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2015.12.15

序章 天下一のお伽衆 ~初代安楽庵策伝の憂鬱

(1)少年虎丸が会いたいと慕う相手、それは天下人秀吉を笑わせた伝説の男だった。

木下 昌輝

(1)少年虎丸が会いたいと慕う相手、それは天下人秀吉を笑わせた伝説の男だった。

今最も歴史・時代小説界で話題の作家、木下昌輝。デビュー作『宇喜多の捨て嫁』がいきなり直木賞の候補となり、同作は高校生直木賞や舟橋聖一文学賞などを受賞。二作目『人魚ノ肉』も山田風太郎賞の候補となる。今回挑むのは、笑いと人情の本格的時代小説。上方落語の祖といわれ、笑いを武器に権力にも屈しなかった伝説の男・米沢彦八。その知られざる彦八の生涯を描いた注目作!! 幻冬舎plusにて、初の連載小説がいよいよ開幕!!

 

序章 天下一のお伽衆 

初代安楽庵策伝の憂鬱

(一)

「大坂はまだだろうか」

 淀川を気だるげに下る三十石舟の上で、虎丸(とらまる)はまっすぐに前方を凝視していた。

 時折、隣の客と肩を触れ合わせながら、舟は川をゆっくりと進む。丘や堤、竹林が広がっており、大坂の町の様子はまだ遠目にも見えない。

 数艇の小舟が近づいてきて、「食らわんか、食らわんか」と声を張り上げた。旅の三十石舟に茶や酒、菓子などを売りつける『くらわんか』だ。

「おーい、そこの小さなお侍さん、さっきなんも買わへんかったやろ。饅頭でもいらんか」

 くらわんか舟が、三十石舟の中央に座っている虎丸に声をかけた。虎丸は、前髪を振るようにして断る。気にした素振りもなく、くらわんか舟は身なりのよさそうな商人や町人たちに次々と呼びかける。だが、周りにいる客たちは見向きもしない。最初こそは何人もの客が酒や饅頭を購っていたが、一度味わってしまえばもう目新しさはないようだ。欠伸を晴れた空へと吐き出したり、火のついていない煙管(キセル)を無意味にいじったりしている。

 風も水の流れも順調なのか、舟夫たちものんびりと櫂(かい)を操っていた。客の何人かは、それに合わせるように頭を上下に揺らして微睡んでいる。

 そんななか、この少年は高鳴る胸の鼓動を抑えることができなかった。

 ――もうすぐ、大坂につく。

 そう思うと自然と尻が動き、十二歳という年齢には不釣り合いな長い二刀を持つ手に、力が籠もる。

 隣の女が手を口にやって、噛み殺し損ねた欠伸を漏らした。横目で虎丸が見ると、「あら」と言って、はにかむように笑った。虎丸も微笑みと共に会釈を返す。

「いややわ。お侍はん、変なとこ見んといて」

「申し訳ありませぬ」

 虎丸は素直に頭を下げた。顔を上げた時、女の頬が少し赤みを帯びていることに気づく。

「まあ、よう見たら、随分若くて凛々しいお侍はんやわ。えらい、綺麗な瞳して。どこから来はったん」

 女は遠慮がちにだが、しかし、しっかりと瞳を覗きこむ。虎丸は、古老たちから南蛮人のよう、とも称される茶色い瞳を持っている。かといって軟弱なわけではない。体は細身だが中心には一本の芯が通り、野山を駆け、道場で鍛えた筋肉はしなやかだ。自分の容姿が、相手にどんな感情を抱かせるかを熟知していた。

 己の瞳を相手の目に映すようにして向き直り、「飛騨高山から」と答える。

「へえ、そんな山国から」

「はい、飛騨から京の都までは歩いて。京からは、舟です」

 虎丸は道中を思い出した。

 出奔同然で飛騨高山を飛び出し、京都誓願寺の塔頭(たっちゅう)竹林院を訪ねたが、想い人は大坂に旅立ったところだった。五日もすれば戻ってくるという留守の僧侶の言葉を振り切り、三十石舟に乗り込んだ。

「おや、まあ。こんな色男が、そんなに必死になって。大坂にええ人でもおるん」

 大きく頷いてみせると、女の頬がさらに赤くなる。

「うわあ、妬けるわぁ。こんなお侍はんに惚れられるなんて。女子(おなご)冥利につきるわ。誰なん、その幸せもんは。名前教えてや」

 虎丸が笑うと、女は頬だけでなく耳までも赤くした。

「拙者が恋い焦がれる方の名は、安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)と言いまする。おん年は八十過ぎ、笑話の名人でございます」

