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2016.01.21

第一章 難波村に彦八あり 〜安楽庵策伝の悲願

(17)下手くそ!! 笑話を披露する二代目策伝に、子供たちの容赦ない罵声が浴びせられる!!

木下 昌輝

(17)下手くそ!! 笑話を披露する二代目策伝に、子供たちの容赦ない罵声が浴びせられる!!

上方落語の祖といわれ、笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八。その知られざる彦八の生涯を描いた注目作!! 毎週火・木・土の週3更新です。


第一章 難波村に彦八あり 〜安楽庵策伝の悲願

(二)
 

 二代目安楽庵策伝は、己を不思議そうに見つめる何十という瞳にさらされていた。どれもつぶらで丸いのは、難波村の童たちだからだ。大人と違い澄んだ瞳は、なぜか己の無能な芸を映す鏡のように感じられて、背筋が寒くなる。

 二代目策伝は、難波村の彦八滑稽芝居の舞台に立ち、必死に笑話を披露していた。さりげなく視線を彷徨わせると、前列中央あたりに、白い稽古着に身を包んだ娘が、膝を抱くようにして座っている。顔はかろうじて正面に向けているが、視線は下に落ち、心ここにあらずという感じだ。

 焦るほど、策伝の話は空回りする。つまらぬ芸を聞かされて、ひそひそと声を交わらせていた童たちの無駄口が、どんどんと大きくなる。

 視界の隅に、頭を盛大に抱える彦八の姿が目についた。口を鯉のように何度も開け閉めして、何事かを指示しようとしているが、焦る策伝には何を言っているかわからない。

 ――負けてなるものか。

 笑いどころがきたので、大げさなほど身振り手振りを激しくして口調を強めるが、誰も見向きもしない。どころか、童たちのおしゃべりの声は、どんどんと大きくなる。負けじと策伝も喉を震わせたが、童たちの無駄口はさらに激しくなるだけだった。

 落ちが近いので、たっぷりと思わせぶりな間をとっていると、こめかみに衝撃が走った。続いて、眉間にも何かが当たる。地に落ちた丸い石を見ても、二代目策伝は何が起こったか理解できない。

「引っ込め、下手くそ」

「そうじゃ、全然、おもんないんじゃ」

 轟いた罵声に、石を投げつけられたことを悟った。

「ま、待て、次はとっておきのものをやる」

 石がふたつ飛んできて、あわてて策伝は避ける。

「さっきから、取っておきって言うときながら、全然笑えへんやんけ」

「見料の二十文、返さんかい」

 さらに四方八方から石が飛んできた。

「みんな、やめえ。石投げるな。見料は返すから」

 止めに入る彦八に構わず、石は霰のように降り注ぐ。

「やめなさい」

 凛とした声が響いて、両手で守っていた顔を策伝は思わず上げる。

 里乃が立ち上がり、叫んでいた。

「お坊さんに、乱暴したらあかんやろ。うちの言うこときけへんのか」

 近くにいる童たちは、石を持つ手を頭の上で止めた。しかし、遠くの子供たちには制止はきかない。一番外側の子が大きな石を振り上げているのを見て、里乃は「こら」と口にしつつ、童たちをかきわける。

「危ない」

 二代目策伝が叫んだ時、最後列の童が投げた石が、娘と交差するところだった。

 鈍い音が策伝の耳に届いた。里乃の膝が折れて、上体が前に倒れる。

「小僧ども、石を投げるな」

 策伝の一喝に、童たちの体が金縛りにあったように固まる。

 駆ける彦八の姿が見えた。うずくまる里乃にしがみつくように「大丈夫か」と叫ぶ。

 娘は右のこめかみを両手で押さえ、きつく目を瞑っている。遅れて策伝が駆け寄った時、指の隙間から、赤いものが線を引くように流れ落ちた。

 

