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2015.12.22

序章 天下一のお伽衆 ~初代安楽庵策伝の憂鬱

(4)策伝の元に出自の金森家からも使者が訪れた。策伝に助けて欲しいとの事だが―。

木下 昌輝

(4)策伝の元に出自の金森家からも使者が訪れた。策伝に助けて欲しいとの事だが―。

上方落語の祖といわれ、笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八。その知られざる彦八の生涯を描いた注目作!! 毎週火・木・土の週3更新です。

 

序章 天下一のお伽衆 ~初代安楽庵策伝の憂鬱

(四)

 前田家の使者が去ってからも、月に幾人かは大名家の使者がやってきた。前田家の使者を袖にしたという噂が、策伝の名声をさらに高めてしまったようだ。だが、虎丸は策伝に取り次ぐ際、用件をよく吟味するようになった。ただ、名声を欲するだけの使者とわかった時は、適当な理由をつけて面会させることなく引き取ってもらう。

 積もる落ち葉を箒で払っている時、虎丸は懐かしい声に呼び止められた。

 振り向くと、見覚えのある男が立っている。立派な月代を持った侍は、父の同僚で飛騨高山は金森家の家老ではないか。

「虎丸、久しいな。坊主頭も様になっているではないか」

 無骨な手で乱暴に頭を撫でられた。

「ありがとうございます。それにしても、わざわざ何用でございますか」

 箒を強く握りしめたのは、己を飛騨高山に連れ戻す使者と思ったからだ。

「心配するな。お前には用はない。安楽庵策伝和尚を訪ねたのだ」

「まさか金森家も、師をお伽衆としてお雇いするつもりですか」

 家老は笑顔を消して、重々しく頷く。

「申し訳ありませぬ。ご期待には添えぬと思います。策伝師匠が金森家ご開祖の弟君とはいえ、師の意志は固うございます」

「策伝和尚が名だたる大名家の誘いを断っているのは、儂も知っている。だからといって、門前払いをされる訳にはいかぬのだ」

 家老は硬い表情で間合いを詰める。

 数度の押し問答があったが、どちらも退かなかった。

「虎丸、金森家は策伝和尚を必要としているのじゃ。金森の家を助けると思って、取り次いでくれ。策伝和尚に、救って欲しいのじゃ」

 家老の言葉に反応したのは、虎丸ではなかった。

「救ってほしいじゃと」

 門の陰から出てきたのは、猫を抱いた安楽庵策伝和尚だった。家老はそれが誰であるかを目敏く悟ったようだ。虎丸を押しのけるようにして、安楽庵策伝の前へと進み出て、深々と頭を下げる。

「はっ、金森家を救うために、ぜひ当家のお伽衆になっていただきたいのです」

 師の喉が鳴る音は、虎丸のもとまで聞こえてきた。心なしか、皺だらけの頰が紅潮しているような気がする。

「そこまで言わはるなら、お話だけでも聞かせてもらいまひょか。飛騨高山にいる家の者の近況も聞きたいしな」

 家老の月代にやっていた目を虎丸に移す。

「書院に、お通しせえ。お茶と菓子も用意するんやぞ」

 師匠の後ろ姿を虎丸は見つめる。背を向けた策伝の足どりは、軽く見えた。滲むのは気負いか、いや、笑いで人を救う望みを叶えられるかもしれないという喜びだ。

 なぜか胸によぎる不穏な気配を、虎丸はぬぐうことができない。

 

 金森家の家老と書院で対面した安楽庵策伝は、落胆を隠そうとはしなかった。手に持つ茶碗を重たげに床に置く。

「金森家を救うとは、そういう話なんか」

 苦しげに零した言葉が、師の体から精気も一緒に奪い取ったかのように感じられた。顔の皺が深くなり、数歳も老けたように見える。

「はっ、何とぞ、策伝和尚のお力で、我が藩内にある珠玉の金山をお救いいただきたいのです」

 唾を飛ばしつつ、額を床板にめり込ませるようにして家老は頭を下げた。

 やはりか、と虎丸は思った。

 金森家が求めたのは、策伝の笑話の才ではなかった。

 七万石の飛騨高山・金森藩は富んでいた。実質、数十万石の財を所有している。その理由は、良質な金山を持っているからだ。

 だが、その金山は諸刃の剣である。金山奉行は財と権を掌握するので、敵も多い。開祖金森法印(長近)が重用した金山奉行は、法印死後に屋敷に火を放ち越前に逐電しているほどだ。常に金山絡みの血なまぐさい権力闘争の火種を、金森家は抱えこんでいた。金山奉行周辺の不審な事故や失踪も多い。

 虎丸が笑話の世界に惹かれたのも、それがきっかけだ。仲の良い子弟も長じるにしたがい、親の権力闘争とは無縁でいられなくなる。

 いずれ大人になれば、かつての幼馴染と権力闘争を繰り広げなければならない。そんな虎丸が出会ったのが、安楽庵策伝の『醒睡笑』だ。笑話の虜になるのに、半日と必要なかった。

「実はご公儀(徳川幕府)が、我が藩の金山を狙っております」

 家老の言葉に、さすがの虎丸も我に返った。

「このままでは、改易された福島正則公の安芸広島藩、加藤忠広公の肥後熊本藩の二の舞です。難癖をつけられ、所領と金山を没収されてしまいます。この難局を乗り切るには、幕閣に人脈を持つ人物が必要なのです」

