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2016.01.07

第一章 難波村に彦八あり  〜彦八と里乃

(11)笑話の名人、二代目安楽庵策伝の存在を知った彦八。笑いの道に光は差すのか!?

木下 昌輝

(11)笑話の名人、二代目安楽庵策伝の存在を知った彦八。笑いの道に光は差すのか!?

上方落語の祖といわれ、笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八。その知られざる彦八の生涯を描いた注目作!! 毎週火・木・土の週3更新です。


第一章 難波村に彦八あり 〜彦八と里乃

(七)

 いつのまにか、彦八は頬杖をついて居眠りをしていたようだ。手が頰から外れ、頭が落ちかけたところで目を覚ます。顔を上げると、若い僧が必死に話をしていた。

「つまり、『宝塔偈』というのは、法華経見宝塔品第十一の偈文であるところの……」

 僧侶の口からは、呪文のような難しい言葉が次々と飛び出てくる。先ほどまでの軽口や滑稽話が嘘のようだ。集まっている人たちも、真面目に頷いている。

「此の経は持つこと難し。若し暫くも持つ者は、我即ち歓喜す……諸仏も亦然なり。是の如きの人は諸仏の歎めたもう所なり……是則ち勇猛なり。是則ち精進」

 いつ滑稽話が再開されるのかと、重い瞼を必死にこじ開けるが、僧侶の呪文はさらに難解さを増す。

「仏の滅度の後に、能く其の義を解せんは是れ諸の天人世間の……能く須臾も説かんは一切の天人皆応供養すべし」

 滑稽話の催促の意味を込めて、彦八は大げさに貧乏ゆすりをする。しかし、「方便品、寿量品こそが法華経の肝心」と、僧侶の話が終わる気配はない。気づけば、青々とした坊主頭に夕日が射していた。

「なあー、ちょっとちょっと、待ってえや」

 右手で思いっきり地面を叩いて、彦八は説教を止めさせた。皆の視線が一気に集まる。

「これから本番って言うたのに、話が全然面白ないんやけど」

 はあ、という形に僧侶は口を開けた。

「なあ、もっと、さっきみたいに笑える話してや」

 垂れていた僧侶の目尻が、ゆっくりと元に戻る。聴衆に顔を向け、苦笑した。

「小僧、笑い話はおまけや。この坊さんは、辻談義やぞ」

 ひとりの客が助け船を出すかのように、彦八に教える。辻談義とは、仏教の難しい話や説法を辻でわかりやすく解説する僧侶のことだ。

「せや、笑い話ばかりしとったら、辻談義やあらへん」

 別の聴衆も口を挟むと、皆が深く頷いた。

「じゃあ、なんでさっき説法やなくて、笑い話してたん」

「あら、説法の合間の息抜きや」

 僧侶は少し身を屈めて、諭すように彦八に語りかける。

「固い話ばっかりやったら、皆飽きるやろ。できるだけ多くの人に、最後まで聞いてもらうための工夫やねん」

「せや、息抜きなかったら、途中でみんな消えてもうて、銭もらえへんもんな」

 人夫風の男の言葉に、皆がどっと笑った。

「阿呆、言わんといて。一座六文、半座三文、ちょっと聞く鳥渡でも、一文もらわんとやっていけへんわ」

 僧侶の必死な態度に、さらに笑いが高まった。

「たった六文しかもらえへんの」

 彦八の言葉に、僧侶は勢いよく振り向いた。

「説法で六文しかもらえんのやったら、さっきみたいな滑稽話を披露したらええねん。あれやったら、十文はもらえるで」

 自分の難波村の滑稽芝居は十六文だと教えてやると、若い顔に似合わぬ皺を刻んで、僧侶は苦笑する。

「阿呆なこと、言いなさんな。誰が滑稽話に銭払うんや。笑話だけでは、飯食ってけへんわ」

「嘘やん。ひとりくらい笑話で食べてる人、おるやろ」

 僧侶は青い頭を横に振る。その顔がひどく真剣だったので、彦八は二の句を飲み込まざるをえなかった。

「わしは昔、京におって、兄弟子は江戸の人やったけど、京にも江戸にも、軽口や滑稽話で飯食うてる人はおらん。まあ、よくて拙僧のように説法の合間に諧謔(かいぎゃく)を挟むくらいやろな」

