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2000.12.01

第一章 (承前)

中原 昌也

第一章 (承前)

 竹壁は国道139号をローバー114SLiで走っていた。
 快晴だった。車は富士の青木ヶ原樹海を目指していた。道は混むこともなく順調に流れていた。
 しかし単調になる運転が竹壁に疲労を感じさせていた。青森で一泊し浅い眠りのままで、早朝一人、東京に戻った。その足で休むことなく山梨を目指しているのだ。頭が鉛のように重い。
 若くはない、無理はきかなくなっている。竹壁はこの秋で30になるのだ。
 彼はぼんやりと昨夜の夢を思い返した。はっきりしない暗い陰鬱な悪夢であった。

 竹壁はだれもいない祭りの境内にいた。ああ、祭りが終わったんだな、と夢の中で考えていた。
 石畳の上には血痕が残っていた。先ほど救急車で運ばれた裸男の陰部から流血したものだ。
 そう思ったとき。人影が目に映った。少女が膝を屈めて座りながら血痕を眺めているのだ。
 こんなところに赤い唇の少女はいたんだ。おれを待っていたんだ。そう夢の中で合点がついた。
 しかし、いくら少女に近づこうとも、少女の顔ははっきりしない。おかしい……。
 何やら恐怖心が背中を駆けめぐる。だが少女の唇を見たい、という欲望は収まらなかった。
 このアンビバレンツな気持ちを確認した時に竹壁は気づいた。 これは夢だ。
 少女の素顔を見てはいけないという気持ちと、少女の唇を見たいという欲望の狭間で竹壁は引き裂かれた。
 どうせ、夢なのだから好き勝手ができるのではないか。少女の小さなふっくらとした唇をこじあけ、自身の猛々しくそそり立っているペニスをくわえてもらうのだ。竹壁は夢の中で欲情している自分を感じた。
 しかしそれと同時に少女の後ろにそびえる黒く動くものを見つけていた。あの黒く大きな雲のようなものは、おれの潜在的な恐怖心だ。この黒く大きな雲はおれの無力感だ。そう思うやいなや、少女の後ろにあった大きな雲はざわざわとざわめきながら、空を覆うかのように広がっていく……。
 竹壁は恐怖していた。夢の中で眼が大きく見開かれるのがわかった。早く少女を連れ去らないと、これからたいへんなことが起こるに違いない。竹壁は少女のもとに近づこうとする、だがなかなか近づけない、そして黒く大きな雲は空いっぱいに広がっていく。
 竹壁は走りながら自分を責め立てていた。この黒い雲はおれの罪の象徴だ。すべてを先送りにばかりしていたおれの怠惰の象徴だ。この黒い雲に捕まるということはついに観念しなければならい時がきたということだ。罪をつぐなうべき時がきたのだろう。諦めきれぬ心が、いやだと叫んだ。叫びながら少女の腕をとった。
 案の定、少女の顔は栗林の顔に変わっていた。おれはこの子の唇しか覚えてないのだからしょうがない、と、竹壁は簡単に納得した。「でもこのことはオフレコね」栗林の顔の少女はそう言った。
 その瞬間、黒く大きな雲が収縮して形を造っていく、それは鉄屑と機械部品でできる生物のようなものへと変形していった。
 鉄と機械が寄り集まり、古い鉄錆と光るクロームメッキで全体が覆われ、ぬめぬめとした内蔵のように濡れている……何か異様な形を作りあげていった。
 屑鉄機械のオブジェ? 竹壁はそう認識した。
 夢の中で変形していった黒いものは、彼が想像してい内面の象徴ではなかった。
 おれはには内面がないからな。竹壁は納得した。
 しかしそれを知ったおれはこいつに殺されるのではないのか? 竹壁はオブジェを見上げそう考えた。
 そう思った瞬間、オブジェが竹壁を襲ってきた。

 悲鳴をあげて、目を覚ました。ビジネスホテルのベッドの中だった。カーテンからは明るい日差しがこぼれていた。ベッドに埋め込まれているデジタル時計は5時を過ぎていた。竹壁は少女の唇を必死で思い返してオナニーをした。それでも顔を見ようと栗林が頭に浮かびそうになり閉口した。ハイビスカスの浴衣のまま赤い唇でペニスをすする少女の姿で精気を放ってからシャワーを浴びた。

 国道から登山道の入り口を見つけた。登山道は明るく整備されていて広かった。
 他の車はなくなり、無人の車道を進んでいた。いまだ太陽は明るく、空は青々と広がっている。
 道の両脇にはカエデ類の緑の木々が覆い被さるようにして出迎えていた。自然に囲まれたハイキングコースだ。
 明るい光景の中で、竹壁は粘りつく汗を感じていた。
 おれは昨晩、夢の中で殺された。そしていまだ、夢と現実の狭間にいる……。
 竹壁は必要以上にハンドルを強く握りしめた。

