおっちゃん、なかなか良かったやん」

 いつのまにか彦八が立っており、感心したように見つめている。

「ゆうた通りやろ。鰹節を小刀って誤摩化す坊さんの話なんか、おいらも思わず笑ってしもたわ」

 熱した石を抱いたかのように、策伝の体の芯が温かくなった。

「上手くいったのは、お主のおかげだ」

 正直に伝えると、鼻の下を掻いて、彦八は童らしく照れている。こうして見れば、年相応の子供にしか見えないのが、策伝には不思議だ。しかし、この少年が策伝には存在しないと思っていた、笑話の才を開いてくれた。

 ――どんな世界にも、才人という者はいるのだな。

 策伝は得度しているから、わかることがある。仏法の徒の中には、修行の年数に関係なく、教えられずとも悟りに近いものを体得している者がいた。空海や最澄といった偉人らも、かつてはそうだったと聞く。彦八には、彼らに通じる素養があるのではないか。何気なくさした指が、真理の中央を正確に捉えている。

 武道にしろ学問にしろ、学ばなければ切り開けぬ己とは、決定的に違うところだ。彦八は、師である初代安楽庵策伝をも超える器なのかもしれない。

「なあ、明日、難波村来てや」

 こちらの気も知らずに、彦八は瞳をまっすぐに向けた。

「里乃も傷治って、元気になってん。けど、相変わらず愛想笑いしかしてくれへんけど……。おいらの教えたやり方で、『真筆 醒睡笑』を披露してや」

 策伝の長い袖を、千切れんばかりに彦八は引っ張る。

 快諾するつもりが、「もう少しだけ待ってくれ」と答えていた。

 今日の芸を反芻する。中くらいの笑いがふたつに、小さめの笑いがよっつ、全く駄目だったのがふたつ。まだ、彦八に教えてもらったやり方に、策伝は慣れていない。笑いどころが近づくと、無意識のうちに抑揚をつけてしまう。聴衆に笑いどころを教えてしまい、全く受けなかった。

 もっと大きな笑いをとりたい、そんな欲望が湧き出ていた。己の未熟さの具体を悟った今、この欲求には抗い難い。

「難波村で『真筆』を披露するのは、もっと笑話を磨いてからにしたいのだ」

 今の己は、竹刀の握り方を教えてもらった剣術の弟子のようなものだ。童の頃、手のまめが潰れるほど竹刀を振ったように、もっと辻に立ち笑話を磨く。そうすれば、里乃も愛想でなく、本当に笑ってくれるはずだ。

「そ、そっか……せやな……。ぶっつけでしくじったら、あかんもんな」

 彦八は納得したのか何度も頷いたが、手はまだ未練がましく策伝の袖を握ったままだった。

 

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