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2015.12.24

第一章 難波村に彦八あり ~彦八と里乃

(5)いよいよ真打の登場!! 減らず口の止まらない彦八は、算盤の師匠の怒りを買って―。

木下 昌輝

(5)いよいよ真打の登場!! 減らず口の止まらない彦八は、算盤の師匠の怒りを買って―。

上方落語の祖といわれ、笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八。その知られざる彦八の生涯を描いた注目作!! 毎週火・木・土の週3連載です。今週からいよいよ彦八が登場!

 

第一章 難波村に彦八あり

彦八と里乃

(一)

「ご破算で、願いましてぇわぁ~」

 文机が並べられた部屋の中で、お師匠の声が高らかに響いた。口元の細い髭が震え、上を向いた鼻の穴が大きくなる。

「八十七文なぁり、三十二文なぁり、引いては百十九文なぁりぃ」

 彦八(ひこはち)の周りの童たちが、一斉に算盤を弾き始める。小気味よく珠が打ち鳴らされる音が飛び交うが、彦八の小さな指は動かない。頬杖をついて、じっと開け放った襖の先を見る。たまに、左右の鬢から跳ねた癖毛を指で摘んで、ひとり遊びに興じていた。

 庭があり、塀は低い生垣だ。大坂難波村には野菜畑が広がり、色づいた柿の木が植わっている。その向こうには、道頓堀の芝居小屋の甍が秋の陽光を受けて優しく輝いていた。時折、芝居の開演を知らせる太鼓がかすかに聞こえてくる。さらに先には大坂城の石垣がポツンと見えた。天守閣はない。七年前、彦八が五歳の時に、落雷で焼失してしまったのだ。

 お師匠が読み上げる数字は次々と大きくなり、拍子も速くなる。数字を発するたびに、お師匠は首の付け根を中心に、左肩と右肩で円を描くような仕草をした。ついでに鼻の穴も大きく広がる。

 ぷっ、と彦八が噴き出したのは、先日里まで下りてきた猪にそっくりだったからだ。散々悪さをして、最後は案山子(かかし)を人間と間違え、驚いて岩に頭を打ち付け気絶した。肩を回し鼻の穴を広げるお師匠の仕草が、村人を威嚇した猪そのものだ。

「二百三十文なぁり、七十五文なぁり、では」

 師匠が言い終わると、珠を弾く音も止む。

「わかるもの」と、胸を張ってお師匠が聞くと、彦八の周りの童たちが一斉に小さな腕を挙げた。満足気に見つめるお師匠の目が、急に釣り上がる。葦のように茂る腕の隙間に隠れていた彦八を見つけたのだ。

「彦八」と怒声が飛んで、皆の視線が集中する。

「立ちなさい」

 顎をくいっと上げる仕草をする。やっぱり畑を掘り返す猪にそっくりやなあ、と思いつつも、恐る恐る立ち上がった。後ろにいた志賀屋の竹蔵(たけぞう)という童が、「くくく」と含み笑いを漏らすのが聞こえる。

「阿呆が、彦八の奴、また怒られるぞ」と、隣の童と嘲っている。

「さあ、答えなさい。幾つになった」

 言われても、彦八にはわからない。

「えヘヘへ」と愛想笑いしつつ、頭を下げた。

「すんまへん、お師匠様、おいらには難しくて」

 彦八が言い終わる前に、お師匠は大股で歩き、机の上を睨みつける。

「この算盤はなんじゃ」

 彦八の算盤の珠はまっすぐに揃って、弾いた形跡がない。

「お前、また怠けとったな」

「ちゃいます。怠けてまへん」

 あえて真面目な顔で彦八は言う。

「なんやと、ほな、この算盤の珠は何や。弾いた痕が、ひとつもあらへんやないか」

 彦八の目の前の算盤に、師匠は指を突きつけた。童たちは静まり返り、彦八とお師匠を交互に凝視する。重苦しい空気が、彦八の小さな肩に絡みつく。

 ふと、彦八の頭の中に思い浮かぶ句があった。言っては駄目だ、と思いつつも舌が勝手に動く。

「へえ、師匠の言う読み上げを足して引いたら、ちょうど零になりましてん」

 童たちが声を出して笑うのと、師匠の拳骨が頭を打つのは同時だった。突き抜けるような痛みにうずくまるが、緩む頰を自制することはできない。耳朶(みみたぶ)を撫でる童たちの笑いが、彦八には心地よかった。

「今まで三つもの手習い小屋を、お前は追い出されたんやろう。うちでも、同じ目にあわせたろか」

 また思い浮かぶ句があった。唇を固く結ぼうとした時には、遅かった。

 きっ、と真剣な表情で師匠を睨む。

「師匠、追い出されたんは三つちゃいます、五つです」

 掌の指を五本突き立てると、さらに笑いが増した。お師匠の顔が、怒気で真っ赤になっている。これはまずいぞと思いつつも、舌は性懲りも無く動き続ける。

「剣術や雅楽、四経五書の手習いもいれると、こうですわ」

 両掌の指で九と示してみせた。両隣の童が、腹を抱えて笑い出す。

「阿呆っ」と、一喝された。

「お前は漬物屋の次男坊やろう。手習いで教養を身につけへんかったら、養子にも行けへんぞ」

 再び握り拳で殴られた。頭が寺鐘に変じたかのような衝撃に、さすがの彦八も不機嫌になる。

「言うてみぃ。今まで何を身につけたんや。読み書きも算盤も、ろくに出来ん次男坊が、何になるつもりや。物乞いか」

 唾が届く距離で怒鳴られた。

「笑ってるひまあるんやったら、お前ももっと身をいれんかい」

 隣で腹を抱えていた童の文机を、お師匠が乱暴に叩いた。大きな音がして、童の両肩が跳ね上がる。

「見ぃ、やっぱり間違ってるやないか。お前も、彦八みたいになってまうぞ。さっきから間違ってばかりや」

 注意された童は、俯いて唇を噛む。できないのも当然だ。つい半月ほど前、入門したばかりの子だ。珠の弾き方など、基本もろくに教えていない。そのくせ裕福な商家の子や歳暮の多い農家の子には、手をとって教えている。

「お前も、彦八みたいに物乞いになりたいんか」

 平手だが思い切り童の頭を叩いたのを見て、自分が殴られた訳でもないのに彦八の脳天に衝撃が走る。

「お師匠様、できんで当然ですわ。珠の弾き方も教えてませんやん」

 彦八の言葉に、師匠は鋭く振り返った。

「教えるのがお師匠の仕事やん。畑耕さん百姓と同じや。ただ数字読むだけなら、生まれたばかりの隣の子ぉでもでけるわ」

 握りつぶした紙のように、お師匠の顔に皺が寄る。

「お前、口応えするのか」

「口応えちゃいます。ほんまのことですやん。みんな知ってますで。歳暮の多い家の子には、親切やて」

 図星を指されて、師匠は仰け反るような姿勢になった。遠くの席から含み笑いが聞こえてきて、「黙れ、笑うな」と、慌てて一喝する。

「この無礼者が。漬物屋風情の次男坊が、師に歯向かいおって。外に出て、頭を冷やしてこい」

 舌打ちと共に師匠が背を向けた。

 漬物屋風情と言われては、彦八も黙っていられない。

「ふん、言われんでも出ていくわ」

 指を使って鼻の穴を大きく開けて、師匠の真似をしてやった。何人かが口に手をやって、必死に笑いを噛み殺す。気配に気づいて、師匠が振り向こうとしたので、慌てて手を後ろにやった。

 

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