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2015.12.26

第一章 難波村に彦八あり ~彦八と里乃

(6)喧嘩の仲裁に入った里乃という娘。それは彦八が秘かに想いを寄せる相手だった。

木下 昌輝

(6)喧嘩の仲裁に入った里乃という娘。それは彦八が秘かに想いを寄せる相手だった。

上方落語の祖といわれ、笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八。その知られざる彦八の生涯を描いた注目作!! 毎週火・木・土の週3更新です。今週からいよいよ彦八が登場!


第一章 難波村に彦八あり 〜彦八と里乃

(二)

 時刻を告げる捨て鐘が、みっつ鳴り響いていた。続いて、刻限の数だけ鐘が鳴る。ひとつ、ふたつと、彦八には数えている暇はない。

 竹蔵の大きな体が馬乗りになり、固い拳を彦八めがけて振り下ろしていたからだ。

「算盤もよう弾かん、ぼんくらのくせが。生意気抜かすな」

 太い腕が唸って、彦八の鼻先に勢いよく当たった。生暖かいものが、鼻の奥から流れてくる。唇に垂れる前に思いっきり吸い込み、ごくんと飲んだ。鉄の味が喉から這い上がってきたが、気にしている余裕はない。

 馬乗りになった竹蔵の大きな体を、気合いと共に腰で撥ね飛ばす。すかさず覆い被さろうとしたら、したたかに背中を固いもので殴られた。

「いったいやんけ」と振り向くと、竹蔵の手下が太い枝を持って構えている。その背後には、算盤のお師匠に散々いびられていた童が尻餅をついていた。大きく腫れ上がったおでこを抱え、泣いている。

「畜生、ふたりがかりは卑怯やぞ」

 手下に掴みかかろうとすると、後ろから竹蔵に抱きつかれた。すかさず、頭に棒が打ち下ろされる。

「どや、竹蔵はん、志賀屋に楯突く奴はおいらがやっつけたるで」

 手下は口ずさむように言いつつ、棒を振り回し彦八を打擲した。

 竹蔵は、志賀屋という屋号を持つ難波村の漆塗りの次男坊だ。家が裕福なおかげで、手習いのお師匠から優遇されていることが、彦八には気に食わない。しょっちゅう喧嘩をする仲で、今日も手習い小屋を追い出されたあと、新入りの童をいじめている竹蔵を見つけて、取っ組み合いになったのだ。

 竹蔵に抱きつかれたおかげで、彦八は思わず片膝をついた。

「よし、やってまえ」

 背中や腕に、容赦なく木の棒が振り下ろされる。かろうじて踏ん張っていた膝も地について、両手で体を支えようとした時だった。

「こらぁ」

 怒声というには小気味よい響きに、手下の振り上げた棒が止まる。

 彦八がゆっくりと首を上げると、白い稽古着と紺袴を身につけた子供が立っていた。後ろで結った髪は秋風に吹かれて、心地よさげに揺れている。額にかかる前髪が、眼の形を際立たせるかのようだ。

 背は彦八よりも少し大きいだろうか。すらりと伸びた腕には、六尺(約百八十センチ)ほどの長い棒が握られていた。

「あんたら、何してんの」

 形のいい眉を寄せて睨みつける。

「げ、里乃やないか」

 呻いたのは、彦八に組み付く竹蔵だった。

「なんじゃ、お前、男みたいな格好して」

 手下が棒を突き出した瞬間に「阿呆、やめとけ」と、竹蔵と彦八は同時に叫んでいた。

 ふわり、と手下の足が地面から浮く。

 里乃と呼ばれた娘の体が沈みこみ、棒を突きつける乱暴者の腹の下へと潜りこんだのだ。袴に覆われた腰が跳ね上がったかと思ったすぐ後には、柔らかい畑の上に手下は背中から叩き付けられていた。

 ふんっ、と鼻息を吐いて、里乃は呆然とする手下を見下ろす。続いて、彦八を組み伏せる竹蔵を睨みつけた。

「あっ、阿呆ぅ、こいつが玉潰しの里乃って呼ばれてること、忘れたんかい」

 手下に叫ぶ竹蔵の腕の力は、もう半分ほどに緩んでいた。

 里乃の家は淀屋橋で米商いなどを手広く営んでいるが、もともとは武士である。戦国末期に刀を捨て、大坂の陣で捨て身の商売をして財を築いた。全財産を投じて火縄銃の玉薬を大量に仕入れ、勝つと見込んだ東軍に無償で譲ったのだ。大坂の陣が終わった後に無一文になったが、東軍に認められ、大坂で商いをする権利を得た。心斎橋の由来となった岡田心斎など、破産覚悟で東軍を援助し、戦後に商いの利権を勝ち取った商人は多く、その多くは元武士という出自である。

「た、玉潰しって、本当やったんですか」

 地に叩きつけられた手下の問い掛けに答えたのは、里乃だ。六尺棒を拾い、強く地面を打つ。

「あんたら、その綽名で呼ぶなって言うたやろ」

 里乃は半眼になって、竹蔵と手下を睨みつける。竹蔵の顔から血の気がひくのがわかった。

 彦八らの周りには、男色にふける僧侶が多くいた。ある日そんな僧侶のひとりが、里乃を侍の若衆と勘違いし、声をかけたのだ。稽古帰りだった里乃は、棒を一閃して僧侶の股間をしたたかに打ちつけて以来、『難波村の玉潰し』の綽名で呼ばれるようになった。

 とはいえ、里乃にとっては男と間違えられた不名誉な綽名でもある。

「どうする竹蔵、次はあんたが相手してくれるんか」

 玉潰しの凶器である棒を突きつける。竹蔵は彦八を絡める腕を放して、慌てて後ずさった。極限まで内股にして股間に両手を添え、「えへへへへへへ」と愛想笑いをしつつ退く。棒の届かない距離にくると、背中を見せて全速力で逃げ出してしまった。

「里乃、おおきに」

 手を伸ばして彦八は起こしてもらおうとするが、音が聞こえるほど強く頭をはたかれた。

「あんた、こんなとこで何やってんの。約束、忘れてるんとちゃうやろな。とっくの昔に八つ(午後二時頃)の鐘は鳴ったで」

「あっ」と小さく叫ぶと、また手が飛んできた。喧嘩の最中の鐘は、八つ刻を示すものだったのかと、今さらながら気づく。

「ほんまに、せっかくみんな集めたのに、こんなに待たせて。はよせな、日が暮れてしまうやん」

 里乃と交わした約束を、すっかり忘れてしまっていた。

「か、堪忍やで、今日は色々とあってん」

 弁解しようとしたら、泣き声が耳についた。竹蔵にいじめられていた童が、声をあげて泣いている。

「ほら、あんたもいつまで泣いてんねん」

 新入りの童を、里乃が手を差し伸べて立ち上がらせた。それを見てなぜか、彦八の喉には米が詰まったような、嫌な気持ちが広がった。

 

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