 何度何度も頭を下げて、里乃の祖母が住む難波村の屋敷を出ると、走る彦八の姿が目に飛び込んできた。

「なあ、里乃は大丈夫なん」

 袈裟を握りしめて、真っ直ぐに二代目策伝を見つめた。彦八の瞳が、内臓を捩じらせるかのような痛みを与える。

「ああ、少し休めば、じきによくなるそうだ。ただ、こめかみに傷は残ってしまうそうだ」

「傷って、どのくらいの」

「大きくはない。生え際だから、きっと遠目ではわからないぐらいだ」

 なぜか言い訳するような口調になっており、策伝は激しく己を嫌悪した。

「すまぬ、儂がいながら、こんなことになって」

 何度目かわからぬほど下げた頭を、再び深く沈める。

 袈裟を掴んでいた彦八の手が離れた。

「なあ、なんで『真筆 醒睡笑』をやらへんかったん」

 ゆっくりと戻ろうとした頭が、止まる。

「今日、やったんは、前に見たんと同じやん。あんなんで、里乃が笑うわけないやん」

「すまぬ」

 彦八が策伝の懐を鋭く指さす。襟の隙間から、『真筆 醒睡笑』が覗いていた。

「おいら、『真筆 醒睡笑』をやると思ったから、舞台に立たせたんやで。なんで、やらへんかったん」

 策伝の唇は、縫い付けられたかのように閉じたままだ。

「なあ、なんでなん。『真筆』やってくれたら、今日の舞台はあんな無茶苦茶にならへんかったんちゃうん。里乃が怪我することも、なかったんちゃうん」

 打擲する礫よりも激しく、彦八の言葉は策伝の臓腑を痛めつける。

「これは、儂にはまだ荷が重い。もし、これで笑いがとれねば、師の名に消えぬ穢れをつけることになる」

 策伝の弁解に、彦八は険しい視線を返した。

「ふん、かっこええこと言うて。それ、ほんまは偽物ちゃうんか」

「なに」

「偽物やから、今日の舞台でやらんかったんやろ」

「違う。断じて、そんなことはない。これは師が身罷る間際に、儂に託してくれたものだ」

 彦八の片側の顔が、童らしくない嘲りで歪んだ。思わず策伝の片足が後ずさる。

「ふん、言うだけやったら、お代はいらんわ。大方、偽物は『真筆』だけちゃうやろ」

「どういうことだ」

「あんた、安楽庵策伝の二代目ゆうのも嘘ちゃうんか。策伝の名前で、金儲けしたいだけのいかさま師やろ」

 気づけば拳を頭上に振り上げていた。

 目の前には、小さな体の彦八がいる。驚愕に開く口とは対照的に、目はきつく瞑っていた。柔らかい顔を、華奢な両腕で必死に守ろうとしているではないか。

 すんでのところで、策伝は己の拳を虚空で止めた。

 肩で大きく息をする。そうしなければ、また激情に五体を支配されそうだった。

 彦八はゆっくりと瞼を上げて、顔の前にあった腕を伸ばし、指を策伝に突きつけた。

「ふん、図星やから拳振り上げたんやろ。もう、ええわ。里乃はおいらが笑かす。とっとと、いね。偽者は、二度と難波村に足踏み入れんといてくれるか」

 彦八の全身が、策伝を拒絶していた。

 言い訳はおろか、謝罪の声さえかけるなと、意志が伝わってくる。

 策伝は背を向けた。走ろうとする足をかろうじて制止したのは、ちっぽけな自尊心のせいだ。

「何が、二代目安楽庵策伝じゃ。この大噓つきが。人笑わせんと怪我させてたら、世話ないわ」

 背を打つ彦八の声が、二代目安楽庵策伝の足を速める。

 道頓堀の芝居小屋が近づき、喧騒が聞こえてきた。徐々に大きくなる。

 村はずれに柿の木があったので、足を止めた。

 一際盛大な喝采が、策伝を襲ったのだ。

 肌を震えさせるような大歓声を、拳を強く握りしめてやり過ごす。奥歯が鳴るほどに、食いしばった。