 竹壁は車止めに停車した。
 窓ガラスを全開にすると、生暖かい夏の風が頬にぶつかってくる。竹壁は外気を一度深く吸い込む。車のエアコンは鉄を孕んだような冷たい空気を胸元に絶えず吹きつけている。なのにハンドルを持つ手は汗で湿っていた。
 煙草に火をつけた。黒いナイロン地のブリーフケースから、編集者遠藤から送られてきたファックス用紙を取り出した。ファックスを見つめた途端、彼の顔に驚きの表情が浮かんだ。
 手に持った用紙には、幼児の描いた宝の地図のように手書きで青木ヶ原が線描されていて、その中央に×印が記されているだけのものだった。
 ホテルのカウンターでファックスを受け取り、今の今まで見ることもせず、そのままにしてあったのだ。自分の不手際を呪うしかなかった。竹壁は頭に血が上ることを抑えつつ、遠藤に携帯で連絡を入れた。
 しかし、耳元で囁かれるのは無機質なNTTの相手先受信不能のアナウンスだけだった。
 竹壁は顔を伏せ、拳でハンドルを叩きつけた。クラクションが悲鳴をあげた。だれもいない明るい登山道いっぱいに悲鳴は響き渡った。竹壁の額からはいやな脂汗が滴る。クラクションを押し続けている拳の上に粒の汗が落ちた。
 竹壁は顔を上げる。その顔は青白く、血の気がなかった。
 彼はくわえ煙草のままシートに頭を預けた。目を見開き、そのまま動かなかった。煙草の灰がこぼれ落ちる。衣服の上を転がり落ちていく。
 竹壁がとるべき道は編集者に連絡をとって芸術家の住居の位置を確認することである。竹壁の頭もそれは了解していた。しかし体がぴくりとも動いてくれなかった。鬱の気だ。常識で考えれば答えはすぐに出る。しかし答えがわかっていても行動に移せない。近くの街に出、編集者に連絡をとり、善後策を講じる。簡単な答えだった。今日は富士の裾野で一泊してもいい。万全の策を備えてから出直せばいいのだ。それがセオリー。何も自殺の名所にわざわざ素手で向かっていく馬鹿はいないだろう。
 だが遠藤にその備えがあるとは思えない。竹壁はそう考える。どうせ思いつきで考えた企画だ。後先考えずに右から左へとプレスシートを渡して、記事ができあがると思っていやがる。今回の地図にしてもろくに見ているわけではないだろう。あいつはそういう男だ。彼の思考は編集者への鬱憤にロックされていた。遠藤に非難を向けても、口を尖らせて「じゃあやめようよ」と簡単に言うに決まっている。感情的になり「もともと乗り気な企画ではなかった、今は時間をかけて取材をしている暇なんかないんだよ」そう言われるのが落ちだ。「またいつか機会があったときにやればいいじゃない、慌ててやる必要はないよ」。竹壁は遠藤がぞんざいな口調でいくつもの企画を潰してきている現場を思い返していた。
 気分屋で自分の思い通りにならないとすぐに放り投げてしまう。そういう男なのだ。ここで引き返すということはこの取材を放棄することになる。竹壁は鬱の気の中で、体を動かせなくなっていた。頭の中がぐるぐる回り、身動きがとれなくなっていた。
 車のメーターの脇についている時計は秒針だけが動いていた。竹壁はその時計の針だけををうつろな目でいつまでも眺めていた。
 カーステレオのCDの差し出し口にラリーレバンのミックス・コンピレーションのアルバムを入れて、それが5曲目になった時、ようやく竹壁は資料に目を通すことができた。
 若き芸術家の名前は西館弘之……年齢は不詳……。出身も経歴となるものも全て記されていなかった。
 竹壁は胃袋から喉元へ胃液が逆流しそうになるのを感じた。
 2枚目の資料はまだ文字量が多かった。西館弘之はここ2、3年の間に、銀座の画廊で彫刻による個展を開き、注目を浴びるようになったと記されている。日比谷ユキ画廊。ここで3回個展を開いている。
 この画廊が画壇の中でどういう位置を占めているのか?
 どうせ画廊と子飼いの評論家が仕組み、どこの馬の骨ともわからぬ男をスターダムに送りこんで、互いにうまい汁を吸おうと企んでいる、そうに違いない、どこの世界にもある汚い話だ。竹壁は西館に嫉妬を感じ、暗い表情で想像の中だけでつくりあげた画壇の黒い構図に一人勝手に怒りを感じていた。この汚い話に引っかかり取り上げるメディアもメディアなら、それを記事にするおれもおれだ。
 その他のファックスで西館の作品のスチール写真が送られてきてはいたのだが、いずれも黒く潰れていた。 その黒みと竹壁の嫌な夢が被った。竹壁は苦笑した。
 最後の1枚は西館のポートフォリオ。潰れていた。
 だが、その1枚を見た瞬間、竹壁の顔に緊張が走った。
 ファックス用紙の西館は背景と混じり、顔の輪郭を認識できないでいた。しかし二つの部位、眼球だけは真っ白く抜かれていた。三白眼となった眼だけが、こちら側をはっきりと見据えていたのだ。
 その眼光は竹壁を射抜いた。竹壁の瞳孔が人の死に触れた人間のように開いていく。
 竹壁は頭に浮かんだ言葉をそのままつぶやいた。
「こいつは……只者ではない……そんな気がする……」
 西館の画像は異様であった。黒い亡霊として写っていた。
 これは偶然の産物だ。写真の写りが悪かったのだ。ファックスの調子が悪かったのだ。それでこのような不気味な存在として写しだされたのだ。
 しかしおれはこの男に会ってみたい。
 行く先を見失い不安の中にいた竹壁にとって、亡霊が何かを示唆させた。
 つい今までくさしていた芸術家への嫉妬も呪いも消えさった。西館を今は何かわからない別の存在として意識し始めたのだ。
 車を降りた青木ケ原樹海の遊歩道に看板が立っていた。
「命は両親から頂いた大切なのもの! もう一度両親や兄弟、子供のことを考えてみましょう 一人で悩まず相談して下さい」
 竹壁は看板を軽くこづき、樹海の中へと入っていった……。

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