 家老は、安楽庵策伝を睨むように見据えた。

 安楽庵策伝が『醒睡笑』を著したのは、幕府の要職・京都所司代の板倉重宗の依頼があったからである。他にも高名な茶人、高僧、貴族、皇族とも親しく交際している。幕府の金山乗っ取りの謀略から身を守るのに、策伝の人脈は頼もしい盾になることは間違いない。

「なんとか、策伝和尚の力をお借りしたいのです」

 何度も擦りつけて赤くなった額を、また床に押しつけた。その前で、策伝は固まったかのように動かない。

 一体、どれくらいそうしていただろうか。

 音のない笑いが、策伝の小さな体から漏れる。

「なんや、藩主様は儂に笑かしてほしいわけやないんか」

 強がって空笑いをする策伝を、虎丸は正視し難かった。

「当たり前でございます。笑いなどという些事のために、どうしてここまで参りましょうか。策伝和尚のご人脈を、ぜひ当家を救うために生かしてくださいませ」

『救う』という言葉を特に強く発した。

「そして、これは亡き金森法印公のご遺志にも適いましょう」

 実兄の名を出されて、策伝は老いた胸を苦しげに押さえた。

「申し訳ないけど、無理ですわ。窮状はお察しするけど、お力にはなれまへん」

 策伝は立ち上がろうとして、均衡を崩す。音をたてて片膝を床についた。

「師匠」と走りより、手をとる。薄い掌の肉に虎丸は息を呑んだ。背は猫のように曲がり、目は落ち窪んでしまっている。

「策伝和尚、当家を見捨てるのか」

 書院を退室しようとする策伝の背中に、声が飛んだ。怯えるように大きく肩を震わせたが、老僧は決して振り向かない。

 足の裏を擦りつつ、天下一のお伽衆の異名を持つ老人は、逃げるようにして消えていった。

 

 金森家の使者が去ってから、安楽庵策伝は床に伏すことが多くなった。冬を迎えると、起き上がっていることの方が珍しくなる。新春が来ても、容態は変わらなかった。

「虎丸よ」

 か細い声で呼ばれた。骨と皮だらけの手を優しく包み、「ここにおります」と囁く。

「儂は……もう長くはないやろ」

 思わず力がこもり、包んだ策伝の手を軋ませそうになる。

「儂が死んだら、どないする……つもりや」

 すぐに返事はできなかった。ずっと迷っていたことだ。

「笑話を極めたい、と思う心もあれば」

「金森の家を救いたい、とも考えているわけか」

 頷くかわりに優しく手を握りしめた。

「思えば、好きな道にのめり込んだ儂は幸せもんやった。死んだ兄貴には、ようけ嫌味言われたわ」

 策伝のもう一方の手が、虎丸の手の甲の上に置かれた。

「文箱を持ってきて、開けてくれ」

 師の両手を布団の上に置き、言われる通りに漆塗りの箱を開けた。

 思わず虎丸は刮目する。

「こ、これは」

 中には、一冊の書物があった。驚くべきは、『真筆 醒睡笑』と墨書されていることだ。

『真筆』とは、いかなる意味なのか。推察しようとすると、手に脂汗が滲む。

「それは形見としてやる。お前以外には、誰にも見せてへん。京都所司代の板倉様には、第九巻とも言うべき最高傑作の『真筆 醒睡笑』があることだけは言うてる」

「は、拝見して、よろしいでしょうか」

 策伝は、かすかに頷いた。

 書を開く。

 目に飛び込んできたものを見て、思わず声を上げて笑ってしまった。皺だらけの策伝の顔が少しだけ綻ぶ。

「どや、おもろいやろ。どっちの道へ行くにしても、それは弟子のお前にやる」

 弟子という言葉に、不覚にも虎丸の視界が滲んだ。

「い、今、なんと仰いました」

「弟子のお前にやる、と言ったんや。なんや、儂が師匠やと嫌なんか」

 虎丸は慌てて頭を振った。

「本当に私を弟子として認めてくださるのですか」

「ああ、全然、人笑かす才のない弟子やけどな。特に、あの馬糞の話は寒かったわ」

 策伝の顔に柔らかい皺が寄る。

 前田家の家老が来た時のことが、昨日のように蘇る。

「欲しいなら、安楽庵策伝の名もやる。漬物石くらいの重さはあるはずや」

「私が金森の家に戻ると決断しても、この書と名を下さるのですか」

 策伝のもとに、息子を飛騨高山に戻したいと、毎月のように書信が来ているのは知っていた。にも拘わらず、策伝は己を手元に置いてくれていた。

 策伝に恩はある。だが、幕府の謀を聞いた今、家を見捨てることはできない。策伝には迷っていると言ったが、武士に戻らざるを得ないと、半ば覚悟していた。

「ようけ悩んだんやろ。その結果、武士に戻るんならしゃあない。儂の弟子は、お前ひとりや。『真筆 醒睡笑』と、儂の名は持ってけ。まあ、武士になったら、策伝は名乗れへんけどな」

 虎丸は腕で強く目頭をこすった。

「武士に戻ります。お許し下さい。しかし、いつの日か頭を丸め、必ず師の名を継ぎます」

 策伝は短い吐息を漏らす。

「阿呆、人笑かすのに、坊主も武士も町人も関係あるかい」

「仏教も切支丹もですな」

「うふ」と、唇を弾くように策伝は笑った。

「よう、わかっとるやないか。やっぱり儂の……」

 最後の声は聞き取れなかった。

 策伝は力尽きるように瞼を閉じる。

 か弱い寝息が、虎丸の耳に聞こえてきた。

 

 翌日、「面白きこと天下無類」とも「天下一のお伽衆」とも賛辞された安楽庵策伝は、静かに息を引き取る。

 

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