 柿の木の樹皮の陰影が、誰かの顔に見えた瞬間、策伝は思い切り拳で殴りつける。枝が揺れ、葉擦れの音が落ちてきた。

 骨が軋み、痛みが腕から肩、首と這い上がるが、構わずに殴り続ける。左右の拳を潰さんばかりに、腕を振るった。

 刺客を装い斬りつけた友の顔が浮かんだ。

 ――己は鉱山を守りたいとは思わん。

 ――ただ故郷の山と河を失いたくないだけだ。

 拳を貫く痛みは、さらに強くなる。礫を浴びて狼狽える彦八の小さな体が浮かび、さらにこめかみに掌を当てて蹲る少女が現れた時、膝が崩れた。

 無様に顔が幹に当たる。鼻の奥から鉄の匂いがこみ上げた。

「なにが、二代目策伝だ」

 木に抱きついた。

「なにが、『真筆 醒睡笑』だ」

 友も救えず、彦八の期待も裏切り、娘に無用な傷を負わせた己に、何の価値がある。

 樹皮に顔をめり込ませるように、両腕に全力をこめた。目と鼻からしたたるものが、唇の端で混じりあう。

「大人のくせに、何してんねん」

 背後から降ってきた声に、腕の力を弱めた。

「ほんまに、けったいな坊さんやな」

 ゆっくりと振り向くと、そこに小僧が立っていた。両側の鬢が盛大に跳ねている。

「彦八、すまぬ」

「もう、ええよ。策伝の名ぁは怪しいけど、笑いが好きなんは、ほんまそうやし。それに、木に抱きついてる今の格好は、結構笑えたで」

「はははは」と、だらしなく笑って、策伝は木に摑まる腕の力を完全に抜いた。

 

「そもそもな、策伝のおっちゃんは、勘違いしてるねん」

 策伝は木の根元に、彦八と尻を並べていた。

「笑かす時、できるだけ抑揚をつけて、間をとって言おうとしてるやろ」

 彦八の指摘に、策伝は素直に頷く。そうしないと、笑いどころを聞き逃されてしまうと心配だからだ。

「声だけではないぞ。できるだけ表情も豊かに、仕草も面白可笑しく……」

「それがちゃうねんて」

 彦八が小さな頭を抱えた。

「笑いは剣術と一緒やねん。面を打つ時、『今から面打ちまっせ』って言わんやろ。おっちゃんがやってることは、それと同じやねん。今から面白いこと言いますって、体全部使って、白状してもうてるねん。それじゃ、誰も笑わへん」

 剣に喩えられると、腑に落ちた。

 面を打つふりをして、小手。小手を斬るふりをして胴。胴を薙ぐふりをして、面。相手の虚をつくのが、武道だ。

「じゃあ、どうすればいいのだ。まさか、つまらなそうにしろというのか」

「そう、ようわかってるやん」

 策伝は、彦八を見つめる。嘘を言っているようにも、からかっているようにも見えない。

「あんなぁ、楽しそうな雰囲気出して笑かすのって、実はめっちゃ難しいんやで。笑いの基本は、一本調子にしゃべることや。できるだけ抑揚なくして、顔も無表情にすんねん」

 眉に唾を塗りつけたくなったが、我慢する。

「あと、話の間合いも変にためたらあかん。これも、前振りと同じ調子でしゃべらんと。焦るでなく、ゆっくりでなく、一本調子でええねん」

 ふと、思い出すことがあった。師である初代安楽庵策伝の姿だ。なんでもない普通の顔で呟いた師の言葉に、何度も笑わされたことがある。

 彦八の言っていることと、師のやっていたことが割符のように一致した。

「なあ、いっぺん、おいらの言うやり方で笑話をやってみぃや」

 彦八の目は策伝の顔ではなく、襟の間から覗く『真筆 醒睡笑』を見ていた。

「それで『真筆』の方をやったら、絶対受けるんとちゃうの。里乃も笑ってくれるかもしれんで」

 

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