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2015.12.19

序章 天下一の御伽衆 ~初代安楽庵策伝の憂鬱

(3)天下一の名を欲し、前田家の家老が訪れる。何故か策伝はその申し出を断る事に。

木下 昌輝

(3)天下一の名を欲し、前田家の家老が訪れる。何故か策伝はその申し出を断る事に。

今最も歴史・時代小説界で話題の作家、木下昌輝。デビュー作『宇喜多の捨て嫁』がいきなり直木賞の候補となり、同作は高校生直木賞や舟橋聖一文学賞などを受賞。二作目『人魚ノ肉』も山田風太郎賞の候補となる。今回挑むのは、笑いと人情の本格的時代小説。上方落語の祖といわれ、笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八。その知られざる彦八の生涯を描いた注目作!! 幻冬舎plusにて、初の連載小説がいよいよ開幕!!

 

序章 天下一の御伽衆 ~初代安楽庵策伝の憂鬱 


(三)

 策伝の懐に入るなど、虎丸にとっては容易いことだった。会ったその日のうちに勝手に頭を剃り上げて、用意した僧服に着替えたのだ。唖然とする策伝をよそに、共に京都に戻ってからは、炊事洗濯掃除と、身の回りの世話を甲斐甲斐しくする。

 天下一のお伽衆と名を轟かせたと言っても、所詮は八十歳を過ぎた翁だ。京に帰り三日目、飛騨高山の母直伝である山菜尽くしの朝粥を恭しく給仕する頃には、策伝が虎丸を手放し難いと感じていることを悟った。

 その後にやってきた家の使いの者と協議した結果、虎丸が元服するまでの間、策伝のもとにおいて見聞を広めさせることが決まった。

 さすがに虎丸は胸を撫でおろした。いかに童とはいえ、勝手に藩を抜けるのは罪に問われかねない。金森藩開祖の実弟である安楽庵策伝の取りなしで、己や家族に累が及ぶことなく京都に滞在することができるのだ。

 そして虎丸は成人しても、飛騨高山に戻るつもりはない。笑話を極め、二代目安楽庵策伝を継ぐのだ。

 

「策伝和尚様、前田家のご使者様が参られました」

 竹林院の書院の前で膝をつきつつ、静かに後ろを見た。そこには糊のきいた裃を着た、大身の武士が立っている。腰の二刀の造りは豪華で、質に持っていけば高山にある山ひとつくらいなら買えるかもしれない。さすがは徳川御三家をもしのぐ、百万石の加賀前田家の家老である。訪問を告げる声が、いつもより微かに上ずっていることを自覚せずにいられない。

「うむ、入ってもらいなさい」

 策伝の声を待って襖を開け、庭の見える部屋へと誘う。庫裏(寺の台所)に戻り、茶と菓子の用意をして、また部屋の前へと行き、静かに襖を開く。

「我が前田家は、策伝和尚をお伽衆として、お迎えしたいと思っておりまする」

 裃には梅の花を象った紋を染め抜き、それを見せつけるように武士は胸をはっている。

「加賀百万石の城下町、金沢は、小京都と呼ばれておりまする。その城に侍るお伽衆は、天下広しといえど、策伝和尚以外にはおりませぬ。殿は無論のこと、家中の者全てがそう考えておりまする」

 自信を漲らせる家老とは対照的に、策伝は皺の寄った坊主頭を撫でつつ、時折庭に目をやっている。

「俸禄の件でござるが千石、あるいは千石相当の銭、ということでいかがでござろう」

 虎丸は、思わず皿の上の菓子を取り落としそうになった。お伽衆全盛期の秀吉時代にも、千石の禄を食んだ者は少数だ。実は前田家以外にも、紀伊と尾張の徳川家、仙台伊達家など、錚々たる大名家が策伝をお伽衆に召し抱えようと訪ねて来たが、皆数百石がせいぜいだった。

