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2015.12.31

第一章 難波村に彦八あり  〜彦八と里乃

(8)笑いで稼いで生きるという夢を語る彦八。しかし、相談相手からは窘められてしまう。

木下 昌輝

(8)笑いで稼いで生きるという夢を語る彦八。しかし、相談相手からは窘められてしまう。

上方落語の祖といわれ、笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八。その知られざる彦八の生涯を描いた注目作!! 毎週火・木・土の週3連載です。


第一章 難波村に彦八あり  〜彦八と里乃

(四)

 畑に挟まれた難波村の道を、彦八は歩いていた。

「こらぁ、彦八、畑、手伝うんちゃうんか」

 遠くから村人の罵声が届いたが、聞こえないふりをして足を進める。手習い小屋を追い出されてから、近所の農家を手伝うように兄から言われたが、五日もすれば飽きてしまった。

「あー、誰かを笑かしたいなぁ」と、呟きつつ歩く。

 左手を見ると芦原と新田が遠くにあり、奥には大坂湾に浮かぶ船がいくつも並んでいた。白い紙切れのような帆が、滑るように動いている。

「うん」と、彦八は足を止めた。目の前から、着流し姿の青年が歩いてくる。「いててて」と、右面を見せるように首を捻っている。右目や右頬が赤く大きく腫れ、鼻血も出ていた。左肩を下げ気味に歩く姿に覚えがある。

「くそ、親父め。本気で殴りやがって」

 赤い唾を吐き捨てる時に顔を正面へ向けたので、「あ」と彦八は声を上げた。

「あれ、志賀屋の左衛門(さえもん)はんやん」

 右半面を手で覆っていた男が、左目を細めた。

「おお、彦八やんけ」

「どないしたん。顔真っ赤やで、役者にでもなるん」

「阿呆、化粧ちゃうわ。親父に殴られたんじゃ」

 傷のない左の面だけで笑って見せた。目鼻眉のつくりは、細く長い。もう少し華があれば、役者にでもなれそうな顔立ちである。

「へえ、おいらも五日前に兄貴に殴られたで」

「ふん、おおかた、うちの竹蔵と喧嘩したんやろ」

 この左衛門という男は、志賀屋の竹蔵の実兄である。

「それより左衛門はん、なんでこんなとこにおんの」

 と言ったのは、左衛門は堺の漆職人のもとで修業しているはずだからだ。いずれは、難波村の志賀屋の跡を継ぐと聞いている。

「ふん、漆塗りなんて、あんな辛気くさい仕事なんかできっかい。飛び出したったわ」

「ほんで、家帰って親父さんに殴られたん」

 彦八の言葉に、左衛門は傷ついた右の顔を歪めてしまい、「いててて」と目を瞑った。

「左衛門はん、修業先飛び出して、どうするつもりなん」

 左衛門の無傷の左顔が笑った。

「漆はあかん。ちっこい頃から、肌がかぶれるねん。自分でいうのもなんやけど、それさえなければ、まあまあの腕なんやけどな」

 嘘をつけ、と彦八は心中だけで呟いた。左衛門が塗った器を見たことがあるが、むらだらけで、とても商いの品として通用しない出来だった。

「それになんや、みみっちいやろ。俺は、もっとでかい仕事したいねん」

「お侍さんになりたいん」

 と聞いたのは、志賀の家も里乃と同じく、元々は武家だと聞いていたからだ。

「はっ、侍なんかあかん。戦さがなかったら、ただの穀潰しや。何より上手く養子になったり武家株を買えたりしても、戦さがないと出世する手ぇがない」

 左衛門は槍を大きく繰り出す真似をしてみせた。

「じゃあ、何になりたいん。お大尽か」

 左衛門は首を横に振った。

「俺はなぁ、女子にちやほやされる男になりたいんや」

 さすがの彦八も「はぁ」と言ってしまった。

「お前の言うように商いでお大尽になったら、まあええ女は侍らせられるやろ。けどな、それは女子に好かれてるわけやないんや。俺は銭がのうても、女に好かれる仕事したいんや」

