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2016.01.19

第一章 難波村に彦八あり ~安楽庵策伝の悲願

(16)少年彦八の願いを引き受けた二代目策伝。しかし、その前に謎の刺客が現れて―。

木下 昌輝

(16)少年彦八の願いを引き受けた二代目策伝。しかし、その前に謎の刺客が現れて―。

上方落語の祖といわれ、笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八。その知られざる彦八の生涯を描いた注目作!! 毎週火・木・土の週3更新です。

 

第一章 難波村に彦八あり  〜安楽庵策伝の悲願

(一) 


 二代目安楽庵策伝は、夕焼けに染まる大坂の道を歩いていた。あの彦八という少年と同じ十二歳の頃、師である初代安楽庵策伝のもとを訪れた。あの頃は、大坂全体が童のように未熟だった。道頓堀にある芝居小屋には、若衆歌舞伎などの淫靡なものも多かった。が、今は違う。新しくできた多くの橋、血管のように張り巡らされた水路を中心に、町が青年へと成長している。

 残念なのは、と大坂城の石垣を見る。

 かつてあった天守閣が、今はないことだ。

 大坂の城と、在りし日の師の姿を思いつつ、佇む。

 ――師よ、拙僧はひとりの童に会いました。

 幻に語りかける。

 難波村に住む彦八という少年、そして幼馴染の里乃という娘の境遇。二代目策伝は明日、娘を笑わせることを彦八と約束し別れた。

 ――師の成せなかったことを、必ずややり遂げてみせます。

 拳を強く握りしめた時、背後で草鞋が土を噛む音がした。

 無意識のうちに、策伝の体は沈みこんでいる。振り向くより前に、視界の隅に赤いものが映る。夕陽を浴びて輝く太刀だった。

 黒覆面の男が、抜き身を振りかぶり、密かな気合いとともに二代目安楽庵策伝を害さんとしていた。

 赤く波打つ波紋が、策伝に襲いかかる。

 武器はない。手には杖しか持っていないが、構わずに捨てた。覆面の隙間から見える刺客の目が歪んだ。

 振り下ろされる太刀を恐れず、一気に間合いを詰める。

 呻き声が策伝の耳朶を撫でた。

 覆面の男の両腕が、途中で制止している。刺客の両肘を、策伝の手が掴んでいるのだ。

 相手の手を振りほどく“手ほどき”が、日ノ本のあらゆる武道の基本ならば、手を振りほどかれぬことは、武道の奥義に相当する。刺客のもがく腕を、二代目策伝は完全に制していた。

「いぃやあっ」

 気合いと共に策伝は体を回転させ、足を払う。相手の体を地面に叩き付けた衝撃が手に響くと、素早く肘関節を極めて、太刀を奪い取った。

「ま、参った」

 寝転ぶ刺客の放った声を聞き、二代目策伝は「どういうつもりだ」と問いかける。刺客は上体を起こし、覆面を剥ぎ取った。

「さすが、飛騨高山の麒麟児。腕は落ちておらんな」

 襲ってきたのは、安楽庵策伝のよく知る男だった。共に飛騨高山の金森藩に仕えた朋輩である。

 名を、森四郎右衛門と言う。

「四郎よ、何用で大坂に来た」

 太刀を渡しつつ訊くと、「言わねばわからぬほど、お主は鈍なのか」と逆に訊ねられた。策伝は、不機嫌な表情をあえて隠さない。

「もし、わが太刀に不覚を取るなら、お主を飛騨高山に連れ戻すのは諦めてやろうと思っていたが、どうして、どうして」

 関節を極められた腕をさすっているが、森四郎右衛門の顔は、晴れ晴れとしていた。

「三年前より、鋭くなったのではないか」

 かつて虎丸と呼ばれていた二代目策伝は、師の死後、飛騨高山に戻り、家を継いだ。田島藤五郎と名乗り、鉱山を狙う幕閣の執拗な陰謀や暗躍するお庭番(忍者)と戦い、金森家を必死に守ってきた。