 荷の中から、風呂敷に包まれたものを取り出す。『醒睡笑(せいすいしょう)』と書かれた八冊の書物が現れて、女は目を丸くする。

「拙者、この笑話集に腹がよじれるほど笑わされました。これを著した安楽庵策伝和尚に弟子入りし、あわよくば二代目策伝たらんと欲する馬鹿者でございます」

 虎丸は、ゆっくりと本の表面を撫でる。

 安楽庵策伝――『天下一のお伽衆(とぎしゅう)』の異名をとる、笑話の名人だ。その兄の金森法印(長近)は、天下人である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、名将として名高い。虎丸の生まれた飛騨高山藩の藩祖でもある。

 その弟の安楽庵策伝は、幼い頃から仏門に入り、茶人・古田織部の高弟として知られる。変わり者の和尚で、笑話を得意とした。秀吉に呼ばれ、御前で天下人を抱腹絶倒させたところから、『天下一のお伽衆』と呼ばれるようになる。

 秀吉没後は、京都所司代・板倉重宗の求めに応じて、『醒睡笑』という笑話集を著す。

 今、虎丸が手にするものが、それである。

「もし、よかったら読まれますか。退屈の気も散じまする。名のごとく『睡り』を『笑い』で『醒ます』と、わが飛騨高山藩でも評判でございます」

 虎丸が生まれた飛騨高山藩では、初代藩主の弟の著した笑話集ということもあり、多くの人が『醒睡笑』に親しんでいる。

 第一巻を差し出すと、女が狼狽え始めた。

「お侍はん、気持ちは嬉しいけど、うちあかんねん。字ぃ、読めへんねん」

 唇を噛んで俯いてしまった。

「それは、失礼しました。では、一緒の舟に乗ったのも何かのご縁。罪滅ぼしに、拙者のお気に入りの笑話を読んで差し上げましょう」

「ええよ、そんなに気ぃ遣わんといて。それに揺れてる舟で字ぃ読んだら、気分悪くなるって、船頭はん言ってはったやんか」

「大丈夫ですよ。『醒睡笑』は見ませんから」

 差し出していた一冊を、残りの七冊と一緒に荷の中へと戻した。そして、背筋を伸ばし前を向く。

「え、ちょっとお侍はん、書物も見んと何する気」

「必要はありませぬ。全て、覚えておりますから」

 女が身を仰け反らす気配が、虎丸に伝わってきた。『醒睡笑』は全八巻、千余話からなる。一冊の厚さからどれだけの量か、文字が読めぬ女にも想像がついたのだ。

「ですので、ご心配は無用です。そうですね、折角、京からの舟に乗り合わせたのですから、都の人を材にとった笑話を……」

 頭を巡らすと、すぐに第五巻にある笑話が思いついた。京の一条通で酔いつぶれていた尼崎屋という商家の男が、親切だが間の抜けた旅人によって、荷車と船便で摂津国の尼崎へと連れていかれる話だ。

 うん、これなら舟旅の今の風情とも合うだろう、と虎丸は大きく頷いた。内容を思い出し、上がる口角を自覚しつつ、笑話を諳んじる。

『師走の十日ごろ、一条の辻に、大酒に酔って……』

 詠うように笑話を口ずさみ始めた時だった。虎丸の視界に、ひとつの城が映る。

 山のような堅牢な石垣に、雪のような五層の白壁、微かに緑がかった瓦が美しい。

 徳川幕府によって再建された、大坂城である。

 微かに槌を振る音も聞こえてくるのは、堀を掘削しているのだ。大坂の役で豊臣氏が滅んだのが二十数年前。この時、焦土と化した大坂だが、天守閣を再建し急速に復興しようとしていた。南船場にあった芝居小屋を移した道頓堀は、歓楽街として活況を取り戻そうとしているのが、遠目にもよくわかる。

 ――あの大坂の町に、笑話の大名人、安楽庵策伝和尚がいる。

 そう考えると、虎丸の口は舌が踊るように動き、奏でるように笑話を紡ぐ。大坂城に向かって、滔々と語る。

 ふと気づくと、横にいる女や客たちが怪訝そうな顔で見つめていた。虎丸の得意の笑話を笑うこともなく、ただただ見つめている。

 

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