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2016.01.16

第一章 難波村に彦八あり  ~彦八と里乃

(15) 二代目策伝の元へ向かった彦八。しかし、その笑いはどうしようもないものだった。

木下 昌輝

(15) 二代目策伝の元へ向かった彦八。しかし、その笑いはどうしようもないものだった。

上方落語の祖といわれ、笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八。その知られざる彦八の生涯を描いた注目作!! 毎週火・木・土の週3更新です。

第一章 難波村に彦八あり 〜彦八と里乃
 

(十一)

 堂島の辻に立っていたのは、長身の僧侶だった。袈裟の上からもわかる、引き締まった体躯と長い手足を持っている。歳の頃は、四十になったかならぬか。老いよりも、鍛錬で保った精悍さを感じさせる。彫の深い顔立ちに、茶色がかった瞳はまるで役者のようだ。

 足下には書見台があり、看板がわりだろうか一冊の書物が置かれている。

『真筆 醒睡笑』

 飛び込んで来た文字に、幼い彦八の血も滾った。走って汗ばんだ体が、さらに火照る。

「おい、あれ、安楽庵策伝の二代目やて。何でも笑話を披露するらしいで」

「ほんまか。けど、説法の合間に笑話をやるんやろ」

「ちゃうちゃう。説法はないらしいわ。笑話だけやて」

 彦八は、声の方へ振り向いた。商家にいた大人たちが、周囲の人間を呼んでいる。

「笑話だけてか。そんな辻芸、初めてやで」

「太閤さんを抱腹絶倒させた話芸を聞けるんか。これは新しいかもな」

「せや、大名気分を味わえるってことやで。考えてみれば、お伽衆の話聞く機会なんかあれへんしな」

 巣穴から這い出る蟻のように、次々と人が集まってくる。彦八は素早く走り、人垣の最前列に陣取った。

 囲んだ聴衆を見て、二代目安楽庵策伝はゆっくりと頭を下げた。堂々たる所作に、人々から感心の声が沸き起こる。

「さすが、天下一のお伽衆と呼ばれた人の弟子やで。ちゃうなぁ」

 群衆のひとりの感想に、みなが「ほんまや」と声を揃えた。

「では、先代安楽庵策伝の名に恥じぬよう、これより皆様に精一杯笑話を披露したいと想いまする」

 はりのある声に、囲む女たちが頬を赤らめている。「あの茶色い瞳がたまらんわあ」と、甘い声で囁く。

 彦八も同様に、「たまらん」と思った。

 喝采のなか、二代目安楽庵策伝の笑話が始まる。

 

『あるところに、百姓がおり、せっせと自分の畑を耕しておる時のことでございました』

 笑話が始まるや否や、彦八は猛烈な違和感に襲われた。目を輝かせていた群衆の顔にも、戸惑いの色が表れる。

『やっと鍬仕事も終わり、耕した畑に種をまいておりました。そこへ、隣村の百姓が通りがかり、こう訊ねたのでござる』

 二代目安楽庵策伝は、端整な顔を卑屈に歪めて笑みをつくっていた。きっと柔らかい雰囲気を醸そうとしているのだろうが、意図が露骨で鼻白んでしまう。

 彦八の皮膚はまだ汗ばんだままだったが、体の火照りは完全に消えてしまった。そんな彦八ら観衆に気づかぬのか、安楽庵策伝はしゃべり続ける。

『これ、お主、何の種をまいておるじゃ』

 時折、武家訛りが混じるのも興ざめである。全然、百姓らしくない。何より、この二代目策伝、皆の反応を横目でしつこいくらいに窺っているので、聞いている方は気になって仕方がない。

『種をまいていた百姓は手招きをして、「これ、声が大きいでござる。もっと小さな声で言うのじゃ」と、窘めたのでござる』

 皆がざわつきはじめ、視線をせわしなく交わらせている。

『隣村の百姓、さては唐伝来の珍しい野菜の種でもまいておるに相違ないと思い、近くまで静かに寄り、小声で訊ねんとしたのでござる』

 あちゃあ、と彦八は手で顔を覆った。

 急に大きくなった声と無理矢理な抑揚から、笑いどころが近いことがばれてしまっている。これでは、どんなに面白いことを言っても、笑いを取るのは不可能だ。

『隣村の百姓、そろりそろりと近くに寄ると、声を小さくして何の種かを教えてもらったのでござる』

 今から面白いこと喋りますから、笑う準備をしておいて下さいね、と顔の表情が言っている。二代目策伝の顔立ちが端整なだけに、そういう意図が表に出ると、余計に下品になる。

『大豆の種をまいておるのじゃ。よって声を低くせよ。鳩に聞かれたら、どうする』

「は、ははは……は」と、微妙な笑い声が薄く起こり、すぐに消えた。

 嫌な沈黙が流れる。

 崖が崩落するように、人垣の後ろの方から急激に人が去っていくのが見えた。その様子に焦った策伝が、「鳩が人の言葉を解せると思うておる、百姓の可笑しい話でござる」と、笑話の説明をしだした。