 藩を存続させるためには、このまま田島藤五郎として生き続け、二代目安楽庵策伝の名を死蔵させることも覚悟していた。だが、三年前に飛騨高山で起こった鉱山騒動と呼ばれる事件が、藤五郎の人生を狂わせる。

 金山奉行である茂住平左衛門が、主君の手によって成敗されたのだ。茂住平左衛門が、金山の富を着服していると藩主が疑心暗鬼にかられたせいだ。もし、幕府の刺客によって茂住平左衛門が殺されたなら、藤五郎は藩を守るために、それまで以上に働いたはずだ。しかし、醜い内輪もめの末の粛清劇に、藤五郎は激しく失望した。

 蟄居し、頭を丸め旅に出て、今は二代目安楽庵策伝と名乗り大坂にいる。

「藤五郎、わが藩が危急存亡の秋(とき)にあるのは知っておろう。飛騨の麒麟児が隠居したと知り、公儀は多くのお庭番を放ち、小細工をしてきおる。幕閣どもも無理難題を次々と持ちかけて、失策を虎視眈々と窺がっておる」

 森四郎右衛門の顔には、投げ飛ばされた時の何倍もの悔しさが滲んでいた。

「お主がいれば、理と論で幕閣を封じられる。無法をするお庭番どもも、お主の武があれば容易に動けぬはずだ」

 森四郎右衛門は、袖をまくり上げた。思わず策伝は見入る。二の腕に、深い刀傷が刻まれていた。

「お庭番にやられたのか」

「多分な。残念ながら尻尾を掴ませてくれぬから、斬られ損よ」

 森四郎右衛門は、地面を強く叩いた。その様子を見て、策伝の胸に苦いものが溜まる。己が逐電しなければ、朋輩は深手を負わずにすんだかもしれないのだ。

 すまぬ、という言葉は飲み込んだが、森四郎右衛門は二代目策伝の心中を汲みとったようだ。

「気にするな、と言いたいが、正直もう限界かもしれぬ」

 朋輩は無念そうに腕の傷をさすった。それほどまでに幕閣の陰謀は執拗なのかと、刃を向けられても感じなかった怖気が、策伝の背を這う。

「藤五郎、己は鉱山を守りたいとは思わん」

「どういうことだ」

「儂はな、ただ故郷の山と河を失いたくないだけだ。このままでは、高山藩は取り潰されてしまう」

 その言葉は、二代目策伝の肺腑を貫くのに十分な鋭さを持っていた。森四郎右衛門とは、幼き頃、天狗を探すといって山河を駆け回った仲だ。故郷の草や土の匂いが鼻腔の奥で蘇り、強固だった意志が揺らぎそうになる。

「藤五郎、悪いがお主の笑話を聞かせてもらった」

 思わず、策伝の体が強張った。

「己に多くは言わせるな。頼むから飛騨高山に……」

「すまぬ」

「嘲りを受けるのが、貴様の成したかったことか」

 負わされていた荷の重みを、思い出させるかのような言葉だった。

「老中さえも認める知恵者のお主が、なぜ理解できんのじゃ。いや、才がないと知りつつ、なぜ辻に立ち嘲りを受ける」

「儂は……、笑いで、人々の苦しみを和らげたいのじゃ」

 笑話の才がないのは、虎丸という名の頃から承知していた。ただ、師の成せなかったことをしたい。そうすることで、初めて恩を返せるのではないか。

「戻らぬ、とは答えぬ。ただ、今しばし、猶予をくれ」

 二代目安楽庵策伝は、朋輩に背を向けた。彦八の話を聞いた今、第一に救うべきは飛騨高山藩ではない。

 師ならば、どうしたか。そう考えると、答えはすぐに出た。

 間違いなく、彦八と娘のために動いたはずだ。

「頼む、今しばし猶予をくれ」

 嗄れた声は、自身の耳でも聞き取り難いほどだった。 

 

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