「そこまで過大なお俸禄をいただいたら、恐縮しますわ」

 穏やかだがしっかりした声で、策伝は家老の話を遮った。

「それはそうと、加賀のご藩主様は、拙僧の『醒睡笑』はお読みにならはったんですか」

 家老の瞼が微かに震えるのを、虎丸は見逃さなかった。

「無論でございます。殿はもちろんのこと、家中の者全て、貴僧の『醒睡笑』を読んでおりまする。大変ありがたい書であると」

 家老の声は上ずっていた。

「ほお、『ありがたい』って言わはるか」

 目尻を下げつつ、策伝は語りかける。

「では、ご藩主様はどのへんのお話を、特にお気に入りでっしゃろか」

 首を突き出して町人のように策伝が訊ねると、自信満々だった家老の上体が、後ろに傾いだ。

「い、いや、そうですな。どの話も、皆ありがたく。何が一番とは、殿も決めかねているようです」

 家老の額に汗が滲んでいる。

「それやったら、わからへん。なんか、ひとつくらいはご感想を聞いてはるでしょう」

 顔に笑みを貼付けたまま策伝が近寄ると、家老の額から汗が滴り落ちた。

「藩主様やなくて、ご家老殿がいっちゃんおもろい、いやちゃうな、『ありがたい』って思った話はどれか、教えていただけませんか」

 首を傾けて覗き込む。

「い、い、いや、そうですな。あの兎の話などはよかっ……」

「兎、そんな話あったかいな」

 策伝は、わざとらしく考えこむふりをする。家老はしどろもどろになりつつ、誤摩化そうと必死だ。

 前田家も同じか、と虎丸は醒めた目で様子を見ていた。安楽庵策伝をお伽衆に抱えようという大名家は、笑いを求めているのではない。秀吉を抱腹絶倒させた名声を、宝石のように蔵したいだけだ。だから、皆ろくに『醒睡笑』を読み込んでいない。

「なんや、さっきとちごうて、えらい歯切れが悪うおますなぁ。まあ、自画自賛するわけやないけど、拙僧が最も気に入っている笑話は『醒睡笑』第九巻にある馬糞の話じゃ」

 家老が大きな動作で膝を叩いた。

「無論のこと、存じておりまする。九巻にあるあれは、まことにありがたい話でありました」

 聞いている虎丸は、顔を覆いたくなった。

『醒睡笑』に九巻はない。そして、全八巻の『醒睡笑』に、馬糞を題材にした笑話もない。

「ほー、やっぱり、ご家老殿もそう思わはるか。で、馬糞の話のどのへんが、ありがたかったでっか」

 勢いづいていた家老の顔に、また脂汗が浮かぶ。策伝は対面の武士の困惑を十分に堪能した後、顔を虎丸へと向けた。

「のお、虎丸、『醒睡笑』の第九巻にある、馬糞の話はどんなやったかなぁ」

 問いかけられて、手が固まった。策伝は唇を悪戯小僧のように捩じ曲げて、虎丸に笑いかけている。

「九巻の馬糞でございますか」

「せや、お前やったら憶えてるやろ。教えたってくれ」

 試されているのだと、虎丸は悟った。

 あるいは、ここで師を笑わせれば、弟子にしてもらえるかもしれない。そう考えた。

 まだ虎丸は、策伝の正式な弟子ではない。遊学のために、京都の竹林院に滞在しているだけだ。弟子のように甲斐甲斐しく世話を勝手にしているだけで、実は笑話の手解きを何ひとつ受けていない。

 策伝の目が、こう言っている。

 何か、おもろい話を披露して、家老、否、この策伝を笑わしてみい。

 給仕しようとしていた茶を床に置いて、腹に力を込めた。腕の見せ所である。麒麟児と呼ばれた己が、見事に師を唸らせる。

 さて、どんな話をしようか、と首を傾け、手を顎へとやった。

 顔の皮膚が強ばっている。

 面白可笑しい咄が、なにひとつ思いつかない。

 四書五経を諳んじろ、と言われれば踊るように動く舌が、石のように固まってしまっている。

 下がっていた策伝の目尻が上がり、眉間に皺が刻まれようとしていた。

 背中に流れる汗を感じつつ、虎丸は焦る。師を失望させてはならぬと、何度も己に言い聞かせる。ここで見事に笑わせれば、策伝の弟子になれるかもしれないのだ。

「は、『醒睡笑』第九巻にある馬糞の話とは、ですな」

 再び目尻を下げて、策伝が頷きはじめた。胸だけでなく、首や手首の血管が激しく脈打っているのを虎丸は自覚する。

 必死に舌を動かし、笑ってもらわねばと、精一杯面白可笑しい表情をつくった。

 

『ある村の百姓が、普通の倍はあろうかという馬糞を見つけたのでございます。往来の邪魔になりますゆえ、木板と鍬で肥だめに落としました。次の日にその糞を畑に撒いたところ、あら不思議、その年の秋にはたくさんの作物が実りましてございます』

 

 庭から吹き抜ける風が、なぜか肌を斬るかのように感じられた。策伝と家老の目が穴ぼこのように表情を失っていく。

 一体、どれくらい沈黙が流れただろうか。

「虎丸、それ、ただ馬糞を肥だめにいれて、肥やしにしただけやんけ」

 師の冷たい言葉に、虎丸の顔が一気に熱くなった。

「しゃあないな。第九巻、馬糞侍の笑話を、誰も憶えてへんのか。ご家老殿、これはな、ある時、前田利家公が馬に乗っておったという話じゃ」

 前田家開祖、利家の名が出て、家老は嬉しそうに腰を浮かした。

 家老に顔を向けるでもなく、虎丸に目をやるでもなく、策伝は滔々と気負わずに話す。

 

