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2016.01.12

第一章 難波村に彦八あり  ~彦八と里乃

(13)里乃の様子がおかしい。兄に相談すると、里乃の実家の家業が危ないと聞かされる。

木下 昌輝

(13)里乃の様子がおかしい。兄に相談すると、里乃の実家の家業が危ないと聞かされる。

上方落語の祖といわれ、笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八。その知られざる彦八の生涯を描いた注目作!! 毎週火・木・土の週3更新です。

 

第一章 難波村に彦八あり 〜彦八と里乃

(九)
 

 彦八の家は、米沢屋という漬物屋を営んでいる。その米沢屋の軒先には、大根が隙間なく並んでいた。大坂の大根は江戸と違い、丸くて短い。奇妙なのは、どれも歪んでいることだった。地面に落とした粘土のような形をしている。

 米沢屋は、農家から形の悪い野菜を大量に仕入れているのだ。

 難波村は、野菜の産地として名高い。農家から形は悪いが質のいい野菜を安く仕入れて漬け込み、大坂三郷や堺、天王寺などにある料理屋や料亭に売るのだ。農家には売れない野菜を買い取ってくれると喜ばれ、料理屋には味のいい漬物だと評判は上々だ。地味ながらも、堅実な商いを五代に亘って営んできた。

 軒先の不揃いな大根に見守られつつ、両手に大きな石を抱えた彦八がいる。石を漬物樽の上に置こうとする。すでに何個かの石が積まれており、その上にそっと載せる。が、しばらくもしないうちに石の山は傾きだし、樽の上から崩れ落ちてしまった。

「お前、何やってんねん」

 兄が、呆れた声を出した。小太りの体を折り曲げて、ばらまかれた石を拾う。

「儂がお前くらいの時は、もっと上手くでけたけどな」

 慣れた手つきで、兄は樽の上に石を並べ始める。時折、向きを調整しつつ、組み上げるように置く。重さが偏らぬように万遍なく配置しつつ、山をつくる。

 どんなに均等に重しをかけても、野菜の繊維の強弱で傾いてくる。その時、山の頂上の石が落ちて、荷重の歪みを教えてくれるのだ。地味ながら経験の必要な仕事だ。

「言うまでもないけど、殺した(塩漬けした)野菜を漬物として活かすんは、石の積み方次第やねんぞ」

 聞き飽きた言葉で彦八を説教しつつも、兄は手を止めない。

「さっきからお前、なにを惚けてるねん。いつもは下手なりに、もうちょい上手くやるやろ」

 崩れた山を整え終えて、兄はまた自分の仕事に戻ろうとした。半分ほど野菜が敷き詰められた樽に向かい、塩を手に取る。

「なあ、兄ちゃん、里乃の様子がおかしいねん。病気かな」

 塩を持つ手を止めて、兄が目だけを向けた。

「長崎屋の里乃お嬢様のことか」

 彦八は頷く。里乃は、彦八の滑稽芝居で笑わなくなったままだ。沈んだ目で見当違いの方を見て、大爆笑が起こると慌てて愛想笑いを浮かべ、誤摩化している。

「あれやろ、大人の女の人は色々と難しいねやろ。そやから、里乃も元気ないんかな」

「女のこと何も知らんくせに、ませたこと言うな。あれは、きっとそういう類いのこっちゃない。あっ、しもた」

 多すぎる塩を振りまいてしまったので、兄は大げさに顔を顰めた。

「兄貴、知ってんの」

「まあな。うちはでけた漬物を、料理屋の裏口から届けるやろ。女中や料理人から、色んな噂が聞こえてくるねん」

 入れ過ぎた塩を掬い出しながら、兄が言う。里乃の父は、祖父の代からの米商いでは物足りないと、野菜や魚市場にも手を出したという。市場のある天満や雑喉場町(現在の阿波座)に、大きな店を出したのだ。

「もともと、今の長崎屋の旦那は、家継ぐ前に『死一倍』の借財があったんや」

『死一倍』とは、商家の後継に対する高利貸しである。放蕩息子に金を貸し、その父親が死んで家を継いでから返済する仕組みになっており、かなりの暴利で有名だ。

「若い時の借財を、返さなあかんと思ったんやろな。米商いもとんとんの商才やのに、でっかい借財こしらえて、新しい商売始めてもうたんや。本人は岡田心斎や先代を気取ったかもしれんけどな」

 岡田心斎や里乃の祖父は、全財産を兵糧や玉薬に替え、東軍に無償で売り、破産覚悟の博打で利権を手にした。

「先代の博打好きの悪いところを受け継いで、ええとこはなあんも学ばんかったって、料亭や遊郭の厨では陰口叩かれてはるわ」

 塩まみれの手で兄が頬を大きく打ったのは、当主の己を戒めるためだろうか。

「次の節句は凌ぐやろうけど、その次は危ないって噂やな」

 大坂では一年をみっつの節句に区切って、まとめて支払いをする。

「じゃ、じゃあ、次の次の節句が来たら、里乃はどうなんの」

 身代を潰した商人の行く末は、彦八もよく知っている。皆、夜逃げして大坂から消えた。たまに河原で物乞いをしていると、消息が聞こえてくることもある。親子が体に筵を巻きつけて寒風の下で震えていた、と村人は好奇と怖気が相半ばした顔で教えてくれた。

 彦八の視線を避けるように、兄は漬物樽の中の野菜に手をやり始めた。

「お前はそんなこと心配すな。大人たちが、あんじょうやるはずや。せやから、今は野菜を美味ゅう漬けることにだけ、集中せえ」

「ほんまに大丈夫なん。里乃の家は……」

「大丈夫や。せやから、さっさと石のっけてまえ」

 兄の顔はいつも以上に真剣で、これ以上は何も聞くなと言っているかのようだった。


 

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