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2015.12.29

第一章 難波村に彦八あり 〜彦八と里乃

(7)村の子供たちを相手に滑稽芝居を披露する彦八。己が生きる道を笑いと定めるが―。

木下 昌輝

(7)村の子供たちを相手に滑稽芝居を披露する彦八。己が生きる道を笑いと定めるが―。

上方落語の祖といわれ、笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八。その知られざる彦八の生涯を描いた注目作!! 毎週火・木・土の週3連載です。


第一章 難波村に彦八あり  〜彦八と里乃

(三)

 べか車と呼ぶ荷車に、百姓たちが野菜をいっぱいに積んでいた。縄を使ってひとりが前から引っ張り、もうひとりが後ろから押している。

 朱の塗料が半分以上禿げかけた、稲荷明神の祠の横を通り過ぎる。その裏にはまばらな木立に囲まれた広場があり、車軸の軋みが彦八の耳にも聞こえてきた。

「さあ、ひとり十六文ですよぉ」

 先程とはうって変わった、優しい声色で呼びかける里乃がいる。

 祠裏の広場には、里乃のように稽古着を着た武士の子や、手足を泥だらけにした百姓の子、算盤を小脇に抱えた商人の子たちが、列をつくっていた。里乃が広げた巾着袋の口に、やってきた子供たちが握っていたものを次々と入れていく。

 本当に銭を払っているのではなく、丸い小石を一文、貝殻を十文と見立てた遊びの銭だ。たまに形の悪い小石や汚い貝があると、里乃は摘み出して「はい、やりなおし。ちゃんとしたの拾ってきて」と指示している。そんなところを見ていると、商家の嫁になったら、きっと辣腕を振るうだろうと、彦八は思う。感心すると同時に「旦那さんはかなわんやろなぁ」と考えてしまい、背中が涼しくなった。

「彦八の滑稽芝居が始まるでぇ。道頓堀の芝居座なんか目やないでえ」

 里乃が大声で告げると、集まった童たちがやんやと喝采を浴びせた。

「どんだけ待たせるねん」

「ほんまや。もう少しで帰りそうになったわ」

 算盤やら鍬、竹刀を振りつつ、童たちが目を輝かせる。

 舞台ともいえぬ落葉が舞う地面の上で、彦八はひとり立っていた。

 わざとらしく、咳払いをひとつする。大事そうに石ころの詰まった袋を抱えて、里乃が最前列の中央に座るのを待った。袴についた砂を女子らしく手で払い、里乃が顔を向けてから、彦八は「よよよよ」と声を出す。

「あ、権太とこの親父や」

 誰かが言った瞬間に、笑いが起こる。次は腰を曲げて、必要以上に口の中で唾を舐ると、「うわぁ、うちとこのおばあや」と叫び声が起こり、また笑いが弾けた。

 難波村の百姓、町人、職人、武士、老若男女の真似を、彦八は次々とやっていく。そのたびに火縄銃を撃ち放したような笑いが、あちこちで起こった。

 横目で里乃を見る。大きく口を開け、白い歯を見せ、破顔している。女子らしくない仕草だが、彦八は里乃が笑う姿を見るのが好きだった。喉ちんこが見えるほどに口を開けて、大きな目を糸のように細めて目尻に涙を溜めている。

 彦八の胸が春の日なたのように温かくなる、そんな笑顔だ。零れそうになった涙を里乃が指で拭き取って、ああぁと思う。

 ――指で拭う暇も惜しいほど、笑かしたい。

 次は剣術道場の師匠の物まねである。裏声で面を打つ仕草をすると、稽古着に身を包んだ童たちが肩を叩き合い、彦八を指さす。里乃も膝を叩いている。

 よっしゃと思った時、彦八の視界の隅にふたりの大人が向かってくるのが見えた。小太りの男の方は、彦八の兄だ。早くに両親を失った彦八にとっては、何より怖い存在だ。そして、横にいるのは豚鼻に細い髭を蓄えた算盤のお師匠だった。

 あかん、と心の中で叫んだ。

 ――お師匠め、手習いを怠けたこと、告げ口しおったな。

 天を仰ぎそうになった。兄の眉間には、短刀で斬りつけたかのような深い皺が刻まれている。

 不穏な空気を感じとったようで、徐々に童たちの笑い声が小さくなっていく。

 あかん、笑いが消える、と思った時、閃いた。

 同時に、兄とお師匠の激昂する顔が思い浮かぶ。頭に浮かんだことをやってしまえば、きっと手習いは追い出される。さすがの彦八の背も震えた。そうなれば、兄からどんな折檻を受けるかわからない。

 視線を感じて、目玉をそっと動かす。

 里乃が首を傾げ、不思議そうな表情で、こちらを見ていた。涙が浮いていた目は渇き、口元からは柔らかさが消えつつある。

 ――あの顔に、もっぺん花を咲かせたい。

 そう思った瞬間には、もう決断していた。

 指で鼻を押し上げて、皆に見せつける。

 残った腕を地につけ、ブウブウと叫びつつ動き回った。

「あ、猪や。この前、悪さしよった猪やで」

 手を泥だらけにした、百姓の子が指をさした。花が咲くように笑顔が広がる。

 狼狽える兄と手習いのお師匠を確認してから、彦八は高らかに叫んだ。

「ご破算、願いましてぇわぁぁ」

 声の抑揚と上に向けた鼻から、手習いのお師匠の真似と瞬時に悟ったようだ。地が割れるような大爆笑が起こる。

「ごっつい、おもろい。猪が手習いの師匠に変わった」

 先日、村に悪さをした猪の真似をしつつ、お師匠の声に似せて「二十文なありぃ、三十八文なぁりぃ」と叫び、動き回る。

 途中で、首の付け根を中心に左肩から右肩へと円を描くように肩をすくめると、一際大きな笑いが弾けた。最後に、案山子に驚いて岩に頭を打ち付けて気絶する真似をする頃には、何人もの童たちが腹を抱えていた。その中のひとりに里乃がいて、目尻から真珠のような涙の粒が落ちる。

「やった」と呟いた時、影がさして、彦八の視界が塞がった。

 顔を上げると、夕陽のように顔を真っ赤にした兄が仁王立ちしている。太い腕を振り上げようとしているところだ。背後には、算盤のお師匠が肩を激しく震わせていた。

「この、ど阿呆がっ」

「うちの手習いには、一歩たりとも足踏み入れさせん、顔も見せるな」

 大人ふたりの罵声とともに、拳骨が飛んできた。

 西の空に浮かんだ一番星を掻き消すように、彦八の視界に無数の火花が散る。

 その様子を見て、童たちがさらに笑う。里乃の鈴のような笑い声も聞こえてきた。

 ああ、今日は晩飯抜きやろなぁ、と後悔しつつも彦八は満足だった。場に満ちる笑声のなかでも、耳をくすぐるようなものは里乃だ。他の童の笑みが夜空に煌めく星なら、彦八にとって里乃の笑顔は満月だった。

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