 聴衆も目を虚空にやって、「確かに滑稽話の辻芸人は知らんな」とか「滑稽話に銭払うとか、考えもせんかったわ」などと呟いている。

 大人たちの言葉に、嘘やからかいは感じられなかった。

 急速に彦八の心が冷めていく。

「小僧、悪いことは言わん。軽口や滑稽話を仕事にしようなんて、太平の世に戦さで手柄立てるって言うようなもんや。算盤なり、読み書きなりをしっかり学べ」

 隣に立っていた大人の言葉には、同情の気配が濃く滲んでいた。

 気まずい静寂が流れる。

 沈黙は彦八の体にのしかかり、頭がどんどんと重くなった。前を向いていられずに、地面に目を落とす。

「小僧、そんなにしてまで、人を笑かして食うていきたいんか」

 俯いたまま、顎をめり込ますように頷いた。

「せやったら、ひとつだけ手があるかもな」

 彦八は、ゆっくりと顔を上げた。聴衆も興味深げに僧を凝視している。軽く咳払いして、僧は青い頭を撫でた。

「お伽衆や。大名や将軍様のお伽衆になるんや」

 おお、そうか、その手があったか、と誰かが手を叩いた。

「お伽衆って何なん」と訊く彦八に、僧侶は教える。

 お伽衆とは、大名や将軍に侍り、面白可笑しい話をする者たちのことである。あの太閤豊臣秀吉は、八百人ものお伽衆を抱え、その日その時の気分によって好みのお伽衆を呼び寄せ、腹を抱えて笑う毎日を送ったという。

「その話、ほんまなん」

 彦八は思わず立ち上がり、僧侶の黒服にしがみついた。

「ああ、嘘やない。お伽衆は太閤様を笑かして、禄をもらってたんや。その中でも特に大きな禄をもらってたんが、お咄衆(はなししゅう)と呼ばれる者たちや。千石、噂では万石ももらってた人もおるらしいわ」

 若い僧侶は、お伽衆の精鋭――お咄衆の名を挙げていく。

 金森法印、織田有楽斎、今井宗薫、稲葉兵庫、古田織部、山名禅高。

「金森法印は聞いたことある。飛騨高山の大名や。あと、古田織部はごっつい茶人で、ええ庭をたくさん造ったんやろ」

 彦八でさえ知る武将茶人たちも、お伽衆として天下人を笑わせていた。

「その中で、いっちゃん太閤さんを笑わせた人は誰なん。やっぱり古田織部、それとも金森法印」

 あるいは、信長の弟の織田有楽斎か。

「誰が天下一のお伽衆なん」

 彦八の問いに、若い僧侶は顎に手をやって考えこむ。

「天下一の笑話の才となると、そやな、やっぱり安楽庵策伝和尚やろうな」

「安楽庵策伝」と、呟いた。

「知ってるで。『醒睡笑』とかいう、お笑いの書を出したんやろ。やっぱり、その人もお伽衆やったん」

「ほお、小僧、『醒睡笑』を知っとるんか。さすがやな。けど、安楽庵策伝和尚は、正確にはお伽衆やあらへん。誰にも仕えず、孤高を貫いた笑話の名人や。小僧、もしほんまに客笑かして銭稼ぎたいんやったら、お伽衆になることや。今でも、江戸では談判衆って言って、将軍様を笑かしてる人らがいるんやて」

 その言葉は、彦八の体を熱くする。薄い胸の中で、心臓が蛙のように飛び跳ねだした。

「わかった、坊さん、決めた。おいら、安楽庵策伝いう人の弟子になる。ほんで、日本一のお伽衆になるねん」

「はははは、そりゃ無理や」

「なんでよ。やってみな、わからへんやん」

「安楽庵策伝和尚の弟子になるのは、無理や。確かに、あのお方は天下一のお伽衆の名を欲しいままにして、将軍家だけでなく色んな大名家から誘いがあったそうや。けど、三十年ほど前の寛永十九年(一六四二年)に、御年八十九歳で亡くならはったんや」

 掌を合わせ、僧侶は小さく念仏を唱えた。

 確かに大坂の陣から六十年近くたち、今は四代将軍家綱の治世である。豊臣秀吉の時代のお伽衆が生きているはずがない。

「なあ、小僧、そんなにお伽衆になりたいんか」

 考えごとをしていたのを落胆と勘違いしたのか、客のひとりが呼びかけた。

「なら、二代目安楽庵策伝に弟子入りすればええねん」

「二代目、安楽庵策伝?」

「せや、最近、京の方で、そういう奴が出てきたって噂を聞いたで」

「おっちゃん、ほんま」

「これっ」

 彦八の問いかけにかぶせるように、僧侶がたしなめた。

「変なことを吹き込んだりな。確かに、二代目安楽庵策伝和尚はいてはる。幻といわれた『真筆 醒睡笑』なる、初代策伝和尚の直筆の笑話集も持っているとも聞いた」

 説法を披露した時以上の難しい顔を、若い僧侶はつくる。

「しかしながら、あの方は笑話が好きなのは確かやけど、肝心のあっちがな……」

 辻説法の僧は語尾を濁す。

 淀んだ僧の言葉とは裏腹に、彦八の頭には刻みこまれたものがある。

 ――お伽衆

 ――二代目安楽庵策伝

 そして、

 ――真筆 醒睡笑

 彦八は首をひねり、町家の間から覗く大坂城の石垣を見る。かつてはそこに、天守閣があった。白い壁と瑠璃色を帯びた瓦が輝いていたという。想像でしか知らぬ大坂城に、彦八は天下一のお伽衆になることを誓った。

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