 左衛門は細い造りの目鼻を、彦八に見せつけるように撫でてみせた。

「せやから、俺は役者になりたいって、親父に言うてん。中座か角座か、いや弁天座でもかめへん。そしたら、この有り様や。困ったわ。親父おったら、大坂で役者になるのは無理かもしれん」

 難波村から芝居小屋の林立する道頓堀は、すぐそこだ。今も、かすかに太鼓の音が聞こえてくる。左衛門が大坂で役者になってもすぐに見つかり、連れ戻されてしまうだろう。

「京か江戸に出よかなぁ」

 船の帆を眺めつつ、志賀屋の左衛門は言う。

「そんな夢みたいなこと、言うてたらあかんで。真面目に働きや」

 殴られた方の瞼を見開いて、左衛門が睨みつけてきた。

「お前が言うな。聞いたぞ、また手習い追い出されたんやろ。お前こそ、何して飯食うつもりや。算盤弾けんかったら、百姓の手伝いぐらいしかできんぞ」

「おいらなら、大丈夫やで。ちゃんと、なりたいもんあるもん」

「なんや、それ」

 左衛門は鼻の穴をほじりつつ訊く。抜いた指先には、乾いた鼻血の欠片がついていた。

「人笑わして、銭貰うねん」

 指先からポロリと鼻血の欠片が落ちた。

「はあ、お前何言うとんじゃ」

「左衛門はんは知らんやろ。おいらな、ごっつい人笑わすの上手いねん」

「なんや、門付けの万歳でもするつもりか」

 万歳というのは、正月などの吉日に家の門前に立ち、「ばんざい」と、ただ叫ぶだけの大道芸である。

「やめとけ、万歳では一年通して食うんは無理や」

 確かに、他に職を持つ者や別の大道芸人が、正月や祭日だけに万歳と叫んでいることが多い。

「ちゃう、そんなんじゃないねん」

 身振り手振りを交えて、彦八は説明する。大勢客を集めて、面白可笑しいことを言って、銭を貰う。芝居小屋のようなものをつくって、そこで芸を披露するのもいいだろう。

 顔を天に向けて、左衛門が高笑いを響かせた。

「お前、それ本気で言うてんのか。笑いが、銭になると思てんのか」

「なんで。面白かったら、銭払うやろ。うちの兄貴も、旅の傀儡師(人形遣い)や講釈師に銭投げてるで」

「じゃあ、傀儡師や講釈師が笑いとってるとこ、見たことあるか」

 確かに客は皆口角を上げて喜んでいたが、それは彦八の目指す笑いとは種類が違う。

「笑いで銭稼ぐなんて、無理や。まあ、でけるとしたら、笑話集を出すことぐらいか」

「しょうわしゅう」

「せや、笑いの種本や。有名なとこで安楽庵策伝ゆう、太閤さんも笑かした偉い和尚の書いた笑話集があるそうや。なんちゅう名前やったかな、『醒睡笑』やったかな」

 左衛門は、地面に『醒睡笑』と書いてみせた。

「まあ、笑話の書き物を出板してやな、銭稼ぐのはありやろな」

「うーん、それもちょっと違うねん。それやったら、笑ろてるお客さんの顔、見れへんやん」

 左衛門は、困惑の色を浮かべた。

「講釈師みたいに、目の前に客をたくさん並べて、笑かして銭もらうねん。まあ、ひと笑い十文くらいやろか」

「だから、そんな仕事はないって言うてるやろ」

「そんなん、わからんやんっ」

 盛大にため息を吐いて、左衛門は指を北へと向けた。道頓堀に軒を連ねる芝居小屋の甍が、秋の穏やかな太陽を反射している。

「そんなに言うんなら、行ってこいや。大坂は天下の台所や。日本中から、色んな物や人が集まってくる。そこで客笑かして、銭もろてるもんがおるか探してこい。あっこにないんやったら、江戸や長崎に行っても見つけられへんわ」

 彦八は左衛門が指差す先を凝視する。

 海に浮かぶ何十何百もの帆船が、大坂の町へと吸い込まれていた。

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