 嘲りの笑いが起こり、二代目策伝の顔に脂汗がいくつも浮く。

 彦八は、がっくりと項垂れた。

 笑話の内容は悪くないが、喋りが駄目だ。あれではどんな話をしても、客は笑えない。

 二代目策伝は慌てて次の話を披露するが、さらに場の空気は冷めて、客が次々と去る。

 まるで風に飛ばされる洗濯もんやなぁ、と彦八はその様子を眺める。

 ――このおっさんはあかん。人、笑かす呼吸がわかってない。

 腰を上げようとしたら、風が頬を撫でた。視界の隅に、『真筆 醒睡笑』があった。表紙が、ゆらゆらと揺れている。

 ――けど、喋りが下手糞なだけで、内容は悪くないねんなぁ。ちゅうことは……。

 僧の足下にある書物を睨んだ。

 ――あの『真筆 醒睡笑』は、本物ということや。

 強めの風が吹いて、書物の中身が見えそうになった。

 ――何が書いてあるんやろう。

 手をついて、顔を『真筆 醒睡笑』と同じ高さに下げる。目を細める。やっぱり見えない。

 どないしょう、と途方に暮れた時、里乃の顔が思い浮かんだ。口を開けて大きく笑っているのに、頭の中に浮かぶ像がぼやけている。目を糸のようにして喉ちんこを露わにする快笑を、彦八は上手く思い出せない。

 彦八はゆっくりと近づいた。

 よし、と呟いて、そっと手を伸ばす。

『真筆 醒睡笑』の頁が揺れている。

 ――見るだけや。里乃が笑ってくれる芸を思いつく、きっかけを探すだけや。

 指が書物の端に触れようとした時、手首に恐ろしい圧を感じた。皮膚が千切れ、骨が折れるかと思うほどの力だ。

 大きな掌が、彦八の手首を握り締めていた。慌てて顔を上げると、二代目策伝の腕がこちらに伸びている。

「小僧、どういう了見だ」

 凛とした声は、笑話を披露する時と違い、威厳に満ちていた。強い光を帯びた茶色い瞳で、睨まれる。

「ちゃ、ちゃう。盗ろうとしたんやないんです。少し中を覗こうとしたんや」

「問答無用」

 二代目安楽庵策伝の一喝が聞こえた時、彦八の体は宙に浮いていた。

 なぜか足下に青い空があり、頭上に赤茶けた大地がある。

 いつ投げられたのだ、と思った刹那、景色が瀑布のように激しく流れた。頭上の大地が迫ってくる。

 目を瞑り、歯を食いしばる。骨を砕くような衝撃がくる……かと思ったが違った。

 尻と両脚が、優しく地面に当たった。

 瞼を開けると、彦八の帯に二代目策伝の握る手があり、激突の直前に手加減してくれたことを悟る。

「痴れ者め。どうせ、『真筆 醒睡笑』を盗んで、小銭に換えるつもりであったのだろう」

 武家訛りの口調に、彦八の小さな頭は熱い血で一杯になった。

 跳ねるように起き上がり、「ちゃうわっ」と吠える。

「勝手に見ようとしたんは、謝る。けど、盗もうとした訳や決してない」

「噓をつけ。見てどうするつもりだった。見るだけでは、一銭にもならぬではないか」

 腕を組んで見下ろされた。その迫力に、彦八はたじろぐ。笑話の時とは、雰囲気が一変していた。

「どうした。言ってみろ。『真筆 醒睡笑』を見て、いかにするつもりであった」

 茶色がかった瞳に睨まれて、彦八の身がすくんだ。

「言えぬなら、番所に突き出すまでだ。少々かわいそうだが、お灸を据えねば、ろくな大人に育たん」

 彦八の首根っこに腕が伸びた時、「笑わせたい子がおるねん」と思わず叫んでいた。見える壁に当たったかのように、二代目策伝の手が虚空で制止する。

「どういうことだ」

 彦八は、震える唇を必死に動かした。里乃のこと、その父の商売と莫大な借財、そして笑わなくなった里乃。いつのまにか、二代目安楽庵策伝は両膝をついて背を丸め、彦八の話に耳を傾けていた。先程までの乾いた石のような瞳は、柔らかくなっている。

 逞しい掌が彦八の両肩に置かれた。

「彦八とやら、つまりお主は、その里乃と申す娘を、笑いで救ってやりたいのじゃな」

『救う』というほど、大げさなことかわからなかったが、慌てて彦八は頷く。

「よう言ってくれた。苦しみを笑いで和らげる。これこそが、我が師・初代安楽庵策伝和尚の悲願でもあった」

 茶色い瞳は、潤いさえ帯びつつあった。

 ――この坊さん、大人のくせに泣くん。

 彦八は不思議な生き物を見る思いで、二代目安楽庵策伝の前に立ち尽くすのだった。

 

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