『ある時、利家公が尾張の村道を馬で進まれていた。すると、馬が突然止まり大きな糞をひりおったんや。しかし、豪傑の利家公、泰然自若として「さすが我が愛馬、糞も普通の馬の倍の働きよ」と、豪毅にお笑いになられ……』

「そうそう、その話でござる」

 調子よく合いの手を入れる家老の顔が、次の瞬間に蒼白になった。

『笑い過ぎた利家公、鞍から尻を滑らせて、その馬糞の塊に頭から突っ込んで、糞まみれになりおった』

 笑っていた家老の表情が、石のように固まる。

 そして、徐々に顔が赤らみはじめた。

 いつのまにか握っていた拳が、細かく震えているではないか。額には血管が浮き出ている。

 その様子を一瞥し、策伝は深々と頭をさげる。

「申し訳おまへんけど、さっさと帰ってくれへんやろか。あんたが利家公が糞まみれになった話を『ありがたい』って言うてたことは、内密にしたるさかいに」

 虎丸に目をやって、「どや」と言いたげな表情で唇を歪めてみせた。

 

 肩を怒らせて帰る前田家家老の背中を、策伝と虎丸は門のすぐ外で見つめていた。

「惜しいことをしましたな。千石とりのお伽衆の話を、蹴ってしまいました」

 虎丸の言葉に策伝は鼻で笑う。

「なんや、お前、儂をどっかの大名家に仕えさせたいんか」

 虎丸は、頷くことも首を横に振ることもできなかった。策伝はお伽衆として大名に雇われたことはない。これまで孤高を貫いてきた。にもかかわらず、太閤秀吉を笑わさせたことから『天下一のお伽衆』と呼ばれている。

 この通り名に実体を持たせたいと、虎丸は思っている。が、先ほどの前田家のような、策伝の笑話を知らぬ大名家には仕えてほしくない。

「次は将軍家が来るかもしれませぬな。万石と言われたら、どうされます」

 策伝は渋面をつくり、腕を組む。

「虎丸、笑わんと聞いてくれるか」

 笑話の名人が「笑うな」とは、どういうことかと虎丸は戸惑った。

「儂はな、笑いで人を救いたいんや」

 思わぬ言葉に、虎丸は驚いた。

 策伝は、もう姿が見えなくなった前田家の家老に伝えるかのように言葉を継ぐ。

「仏の教えでは、切支丹を救うことはでけん」

 目をまっすぐに前に向けたまま言う。

「切支丹の教えもまた、仏法の徒を救うことはでけん」

 いつにない真剣な表情に、虎丸は頷きを返すこともできない。

「けど、笑いは違う。仏法の徒も切支丹も関係ない。おもろいこと言うたら、皆等しく笑う」

 風が、ふたりの間を吹き抜けた。

「儂はな、笑いで人を救いたいんや。日々の暮らしに疲れた民の顔に、ほんの一時かもしれへんけど、笑いという花を咲かせたい。そうすることで苦しみや痛みを、しばし忘れてもらうんや」

 深くため息をついた。

「笑いに、仏法も切支丹も関係ない」

 さっきと同じ意味のことを、再び呟いた。

 そういえば、大坂の役で切支丹の多くが豊臣方として参戦し、戦後は過酷な責めを受け棄教させられた。

 道頓堀や長堀など人工河川を掘削し、奇跡的に大坂が復興した陰には、転び切支丹が持つ南蛮渡来の土木技術が活躍したという噂もある。

 あるいは、安楽庵策伝が大坂に宿をとっていたのは、転び切支丹の民たちを慰労したいと思ったからではないか。そんな想像が、虎丸の頭に浮かんできた。

「もし、将軍様が天下を取り仕切る重荷を一時忘れるために、儂をお伽衆として迎えたいと言うなら、喜んで江戸へ行く。禄の多寡など、どうでもええ」

 たるんだ策伝の瞼の隙間にある瞳が、寂しげな光を帯びている。

「けど、儂にお伽衆になって欲しいと願う者は違う。ただ、天下一という名に惹かれただけや。救いなんか、これっぽっちも求めてへん」

 道に背を向けて、策伝は門をくぐった。いつもは弓弦のようにまっすぐ伸びた背は曲がり、腕が外れるかと思うほど肩を落としている。

「儂はただ人を救いたいだけなんや。人笑わすのは、出世のためでも名声のためでもない」

 足取り同様に弱々しい言葉を残して、策伝は寺の中へと消